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[真実という墓場] 記憶屋の商売は記憶の売買 あの嘘がほんとに、あの真実が 虚実混濁とあいなる 記憶屋は社会の出入り口に立って 人を観察している 本能を求め、騙し合いの求愛に 身を任せる男女には よく、社会の鎧が売れるらしい 真実の姿は、23時を廻った 居間の晩酌にある 野球に一喜一憂し、ゲップ ケツをかくのだ 真実の愛はだらしがない 授かった知恵 それも愛 記憶屋は信じることは未来だと言う 入り口の逆の道でも商売はできる 記憶という一種 空間を遡る過去を信じてみる 信頼は時として 人を裏切り 傷を残す 信じる未来というのは どこか神格化した事象をなぞることだ 記憶の中で真実という客体化に 晒された事象も どこか認知の世界では 後ろめたさなど無く決まっていく 商売なのだ それは この社会システムが 結論と規定の枠組みで 進む以上 そこからは 逸脱できない 神は 救いなのだ 社会システムの墓場なのだ