第五章 第一節 絶望の子
広大な遊牧民が行き交う北の大地。そこに一人の青年が倒れていた。遊牧民が拾い上げたのだ。
遊牧民達は魔の侵攻に怯え、ある部族は冬に凍土となるより北の大地に、ある者は西に、ある部族は東の砂漠に、そしてこの部族は西南を目指す部族であった。
一週間以上眠り続けたがテントの中でようやく目が覚めた。
――だが、自分の名前を思い出すことも出来なかった。
何もかも忘れていたのだった。「記憶喪失」という奴だった。
身に着けている腕輪などから自分はスキタイ族出身であることがわかった。同じ部族だからこそ遊牧民は助けたのだ。
幼稚帰りしていた青年がそこにはいた。ゆえに子ども達と一緒に遊び、手伝い、文字を再び習い、祝いの歌や民族の歴史を再び学んだ。スキタイ族らは青年の瞳の事を含め奇異の目で見ていた。それでも存在が許されたのは夜目が効くようになったからだ。つまり進路をより安全にすることが出来たからだ。それだけでは無かった。この目になってからというもの、なんと呪文を唱えることで熱を可視化出来るようになったのだ。つまり潜んでいる獲物はもちろん敵も丸見えになったのだ。「捨てる神あれば拾う神あり」というのはまさにこの事。異能の力で存在がギリギリ存在が認められたのだ。水面に映る異形の瞳を見て複雑な思いを抱く。
青年は少しずつ人間らしさを回復しながら下働きにいそしんだ。名を忘れたため彼には名が与えられた。「アルトゥス」と名づけられた。部族ではありふれた名であった。
彼らはグルジアに入った。そこは侮蔑と差別の温床であった。すでに同じ遊牧民が難民として流れてきたのだった。ペルシャ帝国の北端だった国境の町はさんざん侵略してきた遊牧民を信用できず、帝国軍が押し返すこととなった。また戦争がおき、全く相手にならない遊牧民は逃げるように北に逃げ延びた。
遊牧民族達は後方の補給路を絶たれると死を意味した。ゆえに戦争は残虐な行為を起こさざるを得なかった。それが生き延びる知恵であった。それが他の国から憎悪の目で見られていた。今度は迫害された民となったのだ。
一方でその移動力と交易力に諸国頼らざるを得ず、はるか東の竜の国とやらの交易品、西は哲学の国々と呼ばれた工芸品まで扱うことができた。だからこそ遊牧民を複雑な目で見る民族が多かった。
押し返された部族は仕方なく帝国から外れた草原にテントを作り、やがて移住した。だが、危険であった。魔のものが侵略してきた。暗黒の大地アルメニアに近いからだ。




