七十四話 四面楚歌
左手にヒスイを抱いて、右手に大樹と馬車の魔石を持って、篤紫は魔王国正門の前に立った。ここを越えれば、ペアチフローウェルたちが自由の身になったことになる。
ヒスイに顔を向けると、しっかりと頷いてくれた。
足を、一歩踏み出した。
まるで分厚い空気の壁があるような抵抗が、足にかかってきた。重くなった足をゆっくりと外に踏み出すと、確かに足が外の地面に付いた。同じように、大樹と馬車の魔石を空気の壁に押し入れる。
バチバチと火花を散らせながらも、あっさりと境界線を越えることが出来た。そのままヒスイと一緒に篤紫も、空気の壁をくぐり抜けた。
「行けたな、さすがだ。ありがとうな」
ヒスイを床に下ろして、頭を撫でる。表情は無いけれど、仕草から喜んでいることが分かる。こういう姿を見ると、最初出会ったときに比べてかなり感情的になったな。
相変わらず、篤紫の側を忠実に離れないのは変わらないけれど、ゴーレムを作ってからはけっこう自由に動くようになった。
念のため三十分ほど進んでから、樹と馬車の魔石に魔力を流した。篤紫の前に馬車が具現化したので、御者台に魔石を嵌める。
バンッという音とともに、背面の扉が開いたのがわかった。篤紫が後ろに回ると、開いた扉からペアチフローウェルが出てくるところだった。
『扉の色が変わると、開けられるようになるのね。中からだと外の状況がわからないのが怖いところね』
どうやら時間の経過も一緒のようで、扉が真っ白になったあと三十分と少しくらいしてから、また元の色に戻ったようだ。もしかすると、魔石の状態で拡張収納に入れても、時間が流れたままなのかもしれない。
「さっそく、山越えできるのか?」
最初ペアチフローウェルに会ったときに、確か山を越えてきたと言っていた。魔王国の障壁さえ何とかなれば、あとはペアチフローウェルに山を越えてもらって、最短でアーデンハイム王国の王都に向かえる。
『もちろんよ。あんな山はひとっ飛びね』
そう言われて見上げた山は、見上げるほどの絶壁で、雲よりも高く篤紫たちの行く手を阻んでいた。この山が大陸の東と西を隔てていて、完全に人間と悪魔族の交流を阻んでいた。
もし、この山が無くなればこの世界の問題が根本的に変わる気がする。
「ねえ、おとうさん? あたし達は、また馬車の中で待機なのかな?」
「ペアチフローウェルと一緒に、空を飛んで山を越えることができるなら、外でもいいが」
「じゃあ、あたしは外ね」
「えっ、夏梛さんは空が飛べるのですか?」
「うん飛べるよ。麗奈おねえちゃんに教えて貰って、この山くらいなら簡単に越えられると思う」
「すごい……空を飛べるのは、母上だけだと思っていました」
みんなの見ている前で、夏梛がふんわりと浮き上がった。
『あら、空のお散歩に行くのね』
ペアチフローウェルも浮き上がって、そのまま二人で遙か上空まで飛んでいき、そのまま山を越えて行ってしまった。
「えと……行っちまったな」
「そ……そうですね……」
篤紫とリメンシャーレは、高い山を見上げて呆然と立ち尽くした。樹と馬車の魔石を持って暾でもらう予定だったのに、あの二人が先に行ってしまった。
『うぬっ、まずいですぞ。まずいですぞっ――!』
馬車の中から、クランジェが慌てて飛び出してきた。あまりに慌てていたからか、走ってくる途中で石に躓いて転んだ。
その直後、ダークケートが現れて、中から出てきた手によってクランジェの角が掴まれた。
『おおっ、またですか女王。痛い痛い、痛いですぞ。離してくだされ』
意図を理解した篤紫は、慌てて馬車の後部扉を閉めると、馬車を魔石に戻した。そのままホルスターのポケットにしまい込む。
「おとうさん、こっちの準備はできたよ」
ダークケートから上半身だけ出した夏梛が、手招きしている。篤紫はリメンシャーレとうなずき合うと、頭から引きずり込まれていくクランジェに続いてダークゲートをくぐった。
「おお、篤紫殿。待っておったぞ」
ダークゲートをくぐった先はお城の中だった。ペアチフローウェルの隣に立っていたレイス王が、篤紫が出てくるのを確認すると、手をさしのべてきた。思わず篤紫が手を握ると、笑顔でしっかりと頷いてきた。
「いやしやし、いきなりお城の中って言うのはどういう事だ?」
これじゃ魔王国に行った状況と全く一緒じゃないか。
ただ、アーデンハイム王国の面々の表情を見るに、現況はあまり芳しくなさそうだ。
王妃ユリディナーレ、王女メルディナーレ、それに宮廷魔術師ポルナレフまではいい。この間いた騎士姿の男に、恐らく宰相、厳つい面々は王都ギルドの各ギルド長か、恐らく王都にいるほぼ全ての責任者が集まっていた。
『夏梛と一緒に空の散歩をしていたらね、城壁の周りがたくさんの武装集団に囲まれていたのよ。
それで二人で相談して急いで王城に飛んだら、もうこの状態だったわ』
「魔王国との同盟の話で爵位持ちが難色を示してな、翌日には王都の各別邸はもぬけの空になっておったのだ。
ある程度は予測していたが、あまりにも動きが速くてな。さすがにあの布陣の中、国民を連れて移動するわけにもいかず、難儀していたところだった」
タイミングはギリギリだったと言うことか。
結果的に、夏梛とペアチフローウェルだけ飛んでいって良かったのかもしれない。話が早そうだし、このまま進めてしまおう。
「王都の国民は準備が進んでいるのか?」
「まだですね。通達は昨日の朝出したので、今頃大急ぎで準備しているかと。さすがに一日二日で準備はできていないでしょう。
申し遅れました、宰相をやっていますエルグと申します。この度はご助力感謝いたします」
やはり宰相だったか。紺のスーツ姿の黒縁眼鏡をかけた男で、手には分厚い本とペンを持っている。本は開かれていて、議事録でも書かれているのか片方のページはびっしりと埋まっていた。
「さっそく馬車を展開させたいんだけど、城の前で大丈夫か?」
「それでしたら、城門内側の左側でお願いします。騎士宿舎が右側にありますので、有事の際に動きやすいので」
「わかった」
時間も無いので急いで城の前に移動することにした。
見たことがある廊下を駆け抜ける。そう言えばこの城に来たのは、四日程前だったか。思ったほど時間が経っていない。
そう考えると、この世界の伝令もなかなか高度なのかもしれない。
レイス王が爵位持ちに通達を出したのが一昨日のこと、その時点で恐らく各領地に連絡が行ったのだろう。そう考えると、辺境伯領で兵士や住民が待ち構えていたのも納得できる。
さらに王都に近い領地から即日、出兵してきた兵士や騎士がいま王都の周りを取り囲んでいるようだ。普段なら不敬罪ものだが、全ての爵位持ちが連携した今は、何の権威も無くなっている。
城門の前では、住民が既に詰めかけていて、騎士が入城を止めているところだった。思いの外、住民の反応が早い。もしかしたら、各ギルド長が先回りで対応していた可能性もある。
篤紫はホルスターのポケットから樹と馬車の魔石を取り出すと、馬車を展開させた。御者台に魔石を嵌めて、急いで後部の扉を開けた。
「篤紫様、もう準備ができたのですか?」
「ああ、先に中に魔王国の方々がいる。できれば、王族を先に向かわせて、有効をアピールしてもらった方がいいかもしれない」
「わかりました。国王に伝えてきます」
様子を見に来たポルナレフが、慌てて城の方に戻っていった。
もっと時間がかかると思っていたらしい。呼ばれて来たアーデンハイム王国の面々は、馬車の裏から覗いた先に広大な草原があるのを見て、もれなく絶句していた。
ペアチフローウェルと王族が先に馬車内に入り、各ギルドのギルド長が街に散っていった。やがて、誘導のための騎士が並ぶと、城門からの入城が始まった。
取り立てて大きな混乱も無く、続々と馬車内に避難していく。
「このまま、何も起きなければいいですね……」
「まて、シャーレ。それ言っちゃ駄目なやつ」
その時、馬車内から女性の悲鳴が聞こえた。
篤紫は急いで馬車の裏から、大樹ダンジョンに飛び込んだ。
そこでは、国王のレイスが離れた場所で、数人の男に刃物を突きつけられていた。




