百八話 変質した魔王晶石
やがて、透明な緑色だった魔王晶石がゆっくりと変色していった。
緑が徐々に水色に変わっていく。そのまま青色が濃くなっていき、紫色に変わる手前で変色が止まった。
色味としては、群青色と言ったところか。
深海よりも深く、紫が混じった神秘的な色合いだ。
変色が止まると同時に、篤紫達が吸われていた魔力も流れが止まって、すっと手が軽く離れた。反動で後ろに倒れそうになって、思わず手を伸ばして尻餅をついた。
「……な、何が起きたのかしら」
隣でも、桃華が同じように尻餅をついていた。
オルフェナは引っ張っていた鼻がいきなり離れたのか、仰向けにひっくり返っている。
その隣にいたはずのヒスイは、びっくりしたのか篤紫の足にしっかりとしがみついていた。心なしか、フラフラしているように見える。
「いや、俺は触っただけだったんだけど、突然魔王晶石に魔力が吸い込まれていったんだ。
って待って、まずいな。ヒスイは自分で魔力を補充できなかったんだっけ」
慌ててヒスイを抱き上げて、額に手を当ててゆっくりと、篤紫も回復したばかりの魔力を流し込んでいく。
ヒスイ以外、篤紫、桃華、オルフェナは億単位の魔力を保有している。それが一時間で完全回復するのだから、回復途中でヒスイに魔力を分け与えることはそれほど苦にはならなかった。
緑色のヒスイが淡く輝き始める。心なしか、魔力を受けてうっとりしているようにも見える。
「確かにそうよね、ヒスイちゃんは自分で魔力が生み出せないもんね。
それにしてもいったい何が起きたのかしら。篤紫さんが触れるまでは普通に魔力を送っていたのに、突然私の魔力も吸い込まれるように流れていったわ。久しぶりに魔力が枯渇寸前までいったかしら」
『見よ篤紫、桃華。どうも魔王晶石がおかしなことになったようだな。
本来はだが、魔王晶石は濃い赤が一般的だ。もしかしたら緑色になっていた時点で問題だったのかも知れぬな。今はより紫に近い青になっておる』
うん、群青色ね。知ってる。
周りで魔力を流し込んでいた探索者達も、突然の変化に理解が追いついていないのか、手を魔王晶石に触れたまま固まっていた。
びっくりして尻餅をついている人もいる。
ただ、聞こえてくる会話から、無理矢理に魔力を吸われた人はいないようだった。
「もし、もしだよ。この魔王晶石がこの国の動力源だとしたら、これって一番まずい状態なんじゃないのか?」
『ふむ。昔は魔石を入れておったのだろう? それが、魂樹が伝わったことで使われなくなり、個々の魔力を注入する形に変わった……。
恐らくだが、リサイクルしていただけの魔力が、今度は補充するような状態になったと見ていいのだろうな。条件が変わったのだろうが……魂樹を使うようになったのは、どれくらい前からだと言っておったか?』
「魂樹が伝わった時期のことかしら?」
『うむ、そうだ。恐らくここの魔王晶石が、アディレイド王国全域を統制しておる様に見える。実際に管理しているのがアディレイド王国王家だとしても、これは完全に想定外ではないだろうか』
「確か存在停止していた半球で竜人の国に行っていた時間と、もう片方の動いていた半球とは時間の差があったんだっけ?」
「そうね。私もあの日、セイラと話をしていてびっくりしたわ。
時間の感覚が全然違っていて、一年前かしら? 一年半前だったかしら?
いずれにしても、伝わったのは結構前だったはずよ」
『想定できる最悪の事態は、モンスターパレードが起きることであろうが……』
あのね、オルフ。いいんだけど、ひっくり返ったまま深刻な話しても、あまり説得力がないんだよ。そのまま話をしていた俺たちにも問題あったのかも知れないけれど。
ヒスイの魔力が満タンになったので、抱っことしていたヒスイをそっと床に下ろした。
そしてひっくり返ったままいたオルフェナを抱え上げて、ひっくり返してあげた。
『すまぬ。体型故に起き上がることができなかった。
我は今暫くこの、魔王晶石の様子を見ておる。次は、桃華を助けてあげて貰えないだろうか?』
「ん?」
そう言えば、いつもはすぐに動いているはずの桃華が、ずっと尻餅をついた体制のまま動かずにいた。口はオルフェナと同じように動いていたけれど。
顔を向けると、苦笑いを浮かべていた。
「どうしたんだ、桃華?」
「あのね。どうも腰が抜けちゃったみたいで、動けないのよ。助けて貰えると……ありがたいかな……」
「ちょっと待ってて、準備してくるわ」
申し訳なさそうに首を傾げる桃華に断りを入れて、篤紫は急いで魔神晶石車に向かった。
後席のシートを倒して、そこに抱きかかえてきた桃華をそっと寝かせた。
とっさにヒスイが気を利かせて、シートヒーターで腰の辺りを温めて、エアコンで涼しい風を送っていた。
「ヒスイちゃん、ありがとう」
コクコクと頷くヒスイの頭を、桃華が手を伸ばして撫でていた。
「ちょっともう一回、魔王晶石を見に行ってくるよ」
「はい、行ってらっしゃい。私はこのまま、休ませて貰うわ」
「そんなにかからないと思うから、ヒスイと二人で待っててな」
『行くぞ、篤紫。先に行くからな。早く来るのだぞ』
桃華はしばらく安静にしていれば、そんなに経たないうちに動けるようになると思う。ヒスイにも経過を見ているようにお願いしたから、ちょっと出かける程度なら問題ないと思う。
それよりも、オルフェナが珍しくうるさかった。
一緒に車まで戻ってきたものの、どうしても変色した魔王晶石が気になるようで、もう一度見に行くと言って聞かなかった。
仕方がないので、もう一度だけ魔王晶石を見に行くことにした。
特にイベントがなかったので簡潔に言うと、色が変わっただけで特に問題は起きていなかった。
階段を上っている間にも、魔力注入が終わった探索者のパーティが階段を下りてきたし、篤紫たちの後に階段を上がってきて魔力を注入していたパーティも、何事もなく車に戻っていった。
もしかして、篤紫が触ったことが原因なのでは? などと、オルフェナが言うので、恐る恐る触ってみると今度は何も起きなかった。触った状態でちょろっと魔力を流してみたら、普通に魔力を注入できた。
はっきり言って、さっきの時点で何かやらかしているのは確定した。
もっとも、いくら観察していても色が変わった以外に何か特別な事象が起きるわけでもないようで、ちょっと肩すかしを食らった感は否めなかった。
そうして車に戻る頃には、桃華の腰も良くなっていて、戻った篤紫たちを車の横手で向かえてくれた。
気を取り直して、お城の外周を回って、後ろにあるという三つめのダンジョンに向かった。
とても大きな城なので、外周の道路も左右どちらから回っても二車線になっている。ちなみに走る車線は、左側だったりする。
ヒスイの運転で進む間にも、もう戻ってくる車が何台かすれ違った。
「タワーダンジョンの上層下層と違って、城の裏にあるメインダンジョンは時間の流れも違うみたいなのよ。
どの位、時間の流れに差があるのかは、中に入って出てきてみないと分からないのだけれど、必ず入って出てきた時間経過だけはみんな一緒らしいわ。
どれだけ長くかかっても、逆にたとえ入ってすぐに戻ってきたとしても、一時間きっちり時間が経過するみたいなの。
いずれにしてもパーティごと変化する、可変ダンジョンらしいわ」
「え……なにそれ。絶対に行きたくない……」
そんな篤紫の感想など関係ないようで、車はお城の裏に向かって走っていく。
『桃華よ。やけに詳しいが、全てその小冊子に書かれておるのか?』
「ええ。アディレイド王国についての案内冊子だけれど、ページの八割近くはダンジョンについて書かれているわ。そのうち九割近くが、ここアディレイドタワーダンジョンに関する記述ね。
それだけ、ここのダンジョンが国にとって重要な施設みたいなの」
『ふむ、そうなのか。見た目は普通の本だが、その本から何やら妙な魔力を感じるのだが……まあ、悪意は感じぬから問題ないであろう。
ところで、このメンバーで本当に大丈夫なのか? 夏梛かペアチフローウェルを連れて行った方が、良いような気がするのだが』
「篤紫さんがいるから、何も問題ないわよ」
思わず桃華の顔を見ると、しっかりと頷いてきた。
さすがにそこまで信頼されていると、嬉しいものだな。魔力があっても大して魔法が使えないし、できることといえば反則的な魔道具が作れる程度なのだけれど。
やがて、止まっている車列の後ろにつく。
少し先には、車がそのまま通れるくらいの大きな門が、円弧を描くように並んでいた。数を数えてみるとかなりの数の門があって、二十まで数えたところでやめた。
たぶん百門くらいあると思う。
門の上には信号があって、青信号の門には入れて、赤信号の門には誰かが探索中のため入れない仕組みになっているようだった。
それでも、きっちり一時間で回転していることもあってか、それほど待たずに入ることができそうだった。
車列は順調に捌けていって、篤紫たちの車の番が回ってきた。
扉の一つが開き、中から探索者の車が出てきた。そして、すぐに扉の信号が青に変わった。
「それじゃあ、ヒスイちゃん。お願いね」
桃華の言葉に、運転席のヒスイがしっかりと頷いた。
そのまま、引き返したい篤紫の願いはやっぱり桃華に届かず、開いた扉の中にある真っ白な空間の中に、魔神晶石車はゆっくりと入っていった。
門をくぐると視界が真っ白に染まった……。




