表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/42

12 ノア

 私を示す言葉は、あれ、これ、それ、奴隷、てめえ、ゴミ、クズ……多いけど、どこにも暖かみを含むものはなかった。

 誰かに優しくされた記憶はない。生まれた時から売り物として育てられた私は、兄妹の中でも最も雑に育てられた。獣化しそうになれば、力尽くで抑えられて、苦しくて苦しくて仕方がなかった。


 生きていたくないという願望はあったが、どうしてか死ねなかった。


 愛されて育つ兄妹たちの姿が、運ばれる檻の中から見えた普通の世界がほしくて。ほしくて仕方がなかったから、諦められなくて。

 だけどそれは、この手足に枷がつけられ、鎖で縛られている限りは不可能だと知っていたから。夢だった。


 夢だったから、いざ目の前に与えられて、どうすればいいかわからなくなってしまった。


 チーズフォンデュ、というものを食べた時、ここは天国なんじゃないかと思った。

 とろとろで暖かくて、幸せの味がした。


 目の前で私を見ていたランバートさんは嬉しそうにしていて、カトレア様は抱きしめてきた。

 どうして?

 どうして私は、可愛いと言われるのだろう。

 私は、可愛くなんかないのに。

 愛されるはずなんかないのに。


 さっきランバートさんが言っていた。カトレア様は、優しいから優しいのだと。なんとなく、その意味はわかる。

 だって昨日、私は傷つけたのだ。理性を失って、暴れ回って、たくさんケガをさせた。今日だって、まだ回復していないはずなのに。私の前で痛そうな顔も、疲れた様子も見せない。


 どうして?

 どうして私は、信じられないはずなのに。

 信じたくなんてないはずなのに。

 この人たちのことを、信じてしまいそうなのだろう。


 わからない。わからないというのは、息苦しい。こんなことなら、ずっと奴隷で、檻の中で、わかることだけに苦しんでいたほうがよかったと……。

 そうやって言い切ることすら、もう、できないくらいに。


 だけど。


 それじゃあ、この人たちに裏切られたら? 捨てられたら? また、ひどいことをされたら? どうやって私は生きていけるだろう。どうして私は生きていられるだろう。


「疲れちゃったかな」

「病み上がりだしな……ケーキは明日でいいか」


 声が遠くに聞こえた。

 抗おうとしたけれど、ダメだった。上からかけられた温かいもののせいで、眠気が襲ってくる。

 ほんのちょっとだけ、ほんのちょっとだけだからと言い訳して、意識を手放す。


 …………。

 ……。


 目を開けると、私はソファの上に横たえられていた。毛布を掛けられている。

 起きたのは、食器の音がしたからだ。


「ん、起きたっぽいな」

「おはよう」


 二人は揃ってテーブルに座り、向かい合っていた。

 もしかして、一晩中眠ってしまったのだろうか。


「あ、あの……ごめんなさい」


 謝らなければ。謝らなければ。

 先に寝るなんて、勝手に寝るなんて、主人よりも早く起きていないなんて。


「カトレア、お前なんか怖いこと言ったのか?」

「バートこそ、変なこと吹き込んだんじゃないの?」

「「まさか」」


 二人揃って首を振って、顔を向けてくる。


「どうして謝ったの?」

「……それは、早く起きて、働かないから……」

「どう思う、カトレア。と、不眠不休の俺が言うのもあれな話だが」

「ほんと、バートがいると基準が狂うのよね。でも逆に、バート一人でなんでもできちゃうし。働かなくても怒らないわ」

「いや、俺の仕事量」

「子供は寝るのも仕事のうちでしょ」

「……否定はしない。というか、その通りだ」


 ランバートさんは黒髪をわしわし掻き上げ、


「ということだ。よく食べてよく学びよく遊びよく寝て、よく整地すればそれでいい」

「整地はしなくていいからね?」


 理解ができなかった。

 怒るどころか、二人はなんでもないようにしている。


「おいで」


 笑顔で手招きしてくれる。


「腹減ったろ。さくっと作るから、カトレアに抱きしめられとけ」


 ご飯を用意してくれる。


「バート、その前にあれ」


 この人たちは、私にいろんなものをくれる。

 そしてそれがなにかは、もう、気がついていた。

 これまでの人生で、もらえなかったもの。

 これまでの人生で、なくしてきたもの。


「名前な。……気に入るかわからないから、嫌だったら言ってくれ。っていうか、カトレアが言えばいいだろ、ご主人様なんだから」

「考えたのはバートでしょ。私のセンスがないから……正直、自分でも悲しくなるくらい」

「そうだけどな……じゃあ、いいか」


 ランバートさんは戻ってきて、私の前に座る。

 やや緊張した面持ちで、


「ノア」


 と告げた。

 それは紛れもなく、二人が私にくれた、私の名前だった。

 私のことを認めてくれて、私のことを考えてくれて、私のために与えてくれたものだ。

 胸が温かくなった。


「名前の意味は、希望だ」


 目の前が明るくなった。


 光が見える。そこに、二人いる。

 笑って待っていてくれて、手を差し伸べてくれる人たち。

 入ってもいいのだろうか。私も、その中にいてもいいのだろうか。

 聞かなくても、答えはわかる気がした。

 だから――


「気に入らなかった……なら、なかったことにしてほしいんだが」

「ノアは、ノアです。ノアがいいです。ノアになりたいです」


 この名前を抱きしめて、二人のそばにいよう。

 もう、ゴミなんかじゃない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ