4:愛娘を見つめる魔狼とユニコーン
(魔狼フェンリル視点)
すやすやと眠る白い娘を眺める。
なんとも心地さそうな顔をしていて、ふっと目元が和らぐ。
……が、目尻には真珠になり損ねた涙が滲んでいる。
少しだけ体をすり寄せて、毛の先端ですくい取ってやった。
涙が私の毛先に吸収されると、おそろしく甘美な魔力が体を巡る。
死にかけていた魔狼フェンリルを蘇らさんばかり。
なんという娘なのだ。
先ほど、この娘の名前の一部をもらった時から、だんだんと若返っている気すらしている。
口から冷気を吐き出した。
しなびていた木が白く凍り、みるみる幹を太くして活力を蓄えていく。
……本当に力が戻ったか?
なあ、エルよ。オマエは……
<フェンリル様>
感動すらしながらエルを眺めていると、聖獣のユニコーンが姿をあらわす。
<どうした>
<その娘。……あまりに異質なのでは>
<ふむ。それは私も思った。エルは、異世界の娘だと自己申告していたな>
ユニコーンがこれみよがしにため息を吐く。
そう不審げに眺めるのではない。
<この世界には異世界のものがたまにまぎれ込みます。小道具ばかりで、人間という前例はなかったですけどね。
これから、どうなさるのですか?
フェンリル様の代替りで「依り代」になるフェルスノゥ王国の姫君は現れず、この娘が割り入った……。
フェンリル様の魔力にはなんとか馴染んだものの、おかしな変化をしている。
正式な「依り代」ならば、後継にふさわしい獣の姿になるはずなのに>
<そう鼻息を荒くするな。それにただの娘ではなく、もう愛娘だ。エルと呼べ>
<フェンリル様に無礼な娘には好感を抱けませんね!>
この者はフェンリルの後継の補佐になるというのに、自分の感情で動きすぎる。
まだ未熟すぎるな。
それに、
<私の判断に対して無礼なユニコーンだ>
そう言って睨みをきかせると、若いユニコーンが震えた。
<も、申し訳ございません……!>
<そうだな。不愉快な気分になった。まあ、ねちっこく責めるつもりはない>
ユニコーンがホッとしているのが分かる。
この種族は希少だ。
高度な治療魔法でずっとフェンリルを支え続ける。
だからエルにとっていなくてはならない存在だ。
あえて溝を深めることはしない。
<先ほども言った通り、この者はすでに私の魔力と同調して変化している。
それは素質があったということだ。
一般人だとすでに死んでいるだろうから。
依り代には莫大な魔力を持つ優秀な王族が選ばれてきたが……フェンリルの魔力に食われて人の記憶を失い、魔狼として生まれ変わる。
フェンリルの魔力を吸収してもなお自分の姿を保ち続けることができたエルは、とびきり優秀だと考えていいだろう。
何の不満があるのだ?>
<…………。不満、というよりも、未知なるものに対する不安だと思います>
おお、素直な意見が返ってきた。
この者はフェンリル種族のこれからを心配している。それが反抗の元か。
もう少し肩の力を抜いてもいいと思うのだが。
<私とて前例のない、雄の依り代だった。歴代の依り代はいつも姫だったが、その時には流行り病で年頃の姫たちがみな死んでしまったので、一番優秀だった王子がフェンリルとなった。記憶を失くしたが、そう王国から聞いている。
しかしフェンリルとしての役割をこなすことができただろう?
何事もやってみれば上手くいくかもしれないじゃないか>
まだユニコーンの表情は晴れない。
異世界人、となると性別以上に不安を抱くのは仕方がないだろう。
<フェンリル様は依り代役の王族として、あらかじめ魔法の使い方などを訓練なさったでしょう。この……この方は、無知です。はたして冬を呼び、大地を富ませる役割をこなせるのでしょうか?>
<はあ。先のことを憂いても仕方あるまい。今はゆっくり回復させてやろう>
<……フェンリル様。あまりに甘いのでは?>
<愛娘だぞ。甘やかして何が悪い>
ユニコーンが半眼でじっとり見つめてくる。まったく。
<私もはるか300年前の幼狼だったころ、たくさん甘やかされた記憶がおぼろげにある。
先代の魔狼にな。すぐ死んでしまったのでほんのわずかな期間だったが……。
魔狼になった時に人としての記憶は消えた。しかし先代の愛情があったからこそ、先代が守っていたこの土地を愛おしく思うことができたのだ。
まずは、エルにも愛情が必要だ>
<………………………………納得しました。ユニコーンのグレアは、冬姫エル様を補佐して、今後の成長を見守りましょう>
ユニコーンが丁寧に前足をおり、礼をする。
……グレアか。そういえばそんな名前だったな。年をとると忘れっぽくなっていけない。
そうだ。
にや、と笑うと、グレアが驚いて一歩引く。
<ああ、よろしく頼む。
エルのことは気長に見てやってくれ。時間はたっぷりあるのだから>
<………………? 代替りの時期なのですから、もう余裕などないのでは?>
まあ年寄り扱いは仕方がない。
実際に、あと1年ほどで死ぬ予定だったのだから。
<見ていろ>
フーーーっと細く息を吐きながら、周囲の草木を凍らせてみせる。
雪と氷の下で大地が蘇る様子を、グレアが唖然と見つめた。
<……力を取り戻されたのですか……!?>
<エルのおかげだ。この愛娘の溢れんばかりの魔力により私まで回復し、名前の一部を譲られたのでどうやら若返ったらしいな>
<名前を捧げたのですか!?>
グレアがエルを見る目が変わったか?
名前はそのものの命だ。
異世界ではどのような扱いだったのか分からないが……愛娘エルは、生命力の三分の一を私に譲った。
それでなお、全盛期のフェンリルを超えるほどの魔力を残している。
まだ成長前だというのに、とんでもないことだ。
<このエルも、フェンリル様を慕う一員ということなのですね>
それはどうだろう?
まあ、恍惚と自分の世界に浸っているグレアの邪魔はしないでおこう……。都合よく解釈してくれるなら、それでいい。
私は「うるさーいベッドになっててー」などと言ってのけたエルの様子を思い出し、喉の奥で少し笑った。
ーーあの時、アンデッドが現れたのかと一瞬思ったのだが。
この国では見たこともない、芯まで夜で染まったような真っ黒な髪に瞳、全身黒い妙な服、土気色の具合の悪そうな顔。若い娘とはとても思えない可哀想な姿だったな。
元の容姿は良かったのだろう、眠ってフェンリルの魔力と同調したら見違えた。多少容姿が変わっただろうが、顔の作りはエルをベースにしているのだから。
私の愛娘は、心も体も美しい。
……エルの名前の一部を受け取った時、記憶をすこし共有した。
灰色の硬質な建物が並ぶ異世界で、エルはあまりにも理不尽に痛めつけられていた。
仕事の詳細など分からないが、あのように働きづめで、他人から悪意たっぷりに小言を言われ続けていて心が壊れないほうがおかしい!
<オマエと出会えて良かったよ>
ああ、本当に、生きていてくれて良かった。
あたたかな手で撫でられて、とても心地がよかったよ。
そう伝えたら、嬉しそうな顔をしていたから、また、言ってやろうか?
愛娘の微笑む顔は愛おしかった。
<おねむり>
たくさん甘やかそう。
エルは頑張りすぎていたんだ、今度はゆっくりと幸せになるといい。
魔狼としての仕事のことはまあ、おいといて。
私は愛娘の幸せをただ祈った。
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