開幕の時 この始まりは旅の神の戯れによって
「始まりの町か……ここから始まったんだったな」
眼下に広がる町に思いをはせ、ぽつりと少女はつぶやいた。
少女がいるのは空に浮かぶ島。
地上に住まう人々には、伝説の空中庭園と呼ばれている。
空を移動する庭園の縁。
空中と庭園との境界から、下の様子を眺めていた。
「……そろそろ王都へと到着します。皆に号令を」
傍に控えていた女性に声をかけられ、少女は庭園の中央へと戻る。
浮かべられていた微笑はふっと消え、冷徹な表情が顔を出した。
東の魔王、クオウ。
それが、この少女の名前だ。
自然豊かな庭園の中央にある広場では、人間と亜人の連合軍が整列していた。
彼らの前に立ち、少女はその口を開いた。
「これよりデガント王国王都を攻め滅ぼします。狙うは国王ロイドおよび王族の首。刃向かう者に容赦はいりません」
誰一人として動かない。
ぴたりとクオウの放つ次の言葉を待っている。
「全員、気合を入れなさい――我らの敵を……蹂躙します!」
轟く鬨の声。
この轟音は、彼らの向かうデガント王国の王宮を震わせた。
「降下せよ! 我らの同胞を守るために!」
羽根を持つもの、空を飛ぶことのできるものは、単身庭園から飛び立ち。
そうでない者は、天馬、グリフォン、ドラゴンに騎乗して地上を目指す。
「私たちも参りましょう」
女と共にクオウは巨大な白銀の狼に飛び乗り、自らも庭園から飛び降りた。
狼が宙を駆け、混合軍の天馬たちを追い抜いていく。
一番槍はドラゴンに乗った青年。
ドラゴンのプレスと彼の拳から放たれた光線が、城壁の結界に穴を穿つ。
王都を守るため、グリフォンに騎乗して飛び出てきた騎士たちを蹴散らしていく。
飛び交う魔法。
切り裂く刀剣。
轟く咆哮。
響く悲鳴。
空も地も叫喚の戦場へと変わっていく。
クオウも大地へと降り立ち、その戦場に飛び込んだ。
彼女の両手に握られた二振りの刀が騎士たちの首を次々に切り裂いていく。
気付けば少女の姿は城壁の中にあった。
誰も少女には目もくれない。
そこにクオウという存在がいないかのように。
静かにクオウは王宮へと踏み出した。
「天運は反転した。今日がデガント王国、最後の日だ……」
これは、いつの日かに訪れる未来。
未だ訪れぬ可能性のうちの一つ。
しかし、最も現実のものとなる可能性の高い未来。
運命の女神が見た、この世界の未来。
女神はその未来へとつながる糸を手に取った。
果たしてこの糸が世界へと織り込まれ、未来を創るのか。
剪定されて別の未来が選ばれるのか。
それはまだ、女神にすら分からない。
地上の遥か上空。次元すら異なる場所に存在する神々の住まう天上。
そしてその天上のさらに上にある運命の女神の神殿。
神々でさえ容易に訪れることの許されぬ運命の地。
運命の糸が絡まぬよう、女神は独りここで面倒を見る。
女神の眼には世界が行きつく可能性が。
幾つもの未来が見えていた。
『邪神へと落ちた旅の神……どうやら、あなたの思い通りには進みそうにもありませんね』
今頃、地上の神殿で人間の王と密談を交わしている旅の神へとそっと呟いた。
しかし、その呟きを聞き届けるものは、この神殿にはいない。
地上の神殿で。
旅の神とデガント王国国王ロイド・ヴァン・デガントの密談が行われていた。
「ああ、神よ。ようやく積年の願いを果たすことができます」
『そうだな、ロイドよ。これほどに大掛かりな儀式が完成したのも、お前の信心深さゆえだ。この魔が跋扈する地上で、こうして神と言葉を交わすことのできるお前には期待していたのだ』
「ありがたき幸せ」
天上には神々がおり、地上にはモンスターが生み出され続ける。
それでも、人々は今日もしぶとく生き続けている。
そんな世界。
そんな世界で人間が作った大きな国の一つ、デガント王国。
その王都にある神殿で、彼らの密談は幾年も重ねられていた。
「しかし、予行通りに事が進むかどうか……」
『そう案ずるな。予行でも勇士たちの召喚には何の問題も起きなかった。後はこの我らの大地へと招くだけだ』
「βテストでしたか……しかし、あなた様の創りだした仮初の王国へと招いたのは、二千。此度の一万とは数が違いすぎます」
『くどいぞ。お前は心配性に過ぎる。そんなことでどうする。あと一月もすれば、召喚する勇士たちの数は増えていくというのに』
「も、申し訳ありません」
これから、この一人と一柱によって、世界を震撼させる大儀式が執り行われようとしていた。
それこそが、勇士の召喚。
脅威を増してきたモンスターに対抗すべく、王国の書庫より蘇らせた禁術中の禁術。
数刻後には、この儀式によって勇士たちがこの世界に招かれようとしていた。
「これで魔の物を滅ぼすことが叶いましょう。亜人たちにも大きな顔をさせずともすむ」
「一年だ。一年の間、勇士たちの魂はこの世界には定着しない。彼らの世界とこの世界を行き来することになる」
「はい。完全なる召喚までに彼らを我が王国の臣民にしなければなりません。そのために、彼らにはこの世界を存分に楽しんで貰わなくては……死んでも甦るうちに」
「ではな、ロイドよ。俺は天上にて対となる儀式を開始する。地上の儀式は任せたぞ」
「ははっ、このロイドにお任せを」
眩い光をまき散らし、旅の神は天上へと帰還する。
旅の神の神殿では、既に彼の配下の者たちによって儀式の準備は整えられていた。
「ハハハッ、やっとだ。これで、永年待ち望んだ遊戯が始められる!」
旅の神は邪神へと堕ちた。いたずらに混沌を作り出す悪しき邪神へと。
これより始まる大儀式も神の退屈を紛らわすための、ただの遊び。
ロイドの発掘した古い文献も用意したのはこの旅の神。
この世界に勇士召喚の術式など存在しなかった。今回のお遊びを思いついた旅の神が腕の一振りで創りだしたもの。
「早く来い、異世界の旅人たちよ! 俺を楽しませろ」
神自身が楽しむために、旅人たちを楽しませる趣向の数々を考えよう。
褒美だって授けよう。
それで、彼らが強くなるというのなら。
「お前たちには一年間の猶予が与えられた。その間に強くなれ。死んで死んで、強くなれ」
他の神々とも、数々の契約を結んである。
旅の神の権能だけでは不可能なことも、可能となる。その中には、死神との契約もあった。
「俺はそんなお前たちを見て、強くなったお前たちを潰す瞬間を心待ちにしておこう」
これより召喚される者たち。
ロイドが勇士と呼び。
旅の神が旅人と呼ぶ。
彼ら自身は自分たちのことを何と呼ぶか。
それは……プレイヤー。ゲームのプレイヤーだと答えるだろう。
勇士は、旅人は、この世界をゲームだと思って招かれる。死んでも甦る架空の遊戯の盤上で遊んでいるのだと。
しかし、それは間違いだ。
この世界は間違いなく、確固とした異世界だ。この世界に生きている者たちはNPCではなく、命を持った生命体。
そんなことは知らず、彼らはこの世界をゲームだと思って挑むだろう。
「一年の間に強くなれ。全力で遊んでやる」
一年後には、死ねば蘇らぬ体になるとは知らずに。
「……弱いままなら死ぬだけだ」
ただただ、ゲームをゲームとして楽しむために、続々とこの世界へとやってくる。
「さあ、異世界の者たちよ――ゲームスタートだ」