第一章 第三節 契約 ※
少年が気がついたときには魔の者達が集まる集会の輪の中にいた。その中には獣人もいれば三つ首の獣、鳥の翼を持つものなどさまざまな魔がいた。
その輪の中心には直立したドラゴンともグリフォンともとれる悪魔の姿があった。二本の角と長い顎鬚をはやし、コウモリの翼、足にはロバの蹄。黒き鱗と獣の毛が混じる体躯。
おどろおどろしい声が響いた。
「わが名はザリチュ……破壊をもって修羅の世に安寧を与えし者」
床から闇の煙の渦が突然表れると地面から例のおばばがあらわれた。魔の者は意に返さない。同族なのだろうか。
ザリチュに頭を下げると、俺に向かい、言った。
「主の言葉にまちがいはないのじゃな?」
おばばの瞳が赤く染まった。
「本当に人を捨てるのじゃな?」
おばばの声も獣声に変りつつあった。
「本当の憎しみと絶望がなければ魔と闇にはなれん。それでもいいのじゃな?」
おばばの爪が少し伸びていく。
「いまさら引き返してもそれはむりじゃ……」
おばばは一旦間を置き……爪で威嚇した。
「もし、失敗すれば……お前は……我が……ぬしを喰う」
最後はしわがれ声になっていた。すでに骨音を鳴らしながら口の構造が変わりつつあった。言い終えるとおばばは黒い獣毛がぞわぞわ生え、肉が溶岩のごとく流れ、溶岩が歓喜のあまりのたうち回るとおばばは前脚で支えきれなくなり暗黒の大地にどうとのめり込むんだ。
おばばは身をよじり……頭を振りときおり長い舌を出しながら怨嗟に溢れる呼吸音を嬉しそうに出す。闇の瘴気を求めるが如く顎が前に迫り出し牙と爪が徐々に伸び手足と背中から気骨稜稜な音を響かせながら狼の姿になっていく。おばばも魔の一員であった。変化を終えると狼は得意げに呼吸をする。おばばの正体は人を捨てた魔女して女悪魔であった。
だが少年の意思に変わりはなかった。むしろ少年はおばばの変貌を見て闇への渇望を覚えた。
「ああ………………生きていても充分闇だ」
「……ザリチュ様、素質充分にございまする」
巨狼は主に報告した。
「よし、ではわが鱗を」
そういうとザリチュは自分の体の鱗のかけらを自らの手で剥ぎ、魔女に手渡した。魔女はその黒き鱗を少年に渡した。
手に収まるほどの大きさであるその鱗は透き通るほどの透明な黒い色をしていた。
魔女は呪文を唱え、最後に鱗を持った手に向かって褐を放った!
――眠りし闇と暗黒に目覚めを!
そう言うと鱗はみるみる漆黒に染まった……同時に体中が沸騰したように熱くなる。鱗は体内に埋まって行った。
誰かが語りかけてくる――!
――憎しめ、憎いだろう。すべてに憎しみを抱くのだ。そして憎しみの対象を破壊するのだ
――ああ、言われなくてもわかってるぜ
声にそう答えた。すると少年に突然の変化が訪れた。破裂しそうな勢いで心臓が脈打ち、頭が締まるように痛い。あまりの痛さに白目を剥く。血が沸騰したかのような熱さで体中が熱くなり、喘ぐ。
やがて全身から黒き霧が噴出し漆黒の空へと勢いよく昇っていく。全身の皮膚が黒く染まっていく。
魔の者達が固唾を呑んで見守る。
突如、躰に異変がおき…………全身の痛みに耐えかね、空中で咆哮する。それは苦痛の呻きだけではなく歓喜の呻きでもあった。
肉が流れる。白服が千切れ、己の体が脈打ちながら膨れていく。骨は砕かれ新たに骨が構築される。黒き皮膚は漆黒の鱗に変っていった。胸と腹部は蛇腹で覆われた。背中から瘤が二つ突然生まれたかと思うと爆発するかのように飛び出た。
それは数多の生き物を切り裂くこともできる翼であった。少年だった者は絶望の羽音を嬉しそうに鳴らす。
己の顔にも無数の瘤が生じるとやがて瘤は軽快な音を出しながら変化する。瘤が瘤を産み破裂しながら肉が流れる。少年だった者の顔は闇色の血で染まり壮絶な痛みが襲う。耳朶が瘤に飲まれた。喉元も軽快な音を立てて変化する。痛みで意識も飲み込まれそうだ。
(まだだっ! まだ人間に復讐を果たしていないっ!)
巨大な瘤が破裂する。あまりの衝撃で二の眼が溶けるように地へ落ちていく。憎悪に満ちた眼窩を晒す。
(受けた痛みはこんなものじゃないっ!)
歓喜、貪欲、嘲笑、悲嘆、憎悪……己が持つあらゆる感情を込めた声を瘤から出る破裂音と共に次々吐き出した。
――ぐぶぅ、ふぅぅぅぅぅぅっっっ……
一呼吸置いた。本当は一呼吸ではなく憎悪のあまり「喰う」と言ったつもりが声に出来なかった。無事人の声を失ったようだ。だが己には人間の風貌が残っていた。
(ならば……まずは忌しき己を中から喰らい尽くす!)
すると今度は己の顔に瘤が生じなくなり代わりに緩徐に両の口角を上げ貪欲に満ちた笑みを浮かべる。いや違う。口が裂けているのだ。牙が伸び、鼻先が硬く尖った。竜は意識を保つことに成功した。少年だった者の顔を染めた闇色の血は漆黒色が入り混じる闇色の鱗へと変化した。
口は耳元で肉が引き締まる音を立てながらようやく裂け終わった。嬉しさのあまり思わず顎を開けながら……乾いた声で喉を鳴らし人としての生に別れを告げた。すると今度は上顎と下顎が交互に迫り出し首も舌も伸びていった。憎き人間を食らう意思表示が具現化した。こめかみから漆黒の禍々しき捻れた角が伸び行く。耳朶が新たに角の下に生じ犀利に伸びていく。まだ人の形を辛うじて留めていた爪は次々と軽石が割れるような音と共に剥がれ落ちた。代わりに漆黒の鉤爪が両手両足から芽生えるように生え……両指を無意識に揺らしながら伸びていく。再び生じた二つの瞳は赫眼となっていた。
竜は己の躰が闇の福音で満たされたことを証明するべく、拳を握り力を入れると尾が漆黒の体液をまき散らしながら頑健巨躯になる。己の躯から己の尾へ闇の福音の力が流れて行き……尾が太くなるたびに獰悪に満ちた骨音が全身から鳴る。
尾の成長が止まると最後に背びれと尾びれが黒い血飛沫を上げながら生えていった。竜は握りしめた拳を解き忌まわしき人間の眼球を踏み潰しながら大地に降り立った。
変化が終ったときは闇の主にふさわしい竜となっていた。咆哮が谺する!
沸きかえる洞窟内。闇がまた誕生した。
竜はゆっくり己の姿を首をめぐらせもう一回確認する。
(蛇腹の部分に若干不安を感じる……まあ、いい。人間を食えばより己の躰も強化出来るのだろう。何より俺は人間に復讐出来るのだ……)
俺は憤怒と飢餓感が同時に沸き体を震わした。そんな姿を見てザリチュは嬉しそうに問う。
「そなたは世の闇にいつでも溶け込める闇の竜となった。我に近い姿は憎しみと闇への憧れが強い証拠。で、そなたどうするのだ?」
(当然じゃないか。人間どもを殺しに行くのさ)
咆哮で俺はザリチュに答えた。
心の声が主であるザリチュに聞こえたのかザリチュは王者の笑みを浮かべながらこう答えた。
「ならば行け! そして人の命を一人残らず握りつぶし、闇に返すのじゃ」
すると洞窟の上部があたかも蓋が開くように開く。咆哮とともに竜は洞窟を出ると村の方向へと翼を広げ飛んでいく……。
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