風が吹けば君が恋する
昨日の昼からずっと雨。
雨の日は嫌なことばかり起こる。
濡れるし。
泥は跳ねるし。
髪の毛はうねるし。
嫌なものは見るし。
憂鬱な気分でベッドに寝転んでいると、頭の横でスマホが震え始めた。
いつもより長い振動音に電話だと気が付く。
目をやれば、拝み倒されて参加した合コンで会った男の名前。
大学近くの居酒屋で、そいつは隣に座るやいなや、やけに馴れ馴れしく話しかけてきた。
「同じ講義取ってるけど知ってる?」
「⋯⋯知らない」
「そっかぁ。ナナちゃんって何か運動してた?」
「⋯⋯バスケやってたけど」
「あ、やっぱり!」
何がやっぱりなんだろう。
適当な男だな。
帰り際、連絡先を聞かれて、メールが来るようになって、講義で会えば話したりして。
それから──、
蘇るのは昨日の記憶。
⋯⋯無視しようか。
それでもゴロンと横を向いて電話に出る。
目の前の窓に雨がぶつかる。
「もしもし」
「あ、ナナちゃん今大丈夫?」
「⋯⋯うん」
用件はわかってる。
“お礼”だ。
「昨日ありがとう。貸してもらってめちゃくちゃ助かった」
「⋯⋯うん」
「でさ、これ返すのとお礼もしたいからご飯でも行かない?」
その言葉に思わず眉間に皺が寄る。
黙るというより沈むような沈黙。
「あー、ごめん。そんな親しくないのにいきなりご飯とかハードル高いよね」
「いや⋯⋯そういうことじゃ」
私の曖昧な返事に、電話の向こうで考え込むような気配。
「俺のことあんまり知らないもんねぇ」
「⋯⋯知らないっていうか、よくわかんない」
昨日の今日でなんでそんなことが言えるのか理解ができない。
「ナナちゃん、今日忙しい?」
「⋯⋯忙しくはないけど」
「じゃあさ。質問してくれたら答えるから。それでなんとなく俺のこと知ってもらって、ご飯行ってもいいなと思ってくれると嬉しいんだけど」
「いや、そういうことじゃ⋯⋯」
「なんでもいいよ!」
その声音に焦りみたいなものを感じて、それなら、と口を開く。
「雨が降ったら差すものなんだ?」
聞こえてくるのは窓を打つ音。
困惑したように息を呑む音。
答えは昨日私が君に貸したもの。
「⋯⋯それ、質問っていうかなぞなぞだよね?」
「だから?」
私の声に苛立ちを感じたのか、慌てて答えが飛んでくる。
「ひ」
⋯⋯ん?
「何? ひって言った?」
「うん。雨が降ったら日が差すでしょ」
「日が差す⋯⋯」
「違ってた?」
「⋯⋯想定とは違ってたけど、まぁ、正解?」
「ナナちゃんの答えは?」
「傘だよ」
雨が降ったら差すのは傘でしょ。
私が、昨日、わざわざ、ロッカーから持ってきて、君に貸した傘でしょ。
「傘かぁ。あー、傘本当助かったよ。持ってないときに限って雨降るんだよね」
そして、雨が降ったときに限って嫌なことが起こる。
君はその傘で、誰と一緒に帰ったの。
「じゃあ次は?」
「まだやるの?」
「いや、だってその質問全然俺のことわかんないよね」
「うーん⋯⋯」
私は窓の外を睨みつける。
空も心もどんよりとたちこめる暗い色。
「じゃあ、同じ読み方なのに違う意味の言葉」
「またなぞなぞ⋯⋯」
だって普通の質問ができるほど、穏やかな気分ではない。
「一つは空に浮かんでいるもの。もう一つは足の数が、えーと八本?」
だったっけ? と考える間もなく、
「たこ」
「くもじゃないの!?」
即答されて即座に反応してしまう。
「そういえば、昨日たこ焼き食べたよ」
電話越しののんきな声に、カッと苛立ちが増す。
知ってる。
昨日君が、私の傘に『女の子』と一緒に入って、たこ焼きを二人分買って帰ったことを知ってる。
あの日親しげに声を掛けてきて、他愛も無いメールをして、楽しく話してきたのはなんだったのか。
いや、別に君が誰といようと関係ないけど。
関係ないけど、だったら私を誘うのはおかしいと思う。
窓を叩く音は、まだ止みそうにない。
嫌いだ。
こんな日は嫌なことが起こる。
やけっぱちな気分でまた問いかける。
「一つは空から降るもの。もう一つは甘い食べ物」
甘い空気は微塵もない。
「あられ」
「⋯⋯なんでそっち。ていうかあられってしょっぱいよね」
「ひなあられとか甘いと思うけど」
「ひなあられ⋯⋯」
「うん。うち妹いるから毎年食べるんだよね。お雛様のとき」
それから思い出したように君が言う。
「そうそう、昨日妹も傘持ってなくて、兄妹揃ってナナちゃんの傘に助けられたよ」
傘。兄。妹。
「妹さん⋯⋯」
「うん」
「たこ焼き食べたんだ」
「え? うん。妹とたこ焼き食べたよ」
ちょっと混乱している。
窓の水滴を目で追う。
線で落ちてくる雨が、丸く形を作る。
透き通ったしずく。
よくわからないまま、また聞いてしまう。
「透明で、冷たかったり、あったかかったりするものなんだ?」
「風」
君の声が吹き抜けて、私の中の垂れ込めた雲が消えていく。
「ナナちゃんは覚えてないと思うんだけど」
「うん」
「めちゃくちゃ風の強い日があって」
「うん」
「俺、風の強い日って何かと不運に見舞われるんだけど」
その気持ちはよくわかる。
「案の定その日も大事な紙がブワッて飛ばされちゃって。そしたらナナちゃんが、パシッて! それはそれはキレイにキャッチしてくれて、それで『やった!』て笑ってくれて」
そういえばそんなことがあったようななかったような。
けど、それつかめたのはたまたまでバスケ部関係ないと思う。
補欠だったし。
「なんかそれだけのことなんだけど。風の日って嫌だなって思ってたのが、なんか嬉しくなって。それから気になって」
私は音がしないように起き上がって、正座をする。
「それで、友達の友達に頼んで合コンに誘ってもらったんだよね」
「⋯⋯そうなんだ」
「うん。ごめん俺のことやっぱ全然わかんないと思うけど」
私は背筋を伸ばす。
だって昨日嫌だったんだ。
君が女の子と歩いてて嫌だと思ったんだ。
雨の日は嫌なことばかり起こる。
決めつけてたけど、想定外のことだって起こるんだ。
私は雨音を聞きながら君に言う。
「一緒にご飯行きたいです」