第二章 第一節 憎悪 ※
議会にも国にも衝撃が走った。
出された決議はロスタムにとって重いものだった。
王の地位の剥奪、王位を叔父であるザールに譲位すること、そして十年にも渡る国外追放処分であった。
王妃であるミラとの離婚も強制された。
体が回復するとロスタムが箱に衣類や宝石、皿などをしまう。子であるファラーマルズが泣く。ミラが息子ファラーマルズを抱きしめる。
ミラは自分に悔しくて、悲しくて、夫に腹ただしかった。
そして……。模擬戦を申し込み暗黒戦士となったミラは何度も敗れ去った。ロスタムは竜にすらなっていない。まるで舞うように攻撃する。美しい。現役から遠ざかった暗黒戦士なんぞロスタムの敵ではなかった。ミラが持っていたはずの木刀は大地に突き刺さる。病み上がりの戦士は木刀を投げ捨てた。
「これが貴方の言う『融和』の世界ですか! 民は怒っております。私もです! 敵国の王女と通じるなんでどんだけ恥知らずなんですか!」
ミラは跪いて泣き崩れる。ロスタムは何も言わず荷物を締め、あとにする。
「わが子は私が育てます」
荷物はそれほど大きくなかった。竜馬ラクシュがロスタムに与えられた。功績者へのせめてものの配慮であった。竜馬ラクシュとロスタムへ石が投げつけられる。民衆は堕ちた勇者に対して容赦なかった。
「出て行け!」
「恥知らず!」
希望の星に対する裏切りの罪は重かった。その後、ミラは自動的に新たに王となったザールの后となった。
愛もなにもない再婚。そこには王国の責務者としての后の姿があった。王族に恋愛の自由など、なかった。裏ではアラが泣いていた。
◆◆◆◆
ソフラーブの遺体はそのまま王国に送り返された。
国民は嘆き悲しんだ。英雄ソフラーブの死に。
しかし、王族はただの「道具」であったため何も悲しむことがなかった。そのまま淡々とソフラーブは王族の墓地に埋葬された。
だが日が経つにつれて王の悲しみは日増しに増して行った。
子育てしていくうちに愛情が芽生えたしまったのだ。排泄物の処理、赤子のあやし、親子との遊び。王となってからはたとえそれが擬似家庭であっても家族としての幸福を与えた。それが良質な兵器として育てるための親の義務でもあったからだ。
しかし、イスファンディヤールは「道具」に愛情を持つようになった。自分でも知らないうちに。傷つけないように子をあやすようになりやがては本当の子のように愛情をそそいだ。
葬式が終り、七日がたち仮面にはめ込んだ眼から涙がこぼれた。ささやかな親としての幸福を二度も奪われたのだ。その悲しみは日々増していった。
そして決意した。
(ロスタムを殺す)
涙を流していた仮面からはやがて低く鉛のような笑い声が王宮に響くようになった。
人間の村を直々に襲い、人間や獣族、鬼族の血肉を仮面にある牙で砕いてから食らっていった。
そのまま王として大召集を兵士にかけた。弔い合戦を行なうと。
これを見た后シャシーはイスファンディヤール出兵後に大臣を呼んだ。
(弱点を突けばイスファンディヤールは死ぬ。所詮は捨て駒よ。敵が弱ったところで不意打ちするのが最良。それしか暗黒竜の子孫相手に勝ち目はない。決死の戦いをせねば我らは滅びる)
「サムアよ!」
それはもう百十歳になる杖を叩く馬人の老魔であった。アンラ=マンユのころから仕えていた魔族ももうすぐ寿命をまっとうしようとしていた。
「急いで魔術部隊をかき集め、結界を割る準備をするのだ。結界の外にいる人間を入れようぞ。我らを崇拝するインドの人間らを。もう王は使い物にならぬ。我が王となってロスタムを討伐する」
「そのようなことをすれば我らの国も『魔族』の一員として滅ぼされます。我には未来はないものの、国民には未来はありますて。よくお考え……」
しかし、その後言葉のあとに来た返事は刃であった。后が握り締める刃が体から抜かれていく。
「せっかく鬼の臓器を分けて長生きさせてやったのに、ここまでとは残念だったな、サムア」
「よい、我が終らせよう。この悪夢の物語、終らせようぞ」
「ギリメカラ!」
「女王陛下、仰せのままに」
闇の渦から出たのは巨大な魔の象。
「我は討伐に出る。そなたも出るのだ。我の乗獣として」
「仰せのままに」
「ギリメカラよ……そなたに暗黒竜の鱗を入れる時が来たようだ」
「私の命は貴方と主上に捧げた命です。仰せのままに」
その言葉を聞き、シャシーはギリメカラを泣きながら抱きしめる。よき時代を思い出す。
シャシーはインドラに犯された。なのに、それも恐るべき強き鬼であったインドラに、虜囚の生活が長引くにつれその強さと優しさと畏れに惚れてしまった自分。求愛し、さらには醜き阿修羅の本性をインドラの前にさらけ出した。するとインドラも自分の本性を改めて現し、シャシーの愛を受け止めた。この時初めてシャシーはインドラが両性具有の完全体の大魔である事を知った。
天帝夫妻としてインドラとともにギリメカラに乗りながら世界を駆け巡った思い出。子を授かった良き思い出。そして落城するとき夫が意識を失わせてまでギリメカラに載せて逃げたあの絶望の瞬間。すべて思いを馳せていた。そしてゆっくりと包みから取り出した鱗を手にする。
「変化は苦しいぞ、覚悟せよ」
もう本物の家族と呼べる者はギリメカラしかいなかった。その家族にむごい苦しみをこれから与えるのだ。
シャシーはギリメカラに鱗を腹に突き刺し、素早く手を離した。ギリメカラは何度も壮絶な呻きと骨音をなり響かせる。古き翼が落ち、竜の翼が新たに生えていく。象の皮膚が剥がれ落ち、黒き血肉がむき出しとなりながら己の肉の塊をさらけ出した。しばらくすると肉の塊を竜の鱗が鎧のように新たにすばやく覆っていった。そしてギリメカラは獣竜と呼ぶにふさわしい姿となった。象の爪は鉤爪となって伸びていく。背びれが血しぶきを上げながら突き出る。象の鼻の威厳はそのままに竜の力を得た。
一部始終を見届けたシャチーも変化した。
「我も本性を現す」
自らの回りに黒き空気が渦巻く。瘴気を吸収しながら体躯が一回り大きくなる。やがて脇に瘤が生じた。瘤がどんどん大きくなり、瘤の裂け目から手が四本ゆっくり芽生えるように生えていく。姿なき陶芸家の手が顔をこねくり回す如く肉が踊り、鈍い音を宮廷に響かせながらやがて左右の横に顔が生じていった。筋肉が盛り上がり、腕と足には血筋が浮き出る。表の顔は苦痛と本性を現す悦楽と憤怒が入り混じる壮絶な表情となる。口に二本ずつ六本の牙が突き出る。皮膚はじわりと朱色に染まって行った。手が伸び終えると瘤の裂け目の傷が消えた。この姿こそ阿修羅族の本性。阿修羅族は鬼族に近い種族なのだ。
壁にかけてあった剣と弓矢を手にする。
「戦じゃ! イスファンディヤールに続け!」
三つの顔を持つ女帝が叫ぶ。象の咆哮と共に。
夫インドラと共に乗ったシャチーにとってギリメカラこそ、本物の家族であった。
「死ぬときは一緒ぞ」
「我はただの乗獣。仰せのままに」
しかし、ギリメカラの目からは涙が出ていた。
◆◆◆◆
一方、そのころロスタムは竜馬とともに北上していた。かつてタウス、ケンとともに歩んだ道だ。そのまま国境を越える。ジラント王国に入国した。だが鉄道には乗らない。そのままひたすら北上していく。鉄道に乗ることは自分に憎悪を持っている連中に襲われる危険性が高かったためであった。
一緒に旅をしてきたミラ、アラもいない。孤独であった。家族も親友も国も失ったのだ。
竜馬を一度託し、鉄道に乗った宿屋を過ぎる。思い出が蘇る。見たくもない場所であった。ロスタムはここで西に進路を変えた。着いたのは『これより先魔導物質汚染地域』の看板であった。ロスタムに与えられた土地とは辺境にして危険区域の砂漠であった。ここに家がある。亡命先の家として与えられた。竜になって暴れたときに備え、鳥人族を配置している。
「我らがロスタムの監視役長に任命されたマクといいます。よろしくお願いします。生活の保障はジラント王国が保障します。大卒の初任給程度の月給を貴方の口座に振り込みます。それ以外は自立して余生をお過ごしください。健康保険はそこから天引きになります」
ロスタムは己の行いに憎悪した。自由をも奪われていたのだ。
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