第一章 第一節 絶望の時代 ※
そこは星明りすら届かぬ、冥い洞窟の中……。
漆黒の中でおどろおどろしい不気味な声が広がる。まるで洞窟が生きているかのように息吹の声がする。漆黒の風が揺蕩う。その息吹の声がふっと止まった。
「おばばよ、今回、闇に返す者は決まったのか」
射干玉の黒の主が凛とする声を響かせる。
「ははっ。世は絶望と狂気が広がっておりますゆえ、多数おられます。容易かと」
虚栄に溢れる声が響く。
「魔は元々……人や神なのだからな。堕天したものにとって闇の者が増えることは望ましい。わが友人が増えるのは喜ばしい限り」
殺戮に飢えた声が響く。
「魔が増えれば裁きの時も近い。そのときが我々の解放の日なのだ」
裁きの声におばばは少し歓喜した。
「魔が増えれば裁きの時に共に戦いに挑む戦友が増える。これこそが我らの真の目的」
そんなことは知っている。
「存じております」
「お前もそうじゃった。山に捨てられすべてに絶望していたときに我と出会い闇の命を吹き込んだのだからな。もっともこうして人の姿も取れるが」
そうだ。この姿は仮初の姿。
「闇の者として開放されたときが、至福の時でございまする」
おばばの真の姿を人間に見せるとき……それは人間の死を意味する。
「わかっておろうが、完全に絶望しているものでないと闇の者として生きることは出来ない。変化せずに肉片となってしまう。まあ、人間の肉は美味じゃが」
その肉もまた美味。
「それもよろしゅう」
闇の中から赤き目が光り……共にくっ……くっ……くっ……と、せせら嗤う声が響く。
「まずおばばよ。その水晶で占い、探し出すのだ」
おばばは黒漆に染まった珠に向かって呪文を唱えると突然珠が輝いた。
水晶に光が当たり、少年の顔が映りだす。洞窟は泥のような涅色へと変化した。
「見つけました。それでは、さっそく行動へ……その前に闇の者として人の肉を喰いたいのだが?」
おばばの声は獣の声に近くなった。
「よかろう。充分楽しんでくるがよい」
闇の奥から突然の風が吹き荒れると、そこに立つおばばの姿が浮かんだ。風を起こした主は、闇に同化したまま。風を受けたおばばの身体のみが光を放っている。光は次第に強さを増し、全身が黒い獣毛に覆われる。それと同時に身に付けていたローブが形を失い、身体と同化していく。両眼が赤く染まる。手足が大きく歪んで形を変え、顎が前方に迫り出す。どうっ、と前のめりに両手を地面につくと、骨が音を立てて軋み……肉が溶岩のように溶け膨張する。ついには四肢で歩くに相応しい、巨大な獣の姿となった。
巨狼は咆哮を放つと、洞窟を一気に駆け抜け、闇に溶けて行った。
「期待しておるぞ。闇の魔女マーサよ」
紫黒の主がそう答えた。マーサが居なくなると洞窟は墨色へと変化していた。
ゾロアスター教徒は人が死ぬと鳥葬する前に犬を連れてきて死者に対面して死体に居る悪霊を犬の力で追い出すとされます。ゆえにイスラム教では犬は忌み嫌われているのに対し、ゾロアスター教では聖なるものとされます。一方狼は虎、豹、ハイエナなどの「狼種」に属する悪獣とされ、悪魔の化身とされたのです。