4 没落令嬢と剣の聖者
整地とは一言で言うが、これは現実世界における整地作業だ。ゲームのように一発でどうこうできる問題ではない。
しっかりと区画分けをして、今日はどの範囲を作業するか。それを明確にするべきだ。
やるべき行程は、ひとまず三つ。
1、庭に散乱した石を拾い、集めること。
2、雑草を抜くこと。
3、土地を平らにすること。
途中の行程を面倒くさいと飛ばせば、余計に後から面倒になる。
端正に時間と手間を割く。
整地は愛だ。
退屈だとか地味だとか、そんなことを言う奴らは愛が足りていない。
「見せてやろうじゃないか……本物の整地ってやつを」
不敵に笑って、ちまちま石拾いを始めた。
…………。
集め始めて、一時間は経っただろうか。
「人手が足りない……ッ」
さすがお嬢様屋敷だけあって、庭の広さが尋常ではない。それが隙間なく荒れ果てているので、このペースだと他のところに手が回らない。
積み上げられた石やレンガの破片、大きすぎる石――それらの物が、カトレアの身に起こっていることを物語っていた。
不自然に陥没した箇所。木はへし折られ、整然と配列されていただろうタイルは割られ、ここにあるはずのない錆びた刃物まで見つかる始末。
荒れたのではない。
荒らされたのだ。
こうやって俺が作業をしても、また荒らされて元に戻るのだろう。
……そう考えると殺意が止まらないな。
自分の整地した場所に他人が踏み込む。あまつさえ、破壊して楽しむ……? 考え得る最悪の手段で拷問するしかない。そんなやつらを許せるほど、寛大な心はお持ちでないからな。
手を動かしながら、考える。
どうすればカトレアの尊厳は取り戻され、マーティン家に権威が戻るのか。
まず第一は、真犯人を見つけ、つるし上げることだろう。だが、それをしたところで復活とはいかないのが現実。
カトレア本人の手で、なにか功績を掴ませて……。
「って、俺はなにそこまで入れ込んでるのかね」
出会ってたった一日の少女に。
ただ独りぼっちな姿に共感しただけの、ちょっと――いや、かなり可愛い少女に。
ま、可愛いからいいか。
可愛いは正義。俺の行動原理なんて、整地と可愛いの二つあれば十分だ。
家政夫と言ったって、この様子じゃ報酬なんてもらえるはずもなし。どころか、俺が金を稼いでこないとカトレアが飢える可能性すらある。
金を稼ぐ必要がある、ということは……。
その間、カトレアを一人にするということでもある。
こんな危険な様子を見せられて、一人になんかしていられない。どうしたもんか……。やることはいっぱいで、能力もたくさんあるのに。実行する手が足りない。
なにか……なにか、一度にすべてを解決する手段はないのだろうか。
与えられたスキルによって、この世界の常識も頭に入っている。そこから検索をかけて――なにか、手を。
「つってもなぁ……」
なかなか現実的な案は浮かんでこない。
ぼんやり考え事をしながら石拾い。それが終わったら草むしりと続けていると、次第に空が明るんできた。
もうこんな時間か。どれくらい続けていただろうか。
っていうか、マズい。寝るの忘れてた……!
学校がある平日ならまだ授業中に寝ればいいが、今やカトレアの従者。朝から晩までやることずくめなのだ。
頭を抱えていると、声がした。
――連続作業時間が七時間を突破。パッシブスキルを発動します。
――スキルアンロック『無心』行動する際に消費する体力が減少する。
――スキルアンロック『自動回復』体力を微弱に回復し続ける。効果は永続する。
「社畜スキルきたぁー!」
これはあがる!
異世界に来てから一番テンションが上がるスキルだ。ってことは、もしかして寝ないで大丈夫な感じですか?
確かに体はきつくない。いつも徹夜した後にくるような気持ち悪さもなく、ただ、普通だ。
素晴らしい異世界。
これでパソコンがあれば、連続で何百時間でも整地ができるのに……ジレンマだ。
天に向かってガッツポーズを決めていると、後ろから人の気配。
「こんな時間になにやってるのよ」
着替えを終えたカトレアが、腕組みをして立っていた。ちょっと不機嫌そうに口を尖らせている。
今日も今日とてうちの主様は可愛いなぁ。
「おはようございますお嬢様」
「なにやってるのよ」
「ただの草むしりですが」
「そんなの、風魔法でちゃっちゃとやればいいじゃない」
「お嬢様ァ!?」
その発言は俺の逆鱗に触れる。
「なっ、なによ!」
びくっとして一歩後ずさるカトレア。しまった、口調が荒くなってしまった……反省しよう。だが、譲れないものは譲れない。
「そんな雑なやり方では、根が残ってしまいます。根が残れば、そこからまた雑草共は生い茂り、無限ループに嵌まってしまうのです。なにより、美しくない」
「はぁ……?」
カトレアは心底わけがわからないというふうだ。
まったく、これだから箱入りお嬢様は。
「そんなことより、お腹が空いたんだけど」
「それは整地よりも大切なことですか?」
「悩むことなのかしら!? っていうか、バートはいつ起きたのよ」
「寝てないです」
「ふうん。そうなのね――って、ええ!?」
驚いて一歩下がるカトレア。
「そんなんで大丈夫なの? 働いてくれるのはいいけど、病気になられたらこの家は終わりよ? 私、一人じゃ生きていけないわよ」
「言ってて悲しくならないですか?」
「……うん。もう言わない」
しょぼんとしてしまうお嬢様。赤い髪までしおれている。
「それに、俺は寝なくても大丈夫っぽいんで。気にしないでください」
「……もう驚かないわよ」
「残念です。びっくりしたお嬢様の『ギエーッ』という叫び声を聞くのが生きがいだったのに」
「そんな声で叫んだことないけど!」
頬を膨らませたカトレアがぽこぽこ殴ってくるのを避けつつ、地下室へ戻る。
備蓄庫から卵と野菜、牛乳にパンを持ってくる。
卵はフライパンに落として、『発熱』の魔法を使って加熱。西洋の朝食といえば、のイメージでスクランブルエッグにしていく。
コツは温度を上げすぎないこと。
火を使わない利点は、こういうところにある。直接自分で温度を調節できる『発熱』だから、じっくり丁寧に温めることが可能だ。
有名なシェフは、スクランブルエッグを湯煎で作るというくらいだし。そのくらい時間をかけて仕上げる。
塩を軽く振って、一品目は完成。
野菜は名称こそ違うものの、ほとんど向こうの世界でもあるようなものだ。ざく切りにして、鍋へ入れる。『水塊』で中身を浸して、熱する。
コンソメがないので、香草や香辛料を使って調理しなければならないのが手間だ。もっとも、『調理』という名前のスキルまでご丁寧に用意されていたので、できないことはない。体が勝手に動く手順に、聞きかじりの知識をプラスすればいい。
なんでもそこそこ、というのは確実に役に立っていた。
「完成しました」
スクランブルエッグとスープに、パンと牛乳。
オーソドックスな朝食だ。
皿に盛り付けてテーブルに載せると、カトレアはわかりやすく目を輝かせる。
「ねえ、バートも一緒に食べましょ」
「はい。お言葉に甘えて」
「じゃあ、――」
神様への祈りを捧げて、カトレアが手を合わせる。
俺もそれに倣って手を合わせる。もっとも、神の正体は知っているので祈ったりはしないが。
「美味しいわ」
「ありがとうございます」
そう言ってもらえると作りがいがある。
「今日はさっそく剣の練習をしましょうね」
「そうですね。……それで、お嬢様ひとつお聞きしたいのですが」
「なに?」
首をころんと傾げるカトレアは、料理にご満悦なのか機嫌よさげだ。
「この家には、あとどれくらいの資産がありますか?」
「しさん?」
異国の言語みたいな反応しやがった。
え、もしかしてあれか? この子ってもしかして、自分で買い物したことない系女子ってやつなのか?
「お金はご存じですか?」
「バカにしないで。知ってるに決まってるじゃない。それで、そのお金がどうしたの?」
「どれくらい残っているんですか?」
俺の質問に、カトレアは再び不思議そうな顔をする。
「お金って、なくならないんじゃないの?」
ダメだこいつ。
こいつダメだ。
「お嬢様……誠に申し上げにくいのですが、お嬢様はバカでございます」
「なっ、――なによ!」
「バカと言っても世間知らずなのが唯一の救いですが……かなり致命的です」
重ねて言うと、カトレアはうろたえる。
「え、そんなに……ひどいの?」
「お嬢様。お金は、使えばなくなります」
「そうなの!?」
貴族ってやべえ。
純真無垢で生まれてこの方裕福だと人ってこうなるんだな。これで悪意ゼロなんだから恐ろしいよ。
そりゃ革命も起きる。
「はい。そしておそらくこの家にはもう、ほとんどお金が残っていません」
「そんな……」
青ざめた顔で震えるカトレア。自分の立場の危うさにようやく気がついたらしい。
このままいけば、近いうちにこの家から追い出されることになるだろう。仕事をしたことのないカトレアは、そのまま破滅、というまでの流れがありありと見える。
これってあれだよな……。
俺が素直に『剣神』のクラスで冒険してたら救えなかったやつだよなぁ。
人生はなにがあるかわからんっていうか、皮肉なもんだ。
「なので、金は俺がなんとかします」
「待って!」
「どうされました?」
自分で言っていて、白々しい。
従者が主に仕えるのは、確かに忠誠心によるものだ。だが、そこになんの見返りもなければ、関係は容易に破綻する。
そしてその見返りは、大抵の場合、金銭によって支払われるものだ。
それくらいのことは、カトレアにもわかるらしい。
「もしかして、お金がなくなったから使用人たちはいなくなったの……?」
「その可能性は高いと思います」
「じゃあ、バートもいなくなっちゃうってこと?」
縋るような視線。泣いてしまいそうだ。
あー、そうなるか。いや、まあ、そうだよなぁ。
またダメだ。俺の思慮が浅かったせいで……けど、これはどこかで通る道だ。
「お嬢様、はっきりと申し上げます」
「……うん」
「今のお嬢様に仕える価値は、はっきり言って皆無です」
「――っ」
びくっと怯えてしまう。
まったく……ちゃんと続きがあるから、安心しろよ。
「ですから、俺のことを導いてください。従者は付き従う者。あなたが選ぶ道の先が、俺の行く道です。あなたの価値は、今じゃなく未来にある。その未来が輝かしい限り、俺はあなたに忠誠を誓うのです」
「それは、どうすればいいのよ……」
「『あっちに行きたい』とか『あれがしたい』とか、『ああなりたい』みたいなことでいいんですよ。お嬢様が望むことを、俺に教えてください。あなたの夢の先を、俺にも見せてください」
「……そんなことでいいの?」
「それができる人が、人の上に立つ資格を持ちます。あなたにはそれがある」
そして俺にはきっと、それがない。
どれだけの才能を与えられても、俺の心は光を求めはしないから。
「だから胸を張ってください。そして――」
だから俺は、あなたに光を求める。
あなたが輝くことを、他のなによりも求めよう。
「手始めに、『剣の聖者』の空白を埋めてください。他でもない、あなたの名前で」