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暗黒竜の渇望  作者: らんた
第一部 序編
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第一部 作品解説

 この作品は古代ペルシャの宗教であるゾロアスター教をもとに書いたドラゴン小説です。闇と光の戦いを照らし合わせて書かれたものですが、完全にイコールではなく「空想世界のゾロアスター教」として解釈していただけたら幸いです。


一.古代ペルシャの宗教ゾロアスター教とは?


 この宗教は始祖ゾロアスター(ザラスシュトラ)によって本格的にペルシャ全土に伝わった宗教で、最後の審判は善悪二元論など後のユダヤ教やキリスト教にも大きく影響を及ぼす偉大な宗教でした。サーサーン朝ペルシャ帝国がイスラム帝国の侵入によって滅ぼされ、一神教のイスラム教にほぼ全土が信仰を変えることになりましたが、いまでもイランやインドでは信仰されている宗教です。拝火教という漢字がある通り、火を神聖視し、光を信仰する宗教です。


二.アフラマズダと阿修羅の関係


 物語の最後に出てくる三面六臂さんめんろっぴのアフラ神とはみなさんが想像するとおり、日本で言う阿修羅のことです。

 物語では「別の世界で追放された光の神」とあります。

 これは主に仏教説話を基にして書いたものあります。その昔、阿修羅王ヴェーパティッティはインドラにシャチーと呼ばれる娘を政略結婚のために嫁がせようとしたところ……結婚前にインドラにシャチーを陵辱されてしまったのです。正義を守る天帝阿修羅とその一族は残虐非道なインドラに怒り狂い力の神であったインドラ側に戦いを挑みます。しかし、インドラ神は力の神でありいくらやっても阿修羅は勝てませんでした。天は荒廃し、死者が多数出て、戦は残虐を極めました。これを修羅場しゅらじょうといい、のちの「修羅場しゅらば」の語源となりました。それどころか陵辱されたはずのシャチーはインドラを本気で愛してしまったのです。

 こうしてとうとうインドラ側が完全に勝ち、とう利天と呼ばれる天空の城から阿修羅は追放され、天帝の地位を剥奪されます。

 ヒンズー教と仏教では争いを続けさせ戦いの魔神となった阿修羅こそが悪だとしたのです。しかし仏教は後に八部衆の一人として仏の教えを知り、仏教を守護する役目を負います。興福寺の阿修羅像とは表向きは「仏の教えを始めて聞き、嬉しさを表現している姿」であるとされています。とても興福寺の阿修羅像は戦いと血に飢えた神には見えません。物語では光明神で最高神である本来のアフラマズダにはないこうしたインド側の神である阿修羅の悲しみを反映させることにしたのです。


 この話が造られた背景にはこういったものもありました。阿修羅王はゾロアスター教の最高神アスラ=マズダのことであり、光の神であったという事は前出しました。アーリア族は民族移動時にペルシャ側に進んだ民族とインド亜大陸側に進んだから時に宗教対立があったのです。インドではそれがペルシャ側で信仰されている神アフラをやがて「悪魔アスラ」としたのです。善悪・光闇と二元対立する思考形態や天空を支配し、悪や違反者には罰則を加えるというアフラの神々は命豊かなインドでは受け容れることは出来なかったのです。

 逆にペルシャ側はインド側の神々「テーヴァ」(天)を「ダエーワ」(悪魔)としました。テーヴァ(天)側の呪法や暴風神などの信仰が受け容れられなかったのです。これはそのままギリシャに伝わり「ダエモン」に、そして英語の「デーモン」「デビル」となりました。ですから後に日本にも帝釈天として伝わる神であるインドラ神もゾロアスター教では七大ダエーワ(大魔)の一柱の神として「ヴェンディダート」(魔除書の意)と言う本にに記載されているのです。


 ところで、みなさんは阿修羅王は実は大日如来の化身であるかもしれないという学説はご存知でしょうか?大日如来とは密教の最高神です。 密教とは空海が唐の時代に伝えた仏教です。インド末期においてはヒンズー教から迫害されていました。このためヒンズー教の呪術などを取り入れ、復興を果たそうとしたのですが、仏陀ですら『阿修羅』とされるほど衰退していました。西遊記で有名な玄奘げんじょうはこの時代の経典を持ち帰り、さらに空海はそれを日本にもたらします。

 実は大日如来のしもべは明王が多く、明王は鬼である夜叉族、阿修羅族の出身が多いことからも大日如来の側面がうかがえるのです。 金剛夜叉明王なんて言うのは明王の特色を現している明王であると思います。

 東大寺の大仏、大日如来と興福寺の阿修羅は同じ仏という説を今回は取り入れています。これは迫害されていたインド仏教側が逆に今まで鬼や悪魔とされていた神々を武勇の神として復興させ、迫害から仏教を守ってくれという願いでもあったようです。

 阿修羅王=大日如来説が本当かどうかは学説的には議論の最中であるそうです。でも、ゾロアスター教の神が一旦悪魔として落とされたにも関わらず密教においてひそかに復権がなされたというのは魅力的でありまませんか? だからこそ、興福寺の阿修羅像はあんなおだやかな顔つきの少年像なのではないでしょうか。


三.ミスラと弥勒


 ミスラという神は古い阿修羅族の神であり、ゾロアスター教の主神アフラ=マズダと同一にされていましたが、時代が移るにつれて裁きの神と契約を祝福する中級の神であり、天使でもある「ヤサダ」という位置に落ち着きます。この神は光明神でもあり、武勇の神でもあり、友情や友愛の神でもあり、やがては世を救済する神にまでなったのです。

 インドに伝わったときにはなぜか「阿修羅族」とはされず、マイトレーヤという神になりました。この神様が仏教に伝わったときに弥勒菩薩となったのです。弥勒は仏陀の入滅後五六億七千万年後の未来に姿を現し、多くの人々を救済することになっています。作品には主人公の心を祝福し、救済し、武勇を復活させるのはそういう神様だからなのです。


四.鬼としての帝釈天


 皆さんは『雪山童子せっせんどうじ』というお話をご存知だろうか。雪山童子は釈尊の前世にあたる人物で求道者だったという。衆生利益のために修行を重ねていたのだが、そんな雪山童子の姿に疑問を持っている神がいた。その人物こそ帝釈天であった。求道者は多少の困難が生じると逃げてしまうではないかといつも考えていた帝釈天は雪山童子に試練を与えるべく見るも恐ろしい羅刹に姿を変え、雪山童子が修行している近所の山で有名な仏の説法を大きな声で説いた。

 雪山童子は恐ろしい羅刹に近づき、もっと説法を聞かせてくれと願ったが羅刹はもう餓死寸前で食うものがないという。「私が食べるものを持っていきます、続きを聞かせてください」と願ったが羅刹は「私が食うものは人間の血肉なのだ」と言った。「それならばすべての説法を聞き終えたあとに私をお食べください」と雪山童子は言ったという。すべての説法を終えた羅刹(=帝釈天)はさっそく雪山童子の血肉を求めた。雪山童子はこのようなすばらしい説法を記録に残したいという願いを羅刹に言って羅刹は了承した。羅刹の説法を書き終えると崖から雪山童子は身を投げたという。羅刹は帝釈天の姿に戻り、雪山童子を空中で掬い上げ、認めたという。しかし、この話は帝釈天という存在がさらにいやらしい存在に見えないだろうか。少なくとも私にはそう思える。

 まだある。仏教に帰依した鬼神らで十二の方角と時間を守り、かつ薬師如来の十二の大願を守る十二夜叉神将の一人に因達羅インダラ大将として巳の時と方角を守る大役を担っている。夜叉神将という名前の通り、鬼である。

 まだある。三尸さんしの虫(または「しょうけら」という妖怪)が庚申の日に寝ている間に天帝こと帝釈天に人間の悪事を報告し、報告を受けた人間は寿命を減らされるのです。このため庚申講といい、庚申の日は三尸の虫が出ないように徹夜するという習慣が江戸時代には確立しました。このように帝釈天として仏教に帰依してからも帝釈天は恐怖の天帝という性格を引き継いでいます。なお、しょうけらを退治するのは青面金剛夜叉明王という鬼神です。この「青」は釈迦の前世に関連しています。そうです、実は雪山童子なのです。

 阿修羅族の娘を強姦したことといい、十二夜叉神将の一人であることといい、雪山童子の説話の事を総合的に判断し、私は「帝釈天の正体こそ恐怖で支配する天空の鬼王なのではないか」という結論に筆者は至りました。そこで本作でも帝釈天は配下の四天王と共に鬼という設定となっています。

 なおインドラは日本では牛頭天王ごずてんのうという病魔神とも習合します。後に改心し、逆に病魔を退治する神となり祇園神社の主神となります。この物語のインドラの角は牛頭天王の角の姿を参考にしています。


五.真我と無我


 バラモン教・ヒンズー教ではアートマン(個の根源にして永久不変の主体)を「真我」とします。ゆえにバラモン教の最高神であるインドラはアートマンは「真我」とし、同時に真の姿を顕す時でもあります。これに対し仏教では諸行無常説からアートマン=真我説を否定し無我=アートマン説をとります。


六.末那識とは?


 末那識とは大乗仏教で唱えられる唯識論のうちの一識で七番目の識になります。五感、意識、末那識、阿頼耶識の八識を唯識と言います。末那識と阿頼耶識の二つが無意識とされます。ですが末那識は我執を生じさせる識なのです。


七. ザリチュとタルウィという大魔について


 ザリチュとは「ヴェンディダート」では「渇き」を意味する大魔で、タルウィは「熱」を意味する大魔です。この二つの魔は常に並び証されており、植物を滅ぼす悪神であり、毒草の創造者でもあるのです。本来は友人であって師弟と言う関係ではありません。

 ゾロアスター教ではザリチュもタルウィも具体的な姿の解説はありません。そこを利用して今回ザリチュが世の中すべてに絶望した子を暗黒の闇に誘惑し、光の側に滅ぼされ一旦失った友人「タルウィ」として復活させ、闇の竜に変えさせるという設定にしたのです。


八.アーサー王伝説スキタイ起源説


 「ナルト叙事詩」を見ると、アーサー王物語のかなりの部分は騎馬民族であるスキタイ族とかなり似ている部分が多いという。竜を信仰するという部分にも共通点が多い。そこで第二部の主人公をアルトゥスとし、アーサー王の起源となった人物として活躍させることにしたのです。ただし、スキタイ人はゾロアスター教もミスラも信仰はしておりません。ここは空想の部分です。

 アーサー王は赤竜の旗を徴とし、自らも「アーサー・ペンドラゴン」と名乗ります。ペンドラゴンとは「竜の頭」という意味ですが、転じて王権、王の王という意味になります。ケルトの王アーサー王はウェールズでは国旗であり、民族の象徴であり、アーサー王の象徴でもあり、国土を守護する竜でもあります。今回、アルトゥスという遊牧民族の名は、そう、ケルトの王アーサー王の事だったのです。赤竜として遊牧民族を守る物語としたのにはそういった背景からヒントを得たものです。なお、緑の騎士「ガウ」とはもちろんアーサー王物語に登場する「ガウェイン」の事です。


九.ヴィシャップ


 ヴィシャップとはアルメニアに伝わる竜の事でアルメニア版アジ・ダハーカです。このため本作品は「アジ・ダハーカ」の化身として登場させました。イランの北に位置するアルメニアにも当然ゾロアスター教は伝わってるわけですがなぜか「アジ・ダハーカ」ではなくヴィシャップと呼んでいたのです。ヴァハグンに退治されます。ヴァハグンはゾロアスター教のウルスラグナと同一視されます。

 ヴィシャップは元々水の神でかつ農業の竜神だったようです。アルメニアは魔女メディアで有名なコルキス(現・ジョージア)の国の隣でありその後一時的にキリスト教の国となったのちにペルシャ帝国の領土となりました。これらの伝説を合わせて作ったのが本作のヴィシャップなのです。なおヴィシャップが国民に向かって印を結んだのはかの有名なサバトの主催者であるバフォメットの印と全く同じで意味も全く同じです。


十.タルウィという名前の意味


 タルウィという大魔は「渇き」を司る悪魔で本作で重要な役割を持つキャラです。もちろん本作の『暗黒竜の渇望』とは喉の渇きのみを意味するものではなくいろんな意味を持たせております。


十一.闇色ダークパープルの意味


 ダークパープル色(=深紫色)の服は我が国では冠位十二階の制度において最上位階じゃないと着る事は許されない。ダークパープルはすべての星を統べる北極星の象徴にして死を司る北極紫微大帝(北斗真君)の象徴なのだ。したがって闇色ダークパープルの皮膚や服や鎧をまとう事が許されるのはファンタジー世界でも魔王か魔王に近しい身分の者だけと本作及び筆者は解釈している。

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