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八十話 壁の向こう側

 篤紫が御者台から下りて壁を見上げていると、誰かがコートの裾を引いてきた。振り返って見下ろすと、馬から幼女の姿に変わったヒスイが、篤紫を見上げていた。

 いつも通り、透き通った緑一色のヒスイだけれど、なんとなく悲しい雰囲気だけは感じ取れた。


「この壁って、いきなり現れたのか?」

 ヒスイがコクコクと頷く。つまりヒスイにとっても、完全に想定外の事態なのだと思う。いつものようにゴーレムを取り出す様子が無かった。

「となると、さっき目眩を感じた辺りから変化したのか……」

 もう一度振り返って、馬車が走ってきた方向を確認してみる。

 そうして注意深く見てみると、何となくだけれど二十メートルくらい先の空間が揺らいでいるように見える。


「篤紫さん、ちょっと来て」

 馬車の車内を確認していた桃華が、慌てて御者席から降りるところだった。そのまま座席の扉を開けて、中に入っていく。

 夏梛とペアチフローウェルに何かあったのだろうか?

 篤紫もヒスイの顔をもう一度見ると、慌てて馬車に駆けだした。ヒスイがどこからかゴーレムを取りだして、馬車の周りに展開させたのが分かった。守りを強化してくれたようだ。

 

 馬車に顔を入れると、夏梛とペアチフローウェル、それにオルフェナがぐったりしているところだった。

 いや待って、オルフェナが目をつむって動かないって、なんで?


「篤紫さん大変なのよ。夏梛とペアチェちゃん、それにオルフが完全に止まっている。何だかおかしいわ」

「どういうことなんだ? 気絶している、とかじゃないのか?」

「違うのよ、完全に止まっているの。まるで時間が止まっているかのように、みんな何もかもが止まっているのよ」

 なんだ、どういう事なんだろう。桃華がえらい慌てている。時間魔法を使って全てが止まった世界でも動ける桃華がだ。

 まさか、さっきの揺らぎが原因か?

 だとすると、あそこをくぐってみないと分からないのか。


 篤紫は慌てて馬車の中に入って、オルフェナを抱え上げた。

「何か分かったのかしら?」

「ああ、ちょっと確認してきたいことがあるんだ」

「わかったわ。二人のことは任せて」


 馬車から降りると、ヒスイが心配そうに篤紫を見上げてきた。思わず頭を撫でて、そのまま馬車の後方に駆けだした。走りながら、念のために虹色魔道ペンに魔力を流して変身しておく。

 着替えの魔道具で着ていた、深紫のロングコートが、変身の魔道具で深紫のロングコートに変わる……いや、見た目は変わっていないんだけど。背中に翼の絵柄が追加されているはず、自分では見えないんだよな。


 そして、揺らぎに飛び込んだ。さっきよりも軽い目眩とともに、揺らぎを通り過ぎたのが分かった。

『……うぬっ? どうして我は篤紫の腕の中にいるんだ?

 それにいつの間にか馬車の外に移動しておるではないか』

 予想通り、オルフェナが動き始めた。

 てことは、ここが何かの境界線か。


 足を止めて振り返ると、揺らぎの向こう側、立ちはだかるとてつもなく大きな壁は、変わらずにそこにあった。

 つまり、この異常現象は何らかの形で解決するまで、ずっとこのままの可能性がある。


「オルフは、そこの揺らぎを越えると止まってしまうようなんだ。原因は分からない。

 あとはもう一回、揺らぎを越えて中に入る。つきあってくれるか?」

『うむ、もちろんだとも。常に我は篤紫とともにある。

 あの、立ち上がっている壁が何だかは知らぬが、我のすべては篤紫に預け――』

 オルフェナを抱えたまま、もう一度揺らぎを飛び越えた。軽い目眩の後、再びオルフェナが停止した。間違いなく、おかしいのはこの壁が立ち上がった世界だ。


 もう一つ、確認したいことがある。

 篤紫はオルフェナを抱っこしたまま馬車に駆け寄ると、後部の扉を開けた。


 やっぱりあった。

 もう一つの揺らぎ。


 篤紫は迷うこと無く、馬車後部から大樹ダンジョンに飛び込んだ。優しく、体全体を包み込むような揺らぎを越えて、ダンジョンの中に入った。

『――る。だから心配せずとも……ぬっ、いきなり景色が変わったぞ』

 どうやら口上の途中だったらしい。オルフェナが驚いて目を見開いた。

 ごめんオルフ、狙ってやってみた。


「ここは大樹ダンジョン、馬車の中にある世界だよ。問題なくオルフが動き出したな。

 つまりここに、夏梛とペアチェを連れてくればいいってことだ」

 篤紫を見上げて首を傾げているオルフェナを地面に下ろすと、篤紫はダンジョンの外に駆けだした。




「……うわ、またおとうさんってば、怪しい世界に迷い込んだんだ」

 馬車の室内から大樹ダンジョンに運び込んで、夏梛の第一声がこれだった。

 いや、狙っていないよ? 不可抗力だし。

「……夏梛にいっぱい話を聞いていたけれど、篤紫って逆にすごいわ。ほんとうに普通の旅ができないのね……」

 続いて抱えて運んだペアチフローウェルにも、辛辣な言葉を吐かれた。いやだから、俺何もしていないし。


「くすくす。篤紫さんのトラブル体質なんて、いつものことよ」

『まぁある意味、平常運転ではあるな』

 先に中で待っていた桃華とオルフェナにも、完全にい言いたい放題言われた。ちくしょう、俺が何したって言うのさ。自覚はあるけどさ。


 コートの裾を引かれたので、振り向いてしゃがんだらヒスイに頭を撫でられた。味方はヒスイだけなんだね。思わずヒスイを抱き上げた。

 そう言えば、ナナナシアはどうなった?

 慌てて桃華の方を見ると、ベッドを取りだしてナナナシアを寝かせているところだった。


「様子はどうだ?」

「意識がないまま、何も変わった様子はないわ。そもそもナナナシアちゃんって、どういう生き物なのかしら……妖精? じゃないわよね」

「そういえば……」

 ナナナシアって、この星のコアなんだよな?

 確かナナナシア・コアって、星の上で使った魔法から魔力を集めているって誰かに聞いた気がする。

 だとすると、もしかしたらただの魔力切れ?


「桃華、魔力譲渡はできるか?」

「待って、変身した方が綺麗に送れるわ」

 桃華が胸元のペンダントトップに魔力を流すと、半袖ハーフパンツ姿だった桃華が、深紫のロングドレス姿に変身した。


「あ、おとうさんとおかあさんの背中の模様、いつの間にか違っているよ」

「確かに違うわね。篤紫が四対の翼で、桃華は三対の翼なのね」

 待って、いつの間にかバージョンアップしているよ。この間の桃華のバグ取りでまたやっちゃった感じなのか。


 桃華がナナナシアに触れて、ゆっくりと魔力を流し込み始めた。触れたところが白く輝いて、ナナナシアの顔がほんのりと赤くなってきた。

 そのまま流し続けていると、体の表面から光の粒が飛び始めたので、桃華は魔力を流すのをやめた。

 このまま安静にしておけば、じきに目を覚ますかもしれない。


「少し、壁を確認してくるよ。ナナナシアは頼むな」

「はい。ちゃんと見てるわ」

「あたしは外に出ると駄目みたいだから、ペアチェちゃんとお留守番してるよ」

 三人はベッド脇に椅子と机を取りだして、お茶を飲み始めた。

 何だろう、きょうはよく食事とかお茶の時間に問題が起きる日だな。


 篤紫はオルフェナに見送られながら、ヒスイと二人で問題の壁に向かった。




 壁は、一見普通の岩壁だった。足下を見てみても、地面とは切れ目が無い。どうもこういう地形のようだ。

 馬だったヒスイがこの壁の前で止まったということは、目指すべきエアーズロックはこの壁の向こうにあるのだろう。腕の中にいるヒスイが頷いているので、間違いなさそうだ。


 しかし、この壁はいったい何なんだろう。

 見上げても壁に果てが見えない。確認しようにも、篤紫には空を飛ぶことができないので、確認できない。当然ながら、簡単に壁登りをできるようなそんな壁手へもなさそうだ。

 腕の中のヒスイが身じろぎしたので、地面に下ろした。ヒスイは右の方に走って行った。

 やっぱりヒスイが走って行った右側も、顔を逆に向けた左側も、遙か彼方まで壁が続いている。


 何となくナナナシア星か半分に割れて少しズレたような、そんな感じに見える。だとすると、この壁は上らないといけないし、海がある場所なんて滝のようになっているんだろうな。


 なんてことを考えていたら、コートの裾が引かれた。

 顔を向けると、まだヒスイが裾を引いている。

「なにかこの先に見つけたのか?」

 ヒスイがいつも以上に一生懸命に頷くので、馬車をゴーレムがちゃんと守っていることを確認して、ヒスイに牽かれるまま着いていった。


 五分位は走ったと思う。

 壁面の十メートルくらい上に、大きな穴が開いていた。

「なあヒスイ、あれって奥までいけるってことなんだよな……」

 当然ながら、ヒスイは嬉々として頷いた。


 なんでだろう、今度は地底探検をしないといけないのか?


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