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第5章 2018年9月7日

 その次の日も、俺と佐倉さんがbocketに振り回されるのは変わらなかった。俺は体育の授業でバスケだというのに相手チーム全員からのタックルを受けて伸びていたし、佐倉さんは職員室に入ったときに窓からつむじ風が吹き込んで机の上のプリントが飛ばされ作成中の英語の試験問題が見えてしまったのを、教師に不正行為ととがめられ成績に大きな減点がついた。打開する筋書きは全く見えない。

 授業も終わって明日もこの苦境が続くのかとうなだれながら廊下を歩いていたとき、視線の先で檜原君(俺を吉崎と友達関係にさせた宿敵だ)ともう一人の男子生徒が押し問答しているのが見えた。

「檜原君のジャズを聴かせてよ」

「いや、俺は聞く方で、演奏はしないんだ」

「そんなこと言って。能ある鷹は爪を隠すんだね」

 相手の男子は少々慌てている檜原君の腕をつかみ、廊下の奥へと引きずっていく。

 なにが起きた?

 ピンときた。bocketの呪いが檜原に来ている。

 俺は後をついて行くことにした。檜原君が引きずられていく先は体育館。歩きスマホでStringを立ち上げ、チームの各人に連絡。


                    檜原君が

                    bocketの呪いに引っかかったらしい。

                    今、他の生徒に引きずられて

                    体育館に向かっている。

                    見るか?


  (高加良)

  連絡サンクス。今から行く。


  (相沢)

  暇つぶしにはなりそうね


  (佐倉)

  人が笑われるのを見るのはちょっと嫌です


                    佐倉さん、

                    こういうときこそ笑っていいんだよ

                    体育館に来て


  (佐倉)

  楠木君がそう言うなら行きます


 檜原君の10メートル後ろをついて行って、連れ込まれた体育館に入ってみると、フロアには数十人の生徒が座っていて、舞台には吹奏楽部員が楽器を持って並んでいた。檜原は三人がかりで抱えられ、抵抗もむなしく舞台に押し上げられる。

「檜原君、僕たちにジャズを教えてよ」

「かっこいいところを見せてよ」

 フロアの生徒から声援が飛ぶ。こいつら、檜原が演奏するところを聞きたいのか?

 そうだ。この体育館のフロアに集まった聴衆も、舞台に楽器を持って並んでいる吹奏楽部員も、檜原がジャズを演奏するというbocketの呪いのエキストラだ。

 扉から高加良と相沢さんが入ってくるのが見えた。俺は手招きした。二人は俺の横に座った。

 相沢さんはあきれ顔で周囲を見る。

「ずいぶんと豪勢な仕掛けね」

 高加良は楽しそうだ。

「これだけの舞台を整えてもらったんだから、精一杯演じなきゃ損なんだけどな」

 舞台上の檜原は「そんなこと言われたってできない」「嫌だ」「止めろ」と次第に抵抗の声を大きくし最後には叫んでいたが、吹奏楽部員に勧められ楽器を手渡される。よく知らないけど、サックスと言うんだっけ?

「檜原!」

 フロアから歓声が飛んだ。その一声を合図に。

「檜原!」

「檜原!」

「檜原!」

「檜原!」

 フロアから檜原の演奏を待ち望む聴衆の声が響く。立ち上がって叫んでいる奴もいる。プロのコンサートでもなかなかない熱気だ。

 聴衆の声に後押しされ、吹奏楽部員が演奏を始めた。檜原と同じ楽器を持った吹奏楽部員とピアノ担当が軽快な曲を鳴らし始める。俺、何の曲か全然分からねぇわ。

「ガーシュインの『ラプソディ・イン・ブルー』ね。定番じゃないの」

 相沢さん、知ってたのか。やっぱり相沢さんは檜原と趣味が合うんじゃないのか?

 檜原は舞台の上で聴衆に背を向け吹奏楽部員に対して「止めろ」と叫ぶが、演奏は止まらない。曲が盛り上がったところで、吹奏楽部員の一人が手を振って檜原に演奏を促した。舞台から「檜原!」「檜原!」とコールが飛ぶ。

 耐えきれなくなった檜原がサックスのリードに口をつけた。

 音が、出ない……

 当たり前だ。練習を全くしていない人間が吹奏楽部の楽器なんか演奏できるわけがない。

 フロアから熱気が消えた。そして訪れた、寒い空気。

「ええ~?」

「吹けないの?」

「いつもの大口はなに?」

 聴衆から漏れ聞こえる疑念の声。そして次第に、フロアが笑い声に満たされ始めた。

 壇上から檜原が怒りながら叫ぶ。

「俺が演奏なんかできるわけないだろ!」

 フロアは不満は収まらない。

「いいからやれ!」

「言い訳するんじゃねえ」

 多人数の罵声に押されて、サックスのリードに口をつける檜原。音は、出ない…… フロアから体育館を埋め尽くす笑い、笑い、笑い。

 俺も思わず笑ってしまった。いい気味だ。

 そのとき遅れてきた佐倉さんが俺の横に座った。その顔は無表情。

「佐倉さん、笑えるでしょ?」

 佐倉さんはなにも答えなかった。

 みんなの笑い声の中で、一番大きく声を上げている人間がいるのに気がついた。吉崎とその取り巻きだ。

「どうして吉崎が笑ってるんだ?」

「檜原は切り捨てられたんだよ」

 高加良があっさりと答えた。

 相沢さんが後を継いだ。

「檜原君は生徒を集めて勝った気でいたんでしょうけれど、檜原君にはきれい事しか言わないプライドがあるのに対して、吉崎君は目的のためなら手段を選ばないわ。きっと吉崎君は暴力をちらつかせて、他の生徒たちに檜原への『ウケた』の献上を止めさせて、自分たちに『ウケた』をかき集めたんでしょうね。搾取できる奴隷が集まったら、もう檜原君は用済み。切り捨てる上に嘲笑まで浴びせたわけよ」

 壇上の檜原の顔が苦痛にゆがむ。この世の終わりであるかのように。たしかに大勢に笑われてるけど、別に吹奏楽部員じゃないんだから、大した恥でもないのに。

 そうか。やっと分かった。檜原は、他人を笑うのに、自分が対象となる笑いはすべて耐えられないんだ。

 もし俺が舞台上にいたら。ぶち切れて悪態をつくだろうけれど、その場で終わりだ。高加良だったら、晴れの舞台を最大限楽しむはずだ。聴衆の笑いをもっと盛り上げて、馬鹿話として丸く収めるだろう。

 檜原は笑いの収め方を知らない。受け流し方を知らない。自分が笑われる側に立たされたとき、笑いの矢はすべて檜原のプライドに突き刺さり、すべての傷口から血がどくどくと流れ出す。

 舞台上の檜原の目は虚ろだった

 高加良はため息をついた。

「檜原君、本当は頭が悪いんじゃないかな。文佳に数十年の将来の話をしたよね。そんなにうまくいくはずがないんだよ。自分が望んだものがすべて手に入るわけがないのに。神様は、いかなる内容だろうと、約束はしないんだ」

「高加良、論旨には同意するけど、最後の決めぜりふは格好つけすぎてて高加良らしくないわ。たしかなことはいくつもある。例えば、人間は必ず死ぬ。他にも逃れられない物はたくさんあるわ。それに、そもそも、bocketのボケが必ず成就するから今の問題が起きてるんじゃないの?」

「俺、いいことを言おうとしすぎたかな」

「ちょっと狙い過ぎね」

 高加良と相沢さん、なに喋ってんだ? 全然分からねぇ。でも、相沢さんが檜原でなく高加良を選んだのは、こんな軽口をたたけるから、なんだろうな。

 檜原がサックスを舞台上の吹奏楽部員に渡し、袖口から去って行く。その歩き姿には力がなく、風に吹き流される枯れ葉のように見えた。吹き流す風は、フロアからの笑い声だ。

 裸の王様が、体育館から消えた。

 それを佐倉さんは無表情で見送った。

「佐倉さん、これを笑わないなんてもったいないよ。今までの鬱憤を晴らせばいいんだから」

「私、これは笑えません」

「どうして? 完全に愚か者の失敗なんだから」

「だから笑えないんじゃないんですか」

 これは謎かけか? と思ったとき、自分なりの答えが出た。佐倉さん、優しすぎるよ。こういうときに笑っておかないと他で笑う機会なんてないのに、相手のことを気遣うなんて。

 俺の笑いは、少し苦くなった。


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