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第4章 2018年9月6日

 翌日、俺たち四人はbocketの現状というか実態について認識を合わせるために集まることにした。同級生の会話やネット情報で、bocketの噂が出そろってきたからだ。

 集まったのは、以前から使っていた児童公園。学校が終わってから向かう道すがら、俺たちはそれぞれの小遣いで飲み物を買った。俺がダイエットコーラ、高加良が無糖コーヒーのでかいの、相沢さんがミネラルウォーター、佐倉さんは前と同じく無糖紅茶。公園のベンチは四人には狭いから、女子二人が座って、俺たち男子は立ちっぱなし。俺は体格通り体力が無いし、高加良も帰宅部だから体力に自信は無いけど、男である手前、疲れた顔は見せられない。

「bocketの一番の特徴は、死者が出てないことなのよね」

 相沢さんが俺たちを見ながら言い切った。

「待ってよ。死人が出たってつぶやきが拡散してたでしょ」

「山形で木造家屋がコントのセットよろしく倒壊した件? あれならデマだと検証されてまとめサイトに載ってるわ」

 教えてもらったURLを見ると、広く騒ぎになって義援金まで集まりかけたところで市役所が否定する発表を行い最初に書き込んだ人間が袋だたきに遭っていた。

 高加良は飲みかけのコーヒー缶のふたを閉めた。

「さらに言うと、けがもほとんど無い。運悪く骨折や脱臼したのが数件で、多くはかすり傷程度。うちの中学校で一番派手だった、力士に張り手された小栗も、打ち身ですんだもんな。運がよかったって言われてるけど、むしろbocketに守られてるって感じがする」

「守る? bocketが? あれだけ人に迷惑をかけといて?」

「ゲームから降りさせないつもりなのよ」

 相沢さんは再び言い切った。

「bocketの単語候補には、『死ぬ』は出ないし、ネットの隠語の『氏ね』も出てこない。さらに精神疾患を引き起こした報告もなく、『鬱だ』という言葉や『電波系』という単語も出てこない。身体は無事。心も狂わない。覚めた頭で、自分が何をしているのか分かっている状態で、ひたすら自尊心を削っていくのよ、bocketは」

「私、bocketをアンインストールしようとしたんですけど、できなかったんです。ボタンが白くなってて…… 皆さん、止めないんですか?」

 佐倉さんがおずおずと訪ねると高加良は小さくうなずいた。

「アンインストールできないのは全員一緒。それどころか、機種変してもダメ。うちの学校だと、二年生の桐谷さんが初日に親にせがんで機種変してもらったんだけど、新しいスマホにはbocketがプリインされてて、しかも桐谷さんのアカウントでログイン済み。もう一度機種変したいと言ったら親に叱られたそうだよ」

「高加良、その話だけどさあ、誰かが桐谷さんを罠にはめたんじゃないのか? 新しいスマホにbocketがプリインなんてされてないだろ?」

「そもそも物理法則なんて無視してるのよ」

 相沢さんが、この馬鹿が、と言いたげに、ため息をついた。馬鹿にしやがって。と、いらだちが顔に出たが、相沢さんは意に介さない。

「そもそも、bocketは通信しているわけだから、サーバを止める、あるいはP2Pなら最終的には通信のブロックも辞さない、というのは携帯電話会社も動いているわけ。それで通信ログを調べたら、国内のある賃貸アパートの一室の光ファイバーに通信が集中していたの。今の光ファイバーって家庭用でも速いでしょ? 個人がいたずらで立てたサービスだと当たりがついた、はずだったの。ところが、その部屋はbocketのサービスが始まる三ヶ月前に住人が出ていて今は空き部屋、通信契約は偽名、さらに、ここが重要なところなんだけれど、空き部屋に放置されていてある意味電気を盗んでいたルーターの先には何もつながっていなかったわけ。その部屋にやってきたパケットはどこかに消えていて、どこか虚空からパケットがわき出してルーターから外部に送信されていたってわけ。それでもいいからって、その光ファイバーは停止されたわ。それが騒ぎの三日目。今でもbocketのサービスは止まってないでしょ? それ以来、bocketの通信は日本中のばらばらの場所に向かって流れ、互いに交差していない。パケットが相手に届いてないのよ。それでも、私たちが送ったボケは相手に届き、参加者が矛盾のない履歴を確認しているわ」

「おかしいでしょ、相沢さん。ITなんだから、技術者が調べれば分かるでしょ!」

「確認されたのよ。物理法則を無視していることが」

 喧嘩腰の俺に、相沢さんが冷たく返した。佐倉さんがおろおろと俺たちを見て、高加良が俺たちを両手で制した。

「一息入れよう。な?」

 高加良は自分のコーヒー缶を俺たちに見えるように持ち上げる。俺たちはペットボトルに口をつけ、一口だけ飲んだ。いったん静かになったところで、相沢さんが口を開いた。

「そもそも、どうして匿名のボケが必ず現実になるの? そんなに運良くいくと思う? 運そのものを操作しているとしか言い様がない事態なのよ。bocketって、時々、人の頭の中をいじるでしょ。小栗君の彼女の飯塚さんみたいに。あれは精神を改変していると言われているけど、精神は脳の物理活動なのだから、精神にしか影響が出ない範囲で物理現象を操作しているはずなの。やろうと思えば何だってできるのを、わざと手加減してるのよ。おちょくってるようなものだわ」

 相沢さんは次第に小声になった。いらだち疲れていた。俺は黙って、相沢さんのいらだちを最後まではき出してもらうことにした。

「そもそも、bocketは利用者が何も考えなくてもボケができるように独自のアルゴリズムを搭載しているという触れ込みだけど、2018年現在、AIは人間の作家と同等の小説を書くに至っていないわ。小説を書けないのに、どうして意味があるボケができるの? ITだから新規技術がめざましい成果を上げたと信じやすいけど、そもそも現代の技術の範疇じゃないわけ。相当な悪意を持った何かが、人間を困らせるべく、単語を選択してコントロールしていると見なしてもいいくらいよ。私たちの現状が、一つの物語なら、スマホのアプリが引き起こしてるけど、SFじゃないわ。Scienceじゃないもの。これはホラーか……」

 相沢さんはいらだちを吐き捨てた。

「ただのナンセンスギャグよ」

 黙ってしまった相沢さんを高加良は穏やかに見守る。

「まるで神様のようだけれど、実際に神様の噂もあったよね?」

「あんな噂信じてるの?」

 相沢さんが力なくつぶやいた。

「あの……神様ってなんですか?」

「bocketは名前も知られていない神様が動かしている、という噂だよ」

 佐倉さんの疑問に、俺が答えた。佐倉さんは目を丸くした。

「神様なんて信じてるんですか?」

「信じるどころか、人間と話をしたって噂がある。話をした人間が、みんな地獄の苦しみだっていう話だ」

「楠木も聞いてるんだな」

 高加良は冷静に応えた。そうだよな、耳が早いからな。

「高加良の方が詳しいんじゃないのか? 噂話に強いし」

「どこまでいっても噂だから、信憑性はないけどね」

 俺は話を継がなかった。その意図を見て取った高加良が、佐倉さんに説明し始める。

「bocketの利用者の中で、毎日一人だけ、同じようなストーリーをたどっている人がいる、という都市伝説が広まっているんだ。その人は朝になると『神様と通話をする』という匿名のボケを受け取る。その後は、スマホの電源を切っても時間になると電源が入るし、バッテリーを抜いても他の用事でどうしてもバッテリーを入れなければいけなくなって、結局、bocketに無いと思われていた通話機能の呼び出し音が鳴るんだ。受話ボタンを押すと相手は『神様』と名乗る男性で、『bocketを始めて笑いが絶えない楽しい生活だろう?』と尋ねるんだ。馬鹿にしているようなもんだ。電話に出た人は罵詈雑言の限りで『神様』を名乗る男を罵倒するよ。だけど相手はうろたえる様子もなく、怒り疲れた人の方が通話を切って終了。すると、その人のbocketは、次の日から受け取ったボケがすべて匿名なんだ。相手が名前を明かして送ったボケも匿名になってしまう。そして、全部現実になる。毎日いくつもいくつもボケが現実になって、生活が破綻してしまう。というストーリーなんだな」

 佐倉さんの、ペットボトルを持つ手が震えている。

「そんなの、怖いです」

「決まりきったフォーマットだからテンプレという説もあるわよ。不確かなものを何も知らない子に信じさせて不安にさせない方がいいわ、高加良」

「事実だけを伝えるんじゃなくて、噂があるということも伝えとかないと、デマに対するワクチンにはならないからね」

 落ち着いたらまたいらだちが吹き出してきた相沢さんを、高加良がやんわりたしなめた。

「結局、嘘なんですか?」

「本当か嘘かは誰にも分からない。『噂が広まっている』ということだけ知っていればいいんだ」

 結論を急ぐ佐倉さんを、高加良がやんわり諭した。

 こんな、聞いてて暗い気分になる話はいったん止めたい。話を変えよう。

「じゃあさあ、高加良、噂レベルでいいから、bocketから抜けた人はいないのか?」

「いないねえ」

 高加良は首を横に振った。

「機種変がダメなら解約、は誰もが考える。でも、bocketに参加している人間は、携帯ショップに行ったら目の前で臨時閉店したり、顧客管理システムがトラブルを起こしたり、まあ、ありとあらゆる妨害行為が起きて、結局解約できなかった」

 やっぱし、そうなのか。

「スマホを解約したいと親に言ったら、親に見せたときだけアプリ一覧にbo

cketがなくって、親に嘘つき呼ばわりされた子どもが多いっていうしな」

「崖からスマホを投げ捨てようとしたらどうしても手が滑り、足で踏みつけようとしたら自分が転ぶ、『Unbreakableスマホ』なんて動画もあったわね」

 俺のぼやきに、相沢さんがかぶせた。

 bocketの騒動は、手段を選ぶことなく、俺たちをおちょくり続けていた。

 そのとき、道から公園に入ってくる二人の人影が見えた。

 ここは児童公園だ。小さな子どもとその保護者が来る場所で、俺たちのような思春期の人間は本来は来ない場所だ。

 こんな場所に入るのは俺たちだけだろうと思っていたら、俺たちより一つ二つ上の高校生とおぼしく男子二人が入ってきて、俺たちに近寄ってくる。

「君たち、何しているの?」

 話しかけた男子の顔は極めてにこやか。少々笑い気味。

 人づきあいに慣れない佐倉さんの顔から表情が消えた。話しかけた男子はそれを見て、俺たちは『友好的ですよ』と言いたげに笑いかける。

 先に言ったように、年の頃は俺たちの一つ二つ上で高校生だろう。二人とも私服。いったん学校から家に帰った後か。話しかけた男子は1950年代の女優の顔が入ったTシャツとスキニー、ちょっと髪の毛が明るい。もう一人はミリタリージャケットとカーゴパンツの両方がカーキ、これは狙ってるな。二人ともなかなかのイケメンで、女の子受けは良さそうだけど、遊び人のにおいを隠そうともしない。

 もう一人が高加良に、笑みを浮かべて文字通り見下す。

「男子一人に女子三人、こんなきれいどころ集めてさあ、そんな贅沢していいの?(笑) 俺たち入れて三対三でちょうどいいんじゃない?」

 俺たち男女のペア二組だし……俺が女子の勘定に入ってる!

 ここはバシッと言ってやらないと。

「あの、俺、男ですから! 男女二人ずつでバランスとれてますから!」

「君~、友達守ろうってのは分かるけどさぁ、柄じゃないでしょ? 駄目だよ~、君みたいなきれいな子が『俺』なんて言っちゃあ(笑)」

 Tシャツ男子は女の子をひっかけたいという欲望丸出しで作ったスマイルを俺にゼロ円で提供する。中学校の連中はなんだかんだ言って俺が男だとわかっているから本気で誘ってくるやつはいないが、これは「本気」だ。俺の身体中にさぶいぼが出そうだ。

 相沢さんは顔に敵意丸出しだし、佐倉さんなんか表情が消えて以前の「怪物」に戻っている。俺含めて「女子三人」から好意を得られているようには見えないのだが、ナンパを仕掛ける二人は小娘を落とすのはチョロいとばかりに余裕綽々。どうすればいい?

 そんな中、高加良は落ち着いて、俺が手に持っているダイエットコーラを見た。

「楠木さん、さっきお手洗い行くところだったよね? 邪魔が入っちゃったけど、女の子なんだから、遠慮しない方がいいよ」

 こら! 「さん」とか「女の子」とか言うな! 別に便所に行く気も無いし。

 ……あ、そういうことか。ここは話に乗ろう。

 男子二人に、ばつの悪そうな顔を見せて、少々しなを作るぐらいで。

「そうなんです。お二人が来る直前に、お手洗いに行こうとしていたところで。ちょっと失礼しますね」

 俺がゆるゆるとその場から離れると、ミリタリージャケット男子が後ろからついてきた。

「なに逃げんの? 別に悪いことしないからさあ」

「本当に、そこのお手洗いに行くだけなんです。戻ってきますから」

「変な奴が来ないように見張っててあげるからさあ」

 ミリタリージャケット男子は、俺が人を呼ぶのを警戒して、すぐ後ろをぴったりついてくる。望むところだ。来い!

 児童公園の隅っこに、壁が薄い公衆便所がある。安い作りで、入り口に扉はなく、男子の小便器は外から見える。

 俺は間違えることなく男子の小便器の前に立った。小なら貯めてなくても少しは出る。俺はズボンのチャックを開け、小便器に小水をちょろちょろと落とした。ミリタリージャケット男子は見た。俺の股間を。

「やべえ! こいつマジで男だ!」

 素っ頓狂に裏返った声に、Tシャツ男子の動転した声が重なる。

「嘘つけ! それが男の訳ねえだろ!」

「マジで『ある』んだって。こんな変態、つきあってられるか!」

 ミリタリージャケット男子が公園の出口で手招きすると、Tシャツ男子も連れだって公園から逃げていく。

 俺はズボンのチャックを閉めて二人に怒鳴り返してやった。

「こら! 人を変態とか言うな!」

 いや、逃げてくれて正解なんだけど。ただ、気持ちが、ね?

 俺が気落ちして公衆便所からベンチに戻ってくると、高加良はケラケラと笑っていた。

「誤解が解けてよかったじゃないか」

「あんなもん、他人に見られたくないわ」

 相沢さんは呆れたように俺を見る。

「というより、そもそもあんたが女の子らしくなければ、あんな奴らも寄ってこなかったでしょうけれどね」

「その件なんだけど、この中で誰かbocketで引っかかってないか?」

 俺たちはそれぞれのスマホを見せ合った。その中で高加良のスマホに「女の子と街を歩いてたら、まとめてナンパされた。マジへこむ……」とあった。

「高加良のせいじゃねえか!」

「この呪いを送った奴が悪いんだろ」

「高加良を守れなかった私のせいだって言うの? もっと弱くて好きな子を守れないあんたが?」

「それを言われたら言い返せないけどさあ……」

 三人で責任のなすりつけ合い。まあ、無事に終わった後だからできることなんだけどさ。

 そんな俺たちを見て、佐倉さんがおずおずと。

「私なんかじゃ、男の人も声をかけませんよね」

 まったく疑問に思っていない佐倉さんの表情。俺たち三人は一瞬固まったと思う。いかん。佐倉さんに責任や気まずさを感じさせてはいけない。

「まあ、bocketの呪いで起きたことだから、佐倉さんは気にしなくていいよ」

「気にしてませんから」

「……うん、そうだよね」

 相沢さんは冷ややかに。

「いつまで続くのかしら、この三文芝居」

 いや、いいんだ。佐倉さんの笑顔が見られれば。


 俺は帰ってからテレビの電源を入れた。大人五人が丸テーブルで険しい顔をしてののしり合っていた。別のチャンネルに変えると、病院のベッドで若い女性が人工呼吸器をつけてインタビューアからの言葉にうなずいていた。電子番組表を見ると、すべてのチャンネルが、討論とドキュメンタリーで埋め尽くされていて、題材が足りないテレビ局は再放送のビデオを持ち出していた。

 日本中が急に真面目人間になったようだった。

 そこにはただ一つ「笑い」が消えていた。

 その時間に一局だけニュースを放送していたので、チャンネルを合わせると、最初の事件のテロップに「スマホアプリのトラブル」と字幕が出て、奇妙な事件との因果関係が疑われるが状況証拠から「呪い」などは「あり得ない」と結論づけられていた。

「皆さん、デマに注意して、冷静に行動してください」

 でも番組から「笑い」を排除したテレビ局自身が「呪い」は「現実」と認めていて、冷静ではなかった。

 日本中が「笑い」を忌避していた。

 日本中が「笑い」を忘れたがっていた。

 日本中が「笑い」とは無関係だと無実を主張していた。

 現実世界が全く笑えないものになっていた。

 俺はテレビの電源を切った。

 夕食を食べているとき、母さんが俺に聞いた。

「ねえ、最近呪いのアプリが広まってるらしいけど、あなたはやってない?」

 夕食を終えた後に俺はスマホを母さんに見せた。

「やってないよ」

 母さんはドロワーをたぐった。そこにbocketはなかった。そう、知られたらプレイヤーをゲームから降ろしかねない人間には「見えない」のだ。

「やってなくてよかったわ。巻き込まれたら大変なんだからね。興味本位で始めたりしたらダメよ」

「わかってるよ。心配しないで」

 そして俺は自分の部屋に戻ったら友達のためにbocketのボケを作るのだ。

 ごめんなさい、母さん。


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