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第2章 2018年8月30日~8月31日

 bocketを始めて2日目、朝起きるとスマホにはメールの他にbocketからの通知が届いていた。高加良と相沢さんからのボケが計2件。学校で聞かれるかもしれないから開く。相変わらずくだらない。高加良だってそんなにいつもいつも爆笑ネタを提供しているわけではないし、相沢さんにいたっては笑いのセンスは壊滅的だ。その二人から毎朝ボケが届いても、日常のつぶやきを読むのと同様の感想しか持たない。知ってるから相手の顔が見えて面白いけど、ネタとしての面白さはないんだ。

 高加良は積極的に勧めていたけれど、こんなアプリを始めても俺の日常はなにも変わらない。

 ほら、読むのも時間がかからないから、家を出て登校する時刻も今までと同じだ。

 俺は家が学校から近いから徒歩通学。もうちょっと遠ければ自転車通学できてかえって楽だったんだけど。同じ中学に向かう生徒を路上で見かけるけれども、呼びかけて会話を交わすほどの仲でもなく、相手もそれは分かっていて、お互いに距離を保ったまま学校まで無言で歩いていく。

 だけど今日は、通学路の半ばで、横道から俺の10mほど先に佐倉さんが出てきた。

 佐倉さんの家が俺の通学路の途中にあるのか、深い関係じゃないから知らない。そういえば、遅刻する生徒はだいたい決まっているけど、佐倉さんが日常生活で校則を破ったという話は聞かないから、もしかしたら普段は早い時間に余裕を持って登校しているだけなのかもしれない。

 そんなこんなで同じ道を歩いて、こんなに長い時間も佐倉さんを見ていたのは初めてだった。

 かわいい。

 俺が学校一の美少女であって欲しくないという欲目もあるかもしれないけど、そんな欲目なんてないと強弁できるほど、かわいい。

 通学路が曲がり角にさしかかったとき、ふと佐倉さんの横顔が目に入る。肩でそろえた髪と大きく開いた目と角がなくなめらかな輪郭が真っ先に顔の印象を作る。そこには「清楚な」を超えた華がある。なんというか、人間って動物だからしょうがない感じがなくて、アニメの美少女っぽい。鼻は細めだけど日本人の平均よりは高め。その下にあまり開かなそうだから食べるの遅そうだなと思わせる口。薄すぎず厚すぎない唇は明るい色。でもテカってないから、きっとメイクはしてないだろう。メイクなんて要らない。十分完成形だ。身長は女子にしては高く165cm前後か。細身だけどわずかながらメリハリを感じさせる。胸も、決して巨乳じゃないけれど、真っ平らな同級生も多いことに比べれば、たしかに「存在する」。俺が女装したって、このかわいさは真似できない。

 だけど…… 表情がよくない…… というか悪い。

 全てに無関心というか「等閑視」という難しい言葉を使いたくなるというか、感情が抜け落ちた空っぽな様から表情が動かない。

 人間らしくない可愛さと人間らしくない感情の欠落の融合。

 これは『怪物』だ。

 街行く人も、たまに佐倉さんを二度見する。ただ単に見惚れて、ではなく、少々怪訝な目で。こんな、良い方にも悪い方にも珍しい容姿をした人はそういない。

 俺も見ちゃう。見て、やましい気持ちになる。

 だから学校の門が見えたときには気まずさから逃げられると思ってほっとした。一瞬だけ。

 校庭から生徒の「やめて!」とか「見逃してくださいよ」という声が聞こえてくる。その横では教師が数人、特に目立つのがジャージを着た体育兼風紀指導教師が、生徒の鞄を強引に取り上げて開けていく。

 抜き打ちで持ち物検査やってるのか!。

 生徒は校門側で立ち止まるのだけれど、もうそろそろ予鈴が鳴るから、どうしても行かざるを得なくて、教師がしかけた網に引っかかっていく。

 俺は今日は変なものは持ってこなかったから大丈夫だ。それでも中を見られていい気はしない。好き好んで見せに行く変な奴いないよ。

 と思ったら、その変な奴がいた。

 「奴」という字は男のことだから、ちょっと違う。佐倉さんだった。佐倉さんは全くペースを落とすことなく教師の近くに歩んでいく。

 俺の横で立ち止まっていた男子生徒が前に歩き出した。俺も、同じことを考えてペースを落とさず歩き続けた。

 ここで後ろをついていけば、佐倉さんの持ち物が分かる。

 野次馬根性の男女数人が後ろにいる中、佐倉さんは体育兼風紀指導教師に捕まり、鞄を取り上げられた。

 まあ、性格に問題があっても、まさか学校にエロビデオDVDなんて持ってこないよね。

 って、え?

 エロビデオDVDを思い浮かべたのは、思い浮かべたのではない、目の前にあったのだ。教員が佐倉さんの鞄から掴み上げたそれはDVDのジャケットで、若い女性がすっぽんぽんでカメラに我が身をさらしており、裏には女性の恍惚とした表情の下方にモザイクがかかっていた。教員は慌てて生徒から隠そうとして、ジャージの下に入れようとたらネコババしてるように見られることに気づいてやめて、脇の下に隠した。

「佐倉、なんでこんなものを持ってきた?」

 ねめつけるような、でもどこかうわずっている教師の言葉に、佐倉さんは眉一つ動かさず、視線も教師を見ているのか分からない表情で、きれいな口で

「間違えました」

 と抑揚なく言った。

 教師は、まるで人形が言葉を発したことに驚いたかのように絶句した。周囲で生徒達がざわめく。教師は佐倉さんからざわめく生徒達に視線を向けて我を取り戻し、右手で拳を作ってブンと横に薙いで

「これは没収だ。お前らも見るな」

 と一喝した。

 生徒達は足早にその場から走り去り、持ち物検査をしていた教師は生徒達を捕まえられず、多くの生徒が持ち物検査を免れた。俺も免れた一人だ。

 しかし、今日はひどいものを見た。佐倉さんの美しい顔が実は特殊メイクで剥いだら爬虫類だった、というものを見せられたのとどちらが幸せだったろう? 佐倉さんと関わりなくてよかった。心の底からそう思う。

 今日の一時間目は体育。朝礼が終わったら更衣室に直行した。男同士で体操服に着替える。俺の身体って貧相だなあと思うなか、隣からにやにやと話しかけられた。

「楠木、今朝の持ち物検査で、美少女と名高い佐倉さんが何持ってきたか知ってるか?」

「俺、真後ろで現場を見たよ」

「女子でもスケベな人っているのかな?」

「さあな。見つかっても無表情だったから、ビデオ見てるときも無表情じゃないかと思えて気持ち悪いよ」

「案外楽しんでんじゃねえの?」

 話しかけてきた奴を見てると、ああ、思春期男子がにやついてるよ。俺だって普段だったら思春期男子としてにやついてるんだけど、佐倉さん本人を見てしまったら妄想は膨らませられないよ。

 着替えて校庭に出ると、体育教師(風紀指導担当とは別人)と先に校庭に出ていた男子生徒が険悪な空気になっている。

「先生、前の授業の時、次はサッカーだって言ってたじゃないですか。なんでランニングになるんですか?」

 生徒が先生をなじると、先生も強い剣幕で応える。

「サッカーボールが全部パンクしてるって言ってきたのはお前らだろ? ボールが無いならどうしようもないだろ。先生としては、誰がボールに傷をつけたか、生徒を調べなきゃいけないくらいなんだぞ」

「ナイフで切ったような跡じゃなくて、ぎざぎざなひび割れだったから、古くなってたんですよ」

「昨日の今日でひび割れるか?」

 サッカーボールが無いってどういうこと? 前にいる奴なら知ってるかな?

「サッカーボールがどうかしたの?」

 前の奴は後ろの俺を見て小声で。

「倉庫のサッカーボールが、全部ひび割れしてて、空気入れても膨らまないんだって」

「昨日、別のクラスがサッカーしてただろ」

「だから夜の間にみんなプシューって」

「なんで?」

「知るか!」

 男子の一人が注目を集めんと手を上げる。

「バスケットボールならありましたよ。それでサッカーしましょう。一個借りてくればいいじゃないですか」

 先生はおもむろに嫌そうな顔をする。

「バスケットボールは体育館で使うから、校庭で使って砂まみれにして体育館に持ち込むわけにはいかん」

「洗えばいいじゃないですか」

 男子生徒が一斉に「そうだ」「そうだ」と声を上げると、相手が子供とは言え多勢に無勢、先生は渋々認めた。俺たちは「やったー」と歓声を上げてバスケットボールを借りに行った。

 だけど「やったー」なんて話じゃないんだよ。バスケットボールって重いんだからさあ、蹴る度に足首と脛への衝撃がすごいのなんの。運動音痴が困るならともかく、サッカー部員が「痛ってぇ!」て叫んだんだから本気で危ないって。シュートもボテボテだから、10分ハーフで2試合やって1点も入らなかった。ひっどい体育だった。

 変なことはこりごりだ、と思って迎えた2時間目、数学で配られた小テストは、問題が全部英語だった。数学教師は自信たっぷりだ。

「今日は総合的な学力を確認するため、問題文を英語にした。日頃の勉強の成果を見せて欲しい」

 当然生徒からブーイングが上がる。

「先生、英語が分からなかったら問題解けません」

 女子生徒の至極真っ当な指摘に先生はくじけない。

「英語の時間にきちんと勉強していれば読めるはずだ」

「いいえ。英語の授業で習ってない単語があります」

 抗議した子はかなり成績がよく、5教科で80点平均はとっていた気がする。あの子が習ってないというと、本当に習ってないのかも。そうだよな。数学を解くために英語を習ってるわけじゃないんだから、数学用語なんて習ってないよな。その通り、他の生徒も同意して抗議の声を上げた。

 それでも先生はあきらめる様子がない。

「英和辞典には載ってる。数学の試験だから、英和辞典を見ることはカンニングと見なさない」

「なんでやめないんですか?」

「成績を計るために小テストをする必要があって、今日しないと2学期後半の負担が重くなるんだ」

「それ、理由になるんですか?」

 納得いかないけど、先生はそのまま押し切り、俺たちは英和辞典を引きながら数学のテストを解いた。英和辞典を家に置きっ放しの生徒はお手上げ。これ、成績を計るための小テストだろ? おかしな理由でいきなり0点っていいのか?

 ああ…… 今日は厄日だ……

 だけど、おかしいのは教師だけじゃなかった。

 ある女子が床ぞうきんで顔を拭いてたそうだ。女子力マイナス?

 ある男子がミントタブレットのつもりであの黒い下痢止めをかじったそうだ。色で分からなかったのか?

 もう朝の佐倉さんの事件が単なる一コマに見えてしまうくらい、変なことばかり起きる。

 3時間目を終えて、もう嫌だ、と思っていたところに、高加良が俺の席にやってきた。高加良の顔がにやついている。

「楠木、俺たちの4時間目、現国だろ?」

「それが?」

「なんかさあ、俺さあ、朗読で当たりそうな気がするんだよね」

「勉強を真面目にやる気にでもなったのか?」

「当たったらさあ、一発かますから、ちゃんと聞いててくれよ」

 やばい。高加良はなにか企んでる。

「授業はコントじゃないんだから、先生に呆れられないように真面目にやれよ」

「潤滑油は必要だぞ」

 高加良のにやついた顔が不気味だ。頼む。まともに授業を受けてくれ。

 そこでチャイムが鳴り、先生が教室に入ってきた。

 高加良は無言で手だけ振って席に戻っていった。もう先生が来てるから、追加で釘を刺すことはできなかった。

 今日の現国は短編小説(作者も作品名も、教科書で読まなきゃ一生知らなかった売れてない一品)の読解。授業はお定まり通り、まず本文を朗読して概要を把握するところから始まる。先生が朗読する生徒を探す。

「そうだな。高加良、最初から64頁の2行目まで読め」

 高加良は、顔は涼しげに、小声で「はい」と言って立ち上がった。気のせいか、高加良が返事をしたタイミングで、校庭から「はい」と声が聞こえた気がした。

 高加良が小説を読み上げる。

「勇者は魔王に問うた。

 『お前の望みはなんだ? 俺には、世界を混乱に陥れることに意味を感じていないように見える』

 魔王は答えた。

 『逆に聞くが、勇者が勇者たるゆえんはなんだ? 魔王がいることか? お主が我に問う理由、我にはよく分かる。お主、勇者でなかった頃の記憶がないのであろう? 我もだ。気づけば洞窟の奥のこの座に座り、魔物に人里をおそわせていた。その前に何があった? それを知るものがおらぬ』

 そのとき、勇者の側にいたマッパーが心を悟られないように表情を抑えていた。

 『しまったなあ。NPCが自我持っちゃったよ。AIで自動で動いてくれるのは楽なんだけど、ゲームシナリオから外れてもらっちゃ困るんだよね』」

 なんだこれ? 教科書と全然違うぞ。高加良、なに読んでる?

 そして、恐ろしいことに、高加良の声が校庭に響いていた。校内放送の、体育祭などで校庭に響かせるスピーカーから、高加良が読み上げるくっだらねえ勇者と魔王の話が校庭から校外へとがんがんと響いていた。

 皆が異常を感じ、先生もおかしいことに気づいた。

「高加良、今すぐやめろ。放送を悪さしたのはお前か?」

 高加良は席に座ると机の中をごそごそあさりだし「あったあった」と、放送用ワイヤレスマイクを取り出した。

「俺の席にマイク仕込んだの、誰です?」

 高加良の、まるで人ごとのような態度。先生は逆上する。

「高加良が仕組んだに決まってるだろうが」

「俺、放送部じゃないから、マイクは持ってこれませんよ」

 そのとき、高加良の隣に座る放送部の林がおずおずと手を上げた。

「すいません。間違えてマイク持ってきて、昼休みに返すまで机にしまっとこうと思ったんですけど、慌ててて、隣に入れちゃいました」

 正直な申し出に、先生は荒げた態度はやめようと声のトーンを落とした。

「マイクの電源が入ってたじゃないか。わざとか?」

「そんなつもりないんです。どっか引っかかって、電源が入ったんだと思います」

「そうか。今回のこと、あまり厳しくは言わん。それより高加良、なぜ教科書を読まない!」

「ちょっと楽しくしてみようと思いました」

「成績にも内申点にも響くぞ」

「明るさは感じ取ってください」

「それは教師の仕事じゃない」

 先生のいうこと、もっともだ。

 この件は皆が「高加良だからしょうがない」と納得して終わった。

 だが俺には一つ気になったことがある。高加良が「当たりそうな気がするんだよね」とほのめかしていたことだ。そこには意図が感じられた。しかし、高加良を指名したのは先生だ。そこに高加良の意思はない。先生に当てるよう頼んだとも考えにくい。だとすると、たまたま、なのだ。

 予言なんて、できるわけないんだから。

 もうどうしようのなくて、午前中だけでも疲れ切ったところに、給食が終わって昼休みになってから、俺のスマホにメッセージの着信ががんがんと入り始めた。あまりに入るから無視していたけど、10分ぐらい経つとそろそろスルーできなくなって、俺はスマホを見た。

 Stringの通知が14件。時間的に先頭は別のクラスの土方だった。


楠木は bocket はやっているか?

やっていたら吉崎の友達申請を

拒否しないでくれ

そして「土方に誘われて受理した」

と俺にメッセージをくれ


 吉崎。その名前が唐突に出ていた。

 吉崎は、まあなんだ、非行とまでは言わないけれど、素行の悪い奴だ。弱い奴へのいじめ日常的。授業も無視がデフォ。

 ここは田舎だから私立中学校がなく、地域の公立中学校には相沢さんのような優等生から吉崎のような崩れた奴まで「そこにいたから」という理由で全員集められる。俺は正直、早く吉崎との関わらないところに行きたい。それがなにが友達だよ。


                    吉崎と友達になるわけないだろ


 String でメッセージを返した。その一言でいい。

 次に届いていたのはこれも別のクラスの田代からだった。


吉崎が bocket で友達申請したら、

俺から話が来たってことにして、

受理してくれないか お願い


 その次は同じクラスの福本からだった。


bocket で吉崎から友達申請があるとおもう

から、受けてくれ

証拠画面をスクショ撮って送ってくれ


 嫌な予感がした。

 次々Stringのメッセージを見ていくと、14件全部、bocketで吉崎と友達になってくれというものだった。

 これはきっとなにか裏で回っている。俺が誘ったことにしてくれ、ということは、脅されてるって線もある。脅されている奴らには悪いけど、俺だって関わりたくない。「関係ないんで」「やめとく」「冗談じゃない」etc…… 届いたメッセージに一つずつお断りを返した。

 そしてbocketを見ると、友達申請が多数届いていて、その中に吉崎からの申請が届いていた。電話番号で追加したらしい。誰か教えたな。躊躇せず拒否した。

 その後は、考えを変えるよう勧める、あるいは脅すメッセージがいくつも届いた。同じ教室の奴からは睨まれもしたけど、全部無視してやった。

 こうして5時間目を迎えて、授業中は静かながらも、どこか空気が険悪だった。授業が終わったとき、何人かが俺の方を見て、そのうち、俺にStringでメッセージを送っていた福本が俺に寄ってきた。

「String、読んだか?」

 福本の口調は少々なじるニュアンスを含んでいた。だったらこっちだってけんか腰で行く。男子だし(女顔でも)。

「あんな話、のるわけないだろ」

「断ると、もっと悪くなるぞ」

 福本は脅しておきながら大事なところに触れない。

「だから、何があるんだよ? 本当のこと言えよ」

「bocketで友達申請を受ける、それだけだよ」

「なんか裏があるんだろ?」

 俺と福本が次の一言を探しているとき、教室のドアの向こうから、別のクラスの檜原ひのはら君が入ってくるのが見えた。

 檜原君は、成績では常に相沢さんの上を行き主席が定席なのだけれど、別に勉強なんかしなくても全部記憶できる奴で、余った時間を洋楽や文学にフル活用している。

 一つエピソードがあった。世界で一番有名な文学賞に受賞の噂が毎年立ちながらも逃してきた作家の新作が出たとき、読んだかと話している同級生の前でこう言い切ったらしい。「ジャズも聴かないで、あの作家の小説が分かるのかね?」

 かといって体育の成績が悪いわけではなく中の上。持ってる人間は何でもできるという見本だ。マンガ・アニメしか知らない同級生たちをまともに取り合わない。それを怒れる奴は学年にいない。

 それだけの人間がなにかと思ったら、まっすぐ俺の方にやってきた。

「ちょっといいかな。楠木君、お取り込み中かい? 今すぐ話がしたいんだけど」

 ラッキー! これで理由をつけて福本から逃げられる。

「檜原君、俺は空いてるよ」

 まあ福本は怒って当然だ。顔に出てる

「楠木、俺の話が先だろ!」

「どう聞いてもいい話じゃないから」

 それに比べて檜原君はどうだ。スマイルを浮かべている。

「楠木君、ここじゃなんだから、ちょっとついてきてもらえないかな?」

「ええ、いいですよ」

 福本が声を荒げる。

「なんで檜原ならいいんだよ」

 俺は福本につきあう気はない。

「信頼の差じゃね?」

 檜原はきびすを返すと俺を手招きした。俺は福本に「わりぃ」と一言告げてついていく。福本は叫ぶ。

「どうなっても知らんぞ」

 俺は後ろを見ないで返した。

「捨て台詞をありがとう」

 教室を出た檜原についていくと、俺たち三年生の教室が続くところの端にある階段にさしかかった。

 階段を見下ろすと、踊り場に、今日ずっと問題になっている吉崎がいた。いつもつるんでる取り巻き二人が一緒だった。

 通り過ぎたいな。って、檜原君、階段を降りないでよ。すれ違うでしょ。

 しかたなしについて行くと、檜原君は吉崎の前で止まった。

「吉崎君、連れてきたよ」

 え?

 なんで吉崎に?

 どうして檜原君と吉崎が仲良く話してるの? 手を組んでるの?

 頭に疑問符だらけの俺を置いて三人プラス一人は互いに分かっているようでにこやかに笑っている。

 言い訳する気がないほど脱色した髪をツンツンに立てた吉崎は、右手をズボンのポケットに入れ、左手を俺にむかって上げた。

「よう、俺っ娘。久しぶりだな。元気か?」

 元気です。と言えるわけもなく引きつった顔をして黙っていたら、吉崎はその意をくんだようで自分から語りかける。

「最近bocketを始めたんだってな。俺が友達申請したの、拒否したろ? 友達になろうとしている人間を拒否するのは一番性根が悪いんだぜ」

 性根が悪いという言葉をこんな文脈で聞くとは思わなかった。俺は一呼吸置いて声がうわずらないように答える。

「今まであんまり関わりがなかったから、急になにしたのか分からなくて」

「これから仲良くしようっていうのに、断るのかよ」

 その声は実にフレンドリーで、仲良くが一番という道徳に照らし合わせれば悪人は俺の方だった。

「とは言うけど」

 そのとき。

 ジャラ!

 吉崎が手を入れている右ポケットから金属音がした。

 右ポケットの中は、この状況だと、凶器もあり得る。

 でも後になったら、それは俺の思い過ごしということにされて、金属音すらなかったことにされて、俺は憶測で吉崎を陥れたことにされるのだろう。

 どうすればいいんだ?

 なにも言えないでいると。

「おい、意識あるか? 黙ってんじゃねえよ」

 そして。

 ジャラ!

 俺は手のひらに汗をかいていた。

 吉崎は問う。

「スマホ持ってきてるか?」

 たまたま、ポケットにあった。取り出そうとして、手にかいた汗で滑るのではないかと怖くなり、腕を上げるのが遅くなった。

 スマホを出した俺を見て、吉崎は、承諾、と受け取った。

「仲良くしようぜ~」

 俺のスマホに通知が入る。無視が許されないここで見ると、吉崎からのbocketの友達申請だった。

 俺は「OK」を押した。

 吉崎は口角を上げてうなずいた。

 そのとき、チャイムが鳴った。6時間目が始まっていた。

 吉崎はいつも遅れているからかまわないだろう。檜原君は一回遅刻しても許されるだろう。評価を下げるのは俺だけだ。

 遅れて教室に入ってきた俺を、クラスの皆は、特に福本は、冷ややかに見ていた。きっと俺の顔に落胆が出ていたのだろう。

 6時間目は、授業中だというのに、方々からStringとbocketにメッセージが入っていた。もう、これ以上の被害はイヤだ。無視してやる。

 でも、それは通じなかった。

 6時間目が終わり終礼が終わると、福本に加えて田尻が俺のところにやってきた。周囲も、俺らを見てる。そこに高加良が俺の横について、二人でクラス全体と向かい合う形になった。

 福本が俺に言う。

「檜原との話はどうだった?」

「吉崎と友達にさせられた」

 田尻は俺の目の前でスマホを操作した。

「ここまで来たらさあ、クラスでbocketやってる生徒全員と友達関係になれよ」

 田尻の声に含まれている、怒気。

 クラスの大半が、俺を見る。

 俺のスマホには友達申請が届き続ける。

「だからさあ、なんで急にbocketで友達になれって脅すんだよ? 訳分からないだろ」

「ここにきて言えるわけないだろ」

 正面からの、拒否。

 そこで高加良が俺に声をかけた。

「楠木、俺から説明するから」

「言うな」

 後ろで見ていた笹森の制止だった。

 高加良は周囲の雰囲気を読まずあっけらかんとして言い切る。

「言ったら?」

 笹森が声にドスをきかせた。

「嬲るぞ」

 嬲るって…… 俺ならともかく(いや、嫌だけど)、高加良を嬲っても楽しくないと思うんだが。

 でも、その冗談も通じない空気がクラスに流れていた。ただ高加良だけが泰然としていて、空気に今にも亀裂が入りそうに見えた。

 これはもうダメだ。俺から謝ろう。

「高加良、もういいよ。みんなさあ、俺、友達申請受けるから、送ってくれよ」

 するとあの高加良が慌てた。

「楠木、しなくていいから」

「いいんだよ、こうなったら。俺も、対立するのは嫌だからさあ」

 俺のスマホに続々と友達申請が入る。俺は一つずつ「OK」を押していった。数十通届いたから、押し終わるまでに数分。

 それを高加良は隣から無言で見ていた。

「ありがとな。また、明日な」

 終わったところで声をかけたのは福本だった。その顔は、どこか笑っていた。

 俺だって自分が馬鹿だとは思いたくない。俺は笑われるに十分なことをしたのだろう。だけど、どうしてだ?

 誰かが俺の背中をつついた。誰かじゃない、隣にいた高加良だ。

「楠木、この後、空いてるだろ。今どうしてみんなが殺気立ってるか、楠木だけ知らないみたいだから、説明する。つきあってくれるだろ」

「高加良じゃなあ…… 嘘つかれるかもしれないし」

「じゃあ文佳を呼ぶ」

「相沢さん来るの?(汗)」

「文佳は嘘はつかないだろ」

「苦手なことを分かってくれよ」

「仲良くするならクラスの奴らより文佳の方がいいと思うけど」

「それは物好きの意見だ」

 怖がる俺を見ているのに、高加良は平然とStringの無料通話をかけた。

 俺と高加良と相沢さんは、あまり他人に話を聞かれない場所ということで、学校の近所の児童公園のベンチに座っていた。夕方になって、幼児はみな帰ってしまい、遊具が無人となった狭い公園のベンチに俺たち三人だけがいた。途中のコンビニで飲み物だけ買って、俺はダイエットコーラ、高加良は緑茶、相沢さんはミネラルウォーターだった。

「……それで楠木君は、みんなに脅されるままに一日で数十件のbocket友達申請を認めた訳ね」

 相沢さんは呆れたように言い放つと、ミネラルウォーターを一口飲んだ。

「だってさあ。囲まれてみ? 男なのに『嬲る』とか言われてみ? それには刃向かえんだろ?」

「明日からどうなっても知らないけどね」

 なじる気満々の相沢さんを高加良がなだめる。

「まあまあ。楠木は事情を知らないんだから、説明するために俺たちが来てるんだろ。文佳、説明してやってくれよ」

 相沢さんは、ふう、と一息つくと俺の方に向き直った。

「楠木君。今日になってから、校内でいろいろおかしなことが起きてるの、知ってる?」

「知ってるけど」

「それが、bocketに書いたボケが現実になったからだとしたら、どうする?」

 相沢さんの顔は真剣だった。いや、笑った表情を作れないだけかもしれない。何しろ相沢さんだもの。

「いやいやいや。それこそギャグでしょ。アプリで人に送ったボケが現実になったら、笑えないよ」

「笑えない現実があるのよ。これから背景を説明するわ」

 相沢さんは俺の戸惑いを差し置いて語り始めた。

「日本時間の今日午前零時を過ぎてから、bocketの新規会員登録が止まったの。これでbocketを利用する人間は前日までに登録した人間に限られたわ。そして午前六時に今日のボケが公開されてから、ボケの内容が現実になるという事件が日本全国で発生し、各種SNSにその報告があふれたの。うちの校内でも、床ぞうきんで顔を拭いた女子いたって聞いてない?」

「それがbocketのボケが現実になったってこと?」

「その子、周囲にからかわれてて、そんな内容のボケを受け取ってたんですって。黒い下痢止めをかじった男子もいたわよね?」

「待て待て。その話、できすぎでしょ」

 だって……

「ほら、相沢さんと高加良が俺にボケを送ってるのに、俺はなんともないじゃん。もしbocketで何かあったら、俺にも来てるはずじゃん」

「大事な条件があるの」

 相沢さんは一呼吸置いて口を開いた。

「bocketで現実になるボケは、匿名で送られたボケなの。匿名で送られたボケは、各人には一日一件しか表示されない。その一件が必ず現実になり、そして誰が送ったのかは分からないわけ。悠一と私は名前を見せて送ってるから、今日のところは楠木君には何にも起きないわ」

 いやいや、待てよ。脅しがきついだろ。

「そんなの、証拠ないのに信じられるか!」

「楠木、これ見るか?」

 高加良がスマホを俺に見せた。bocket が開かれていて、俺や相沢さんや他の同級生のボケが並んでいる中に、一つ匿名で。


  やべえ。現国の朗読、全校放送しちゃった


「俺の現国の時の朗読、全校に流れてたろ? 俺はこれ見てたから、多分くるなと思ってたんだ」

「高加良、お前、わざとやってないよな?」

 高加良は申し訳なさそうなそぶりを見せた。

「一応さあ、避けようとはしたんだよ。授業が始まる前、机の中を調べてみたら、授業中に林が言ったとおり、確かに校内放送マイクが入ってた。それを放送室に返すんじゃなくて、電源を切って机に入れてみたんだ。そしたら朗読の時には電源が入っていた。俺が立ち上がるとき机が揺れたかもしれない。そこでたまたまマイクの電源が入った。そんな『たまたま』が必ず起きるらしいんだ。bocketに匿名でボケを書かれると」

「高加良、作り話にもほどがあるだろ」

 隣で相沢さんが額に手を当てて首を横に振った。

「世間では、もうニュースになってるのよ」

 相沢さんはスマホの画面を見せた。ニュースサイトには、通勤電車暴走のニ

ュースが記されていた。

 埼玉・東京・神奈川を走る京浜東北線大船行きの電車が、走行中にブレーキ

がきかなくなり、西に時速80kmで暴走した。急な制止による人身事故を避けるため、ポイント操作で東海道本線に案内し、信号を全解放で電車が走り続けられるようにしたという。まるでハリウッド映画だ。最後には付近の他の列車を全て静止させ、架線への電源供給を停電させて自然減速で停止させたという。電車を停止させたときには名古屋を過ぎていた。

「このニュースがどうしたの?」

 相沢さんはスマホの画面を、単文を公開するtickに切り替えた。

 そこは阿鼻叫喚の大炎上絵巻だった。

 通勤電車が止まらなくなるという不幸にあった乗客の一人がつぶやいた。

「俺のbocketに『通勤電車なのに東京から名古屋までノンストップってどういうこと?』って入ってるんだけど、マジ?」

 助けを求めた一言へのネット民の答えは罵倒・責任転嫁だった。「おまえの

せいだ」「おまえが轢かれて、死んで電車を止めろ」「鉄道会社への賠償金はお前持ちな」etc……。

「冗談だろ? 今日急に流行ったテンプレだろ?」

「そりゃあ、たまたまかもしれない。日本の鉄道史上まれに見る事故と、一利用者のスマホアプリが偶然一致しただけかもしれない。でも、これだけじゃないから」

 相沢さんが見せたのは、SNSで拡散した、笑うためのボケが引き起こした笑えない現実の数々。コンビニで釣り銭強盗の濡れ衣を着せられたニート。美容院で丸坊主にされた女性。カプサイシン粉末入りスープを飲んだ高校生。それら全員が、事前にbocketで内容を示唆するボケを受け取っていた。

「なんでスマホアプリの内容が現実になるんだよ? あり得ないだろ?」

「そのあり得ないことが起きてるから、日本中で騒ぎになっているのよ。なぜかは分からない。でも、これが現実。bocketは既存の利用者を巻き込んだ呪いのアプリになったの」

「じゃあさあ、俺が今日いっせいに友達承認したのって?」

「明日からあなたは学校のみんなのオモチャよ。私と高加良は以前から友達が多かったから、これで同じ立場に立ったのだけれど」

 俺は思わずペットボトルを手から落とした。俺のスニーカーがダイエットコーラに染まっていく。俺が慌ててペットボトルを脇にのけると、それを見た相沢さんはミネラルウォーターを一口飲んで間をとって、俺を突き放した。

「どう? 事の重大さが分かった?」

「分かりました…… それにしても、相沢さんって、登校中にニュースとか読んだりするんだ。勉強だけかと思ってた」

「2時間目が終わった後に悠一から連絡あったから」

「ソースは高加良かよ! というかさあ、高加良、なんで俺に言わない?」

 高加良は頭をかく。

「楠木は友達が俺と文佳しかいなかったから、後でいいかなと思ったんだ。まあ、失敗だったわ」

「知ってれば友達申請を拒否できたぞ」

 相沢さんが冷ややかな視線で。

「囲まれたり、男なのに『嬲るぞ』と言われたら、どうせ受けたんでしょ」

「そりゃ、俺がそう言ったけどさぁ……」

 みんなが殺気立っていたのは、生け贄にならずにすんだ人間が憎らしかったからだ。集団の圧力で、無関係だった人間を一人地獄に引きずり込むことに成功したわけだ。そりゃ、みんな必死になるよ。

「ところで高加良、朗読で読んでたの、教科書じゃないだろ。あれ、bocketの影響か?」

「いや。きっとボケが現実になると思ったから、どうせ笑われるんだったら、もっと笑って欲しくて、小説投稿サイトから引っ張ってきた」

「分かってて被害を拡大させんな!」

「俺はどこでもうけを狙うぜ」

「笑えない状況をさらに笑えなくするな!」

 まったく、笑いも時と場所を考えろ。

 相沢さんはミネラルウォーターを飲み干して鞄に入れた。高加良はまだ三分の一残していた。相沢さんは空いた両手でスマホを操作して別の画面を俺に見せた。それは今日まとめサイトに上がった、bocketへの対処法。

「今、ネットで流行っているのは、徒党を組むこと。匿名のボケは、それまでに『ウケた』を数多くもらっている人の方が相手に表示されやすくなるわ。その『ウケた』に客観的な基準はなく、人がボタンを押すかどうかで決まる。つまり人数を集めてグループを組み、グループ内では必ず『ウケた』を押すようにすれば『ウケた』は量産できるの。そして、各人が一人だけ、あまり恥ずかしくない匿名のボケを送って、他グループからの悪質なボケから守ってあげるわけ。あくまで今までと同じルールで表示されると信じればの話だけれど、ネット上では信憑性は高いとされているわ」

「じゃあ友達同士で組めばいいわけだ」

「一番効果的なのは暴力よ」

 俺は一瞬思考が止まった。暴力で『ウケた』を集める?

 理解しかねている俺を見て相沢さんがため息をつく。

「吉崎君に無理矢理友達にさせられたんでしょ? 彼は周囲の人間を脅して自分に『ウケた』を集めさせようとしているんでしょ。きっと、気に入らない人間には『ウケた』を押さないように圧力もかけてるんでしょうよ。いわば上納システムね」

「それって、笑い関係ないじゃん」

「この笑えない事態に、笑いは関係ないのよ」

「マジかよ。そんなときに檜原君が吉崎と組むなんてなあ。というか、相沢さんだったら、高加良より檜原君の方が話が合うとずっと思ってたんだけどなあ」

 そしたら相沢さん、本気で嫌そうな顔をした。

「あれ、そんなに嫌だった?」

「檜原君の人格が見えてないなんて、人を見る目がないか、よっぽど接点がなかったのね。彼は生まれたときにもらえるものをもらいすぎて、周囲の人間は自分のための下僕か道具としか思ってないわ。どんな人間か、実際にあったことを教えてあげる。中学校に入学した直後、私に『つきあわないか』と言ったのよ。そのとき、なんて説明したと思う?

『この学校にいる人間の何割と将来をともに過ごすか、考えたことある?

 この学校を卒業して高校に入れば、大半はいなくなる。

 大学に入れば、もっと振り落とされる。

 社会に出たときには、側にはもう誰も残っていない。

 でもね、君だけは、僕と同じレベルの世界に残りそうなんだ。

 長い付き合いになると思うから、今からつきあおうよ』

てね。周りの人間がみんなゴミ・カスに見えてる人間なんて、願い下げだって断ったわ。そんな人間が、この非常時に、人に礼儀なんか尽くすと思う? 

どうせ吉崎君のことも自分が手先として使っているつもりなんでしょ。吉崎君の方も檜原君を使っているつもりでしょう。似たもの同士ね。それと違って悠一は自分の持ち分だけで勝負してるもの」

 高加良が笑う。

「文佳、褒めたって何にも出ないよ」

「この苦境で笑ってるだけで十分肝が据わってるわ」

 ああ、だめだ。冷徹な人間観察眼を見せつけたと思ったら、高加良とはやっぱりバカップルだった。高加良への評価については信用しないようにしよう。

 高加良は俺と相沢さんを交互に見比べる。

「今のところ、俺が60ポイントほど持ってて、文佳が10ポイントか。こういうときはレディーファーストだから、俺が文佳に匿名のボケを送る。文佳、楠木に匿名のボケを送ってくれないか。俺は楠木のボケでいい」

 相沢さんが露骨に慌てる。

「悠一、それでいいの? 楠木君はポイントゼロだから防御になんてならないわよ」

「まあ、俺は楠木を引き込んだ責任があるしな」

「どうでもいい人間を守るのって、私にとってはおざなりになるんだけど」

 ちょっと待て。一応まともな意味での友達だろ。冷笑されてばっかりでも。

「俺、高加良に誘われてなければ巻き込まれてないんだけど」

「楠木、それは分かってる。文佳、事情を分かってやれよ」

「まあ、女の子っぽいから守られてもしょうがないわよね」

「ここまできて毒を吐くなよ」

 まあ、てことはやることは決まってるわけだ。仲間を増やして『ウケた』を量産する。以上。

「じゃあさあ、俺たちの仲間をこれから増やそうぜ」

「それはもう無理よ。私たち三人で固定だから」

 俺の誘いを相沢さんはあっさり断った。

「どうして?」

「クラスで徒党を組む話が持ち上がったとき、私を誘った子に『やくざのシマ争いね。しかたないわ』って言ったら、のけ者にされて、Stringで噂立てられて、私がどのグループも出入禁止になったの。それで悠一がついてきてくれたら、悠一も出禁になったわけ」

「おい。自分が火に油を注いだことは分かってるのか!」

「楠木君も他に当てはないんでしょ?」

 いやいやいや。完全に二人のせいだから。

 高加良は希望にあふれた口調で。

「逆境って燃えるなあ~」

「高加良、初めから避けろって!」

 相沢さんは事態を『冷静に』分析する。

「悠一が60ポイントだから、10人集めた小さいグループでも一週間あれば逆転できるわ。私なんて1日。吉崎君の上納システムと比べたら、全く防御にならないでしょうね」

「相沢さん、それが分かっててなんで仲直りしないの?」

 バカップルだ。ここにバカップルがいる。二人で地獄に突き進んでいる。

 そして、同じ船に俺も乗っているのだ。

 俺は家に帰って、真っ先にbocketを開いた。高加良からは「面白くなくても文佳は点をつけるし、俺は安全で恥ずかしくなければいいから、そんなに考えなくていいよ」とアドバイスを受けていたけれど、高加良は俺のボケを現実にやるんだろ。あんまり変なネタは作れない。

 まず単語の候補が並んだ。


夕方に 校長先生が おい、お前、 Tシャツを ふりかけ買って


校長先生を巻き込むのはまずいから真っ先に除外。買って、とつくとお金が関われるから、それもやめ。Tシャツ…… 着てるとしたら登校前か下校後か。学校では恥ずかしい目に遭わなさそうだから、Tシャツに決定。

 すると次の単語の候補が並んだ


漬け物樽に入れたら 舐められて パンツの代わりに


 待て。漬け物樽に入れても、舐められても、パンツの代わりになんとかしても、ろくな選択肢がない。この3語は消そう。

 ところが単語の候補は消えてくれない。どうしたらいいんだ。どうしたら。……これって、もしかして。

 最初に選んだ「Tシャツを」を消すと単語の候補が消えて、新しい単語が並んだ。


バナナの皮に 秘技、ピッチャー返しが 初雪を


 振り出しに戻ってしまった。しかも、どの単語も使いにくい。バナナの皮やピッチャー返しはともかく、初雪だなんて、今9月だぞ、異常気象が起きたらどうする? 前より悪くなってるじゃないか。この中ではバナナの皮が一番まともな気がする……


瞬間接着剤をつければ 頭をつっこみ 1万円払って


 1万円は無しだ。頭をつっこむか、瞬間接着剤をどうにかするか。高加良、すまん。頭をつっこんでもらう。

 こうして30分苦しんでようやくネタができた。あとは相沢さんに送るネタだ。こっちはどうせ現実にならないし必ず点がつくから、適当に書かせてもらう。

 と書いている途中で高加良からStringで連絡があった。


   楠木のネタを教えてくれよ


                  なんで?


匿名で送ると分からなくなるから

   疑うのはよくないけど、一応な

   スクショもくれ


                  分かった。

                  ネタは

                  「バナナの皮に頭をつっこみ

                   猫を集めようとして

                   無駄だった」


明日の給食のデザートはバナナかな?


  だったらいいな



 そこに相沢さんからのStringが割り込んできた。


スクショ送るわ。



  「100点のテストに

   他人の名前を書いて0点」

  ってひどくない?


   何も恥はかかないように作ったから

上出来よ


  高加良から連絡あった。

  俺もスクショ送ったから



   悠一が恥かく内容じゃないでしょうね?


  高加良は笑って許してくれた


心の広い悠一が笑って許しても

世間では馬鹿にされてる部類に入るのよ


  ごめん。

  馬鹿にはしてないって(汗)


 やあ、まあ、とりあえず書くものは書いた。あとは明日だ。

 それからしばらくして、母さんに夕食を食べるように呼ばれて、何事もなかったかのように見せるために食べ物を口に入れた。うちの夕食はテレビを見ながらだ。

 テレビのニュースは、トップが電車の暴走で、その他にもいろいろなあり得ない事件が山盛りで、政治の話なんてどこかに追いやられてしまった。ただ「bocket」の名前は一切出なかった。スマホのアプリが事件を引き起こすなんてあり得ないと思われているんだろうか。それとも、重大すぎるから放送規制がかかっているんだろうか。それは分からない。

 父さん -この人は普通の男性- はつまらないことに興味はなさそうだ。母さん -美人だから俺の自慢。俺そっくりなのが笑えないけど- が一言。

「世の中馬鹿なことばっかりね」

「そうだね」

 俺は一言だけ返した。いつもだったら馬鹿みたいに笑っていることが、笑えないんだ、今日は。母さん、ごめん。

 心配して眠れないんじゃないかと不安だったけど、大変な目にあったことの疲れが勝っていて、俺は朝に目が覚めてから自分が着替えもせず寝落ちしたのだと気づいた。目覚まし時計はかけなかったけどほぼいつもと同じ時間だった。

 机の上のスマホのLEDが点滅している。メールが届いたかな。

 いや、メールだけじゃない。bocketのボケが届いてるんだ。

 伸ばした手がスマホの手前20cmで固まった。

 もし、相沢さんのボケが『ウケた』の数で負けてたらどうなる? さんざん馬鹿にしきった内容のボケが選ばれてたら、それが現実になるんだろ?

 いや、待て! もし見ないで学校に行って、いきなりボケが現実になったら、準備も何もできないぞ。

 スマホを手にとってbocketを開いた。まず高加良のボケを確認する。きちんと届いていた。俺はどうか他の人間に勝てますようにと念を送りながら『ウケた』ボタンを押した。そして、匿名のボケを探そうとして、指はつっかえつっかえで、目はさまよっていて、でも最後に否応なしに文字が目に入った。


  俺、男に公開告白するんだ


 ちょっと待て。

 百歩譲って、俺が男から告白されることはあるだろう。見かけが女の子みたいだから。自分で言ってて悲しいけど。

 しかし俺から男に告白するほどとち狂ってるわけじゃないぞ。

 これがbocketの魔力にかかれば現実になるというのか? 俺、狂うのか?

 嘘だと言ってくれ。この言葉を人生で初めて使った。

 頭が混乱して、朝ご飯は喉を通らなかった。家を出たけど足はとぼとぼとしていて、本当に遅刻しそうになって走って無理矢理に学校に滑り込んだ。

 朝礼が終わるとスマホの画面を高加良と見せあった。高加良も他人のボケを押しつけられていた。当たり前だ。今日まで俺は「ウケた」ゼロだったんだから。

「高加良、すまん」

「謝ってたら切り無いさ」

「そんなに事態は悪いかな」

「燃えるくらいの逆境さ」

「高加良、明るいな」

「俺は笑いを求めに行くのさ」

 と言っていた高加良は、2時間目から3時間目に爆睡して誰が揺り動かしても起きず、顔に油性ペンで落書きをされまくった。どうしてそんなに寝ていられたのかは分からない。それがbocketの呪いの力なのだろう。

「描く奴の顔を見たかったんだけど、無理だったな。寝てたから」

 と高加良は落書きだらけの顔で笑った。今日一日は落ちないだろう。

 俺はといえば、男子という男子をにらみつけていた。あいつには告白しねえ。こいつには告白しねえ。そう思って怖い顔を作っていたら、周囲から相当白い目で見られた。構うもんか。男に告白することに比べたら。

 だから昼休みに吉崎が教室に入ってきたときにもにらみつけてしまった。

「ガンとばして、喧嘩売る気か、俺っ娘?」

 血の気が引いた。謝るべきか強く出るべきか、迷って何もできないままに吉崎から手招きされた。

「お前失礼だからさぁ、ちょっと来いよ」

 その手にしかたなくついて行くしかなかった。

 連れて行かれたのは校舎の裏。そこには吉崎の取り巻き二人が待っていて、なぜか地面に白いシーツが敷かれていて、土でシーツの一部が茶色に染まっていた。

 吉崎はシーツを指さした。

「俺っ娘、乗れよ」

 何が始まるのか分からない。思わず口に出た。

「どうして?」

「聞けると思ってんのかよ」

 3人に囲まれて、俺はシーツの上にのった。逃げ出したいから、土足でシーツが汚れるのは構わなかった。

 すると3人はシーツを端から持ち上げ、俺の上にかぶせかけた。

「なにする?」

「礼儀を教えてやるんだよ」

 シーツの端は結びあわされ、俺は袋詰めにされた。

「誰か、助けて!」

 ゴス!

「絶対しゃべるんじゃねえぞ。もう一回欲しいか!」

 俺が叫んだ瞬間、誰かの靴底が俺の腹を踏みつけた。俺は痛さと怖さでうずくまった。

 そして人の足音が遠ざかっていく。これで逃げられる。

 そのすぐ後に、人の足音が近づいてきた。

 あいつらが戻ってきたのかもしれない。俺は黙った。

 そして、俺は持ち上げられた。持ち上げているのは2本の腕。男の胸板に身体を預けさせられている。そうだ、お姫様だっこだ。これから何をするつもりなんだ。吉崎とその取り巻きにしては、体格がやたらといいけれど。

 しばらく持ち運ばれると、周囲から男子のはやし立てる声が聞こえてきた。

「連れてきたか」

「開いて見せろよ」

「一気に告白しちゃえ!」

 告白? ここで? どうして?

 俺は下ろされ、シーツの結び目がほどかれた。視界に入ってきたのは、10人ぐらいの男子の冷めた顔。後ろを見ると、野球部のエースの藤代が茫然自失の顔をしていた。お姫様だっこをしたのは藤代か。体格がいいはずだ。

 周囲で見守っている男子がため息をつく。

「俺っ娘、やっぱりお前、男が趣味か?」

「そんなことない。俺、何も言ってないだろ」

 周囲の男子は呆れた様子だ。

「お前、手の込んだことしたなあ。今朝、女子に頼んで、藤代を好きな女の子がいるから、告白したいし、できればたくましい身体でお姫様だっこして欲しいって言づてしたじゃねえか。そのシーツ、俺っ娘だってばれないための策だろ」

「違う。吉崎に閉じ込められただけだ」

「好きだからって、何でもやっていいわけじゃないんだからな」

「やりたい放題なのは俺じゃなくて吉崎だって」

 後ろを見ると藤代がボソリと一言。

「楠木は無理だわ。かわいいけど……」

 昼休みが終わるまでに誤解は解けなかった。

 誤解は別のところから解けた。俺が藤代に告白したという噂が、藤代を呼び出した当の女子まで伝わったのだ。その子は、藤代を待っていたら吉崎がやってきて追い払われたという。これで事態は分かった。だが、校内にあらぬ噂を立てられた藤代がどうしてもわだかまりを水に流せず、二人の溝は埋まらなかったという。

 ぶちこわしだ。なにもかも。

 俺と高加良と相沢さんはこれからのことを話し合うために放課後に昨日と同じ児童公園に集まった。今日は、俺はスポーツドリンク、高加良は無糖緑茶、相沢さんは昨日と同じミネラルウォーターを買って飲んでいた。

 俺は、話し始めてすぐ、二人から話題をもぎ取って俺の受けた仕打ちを愚痴った。

「俺がやられたことってさあ、bocketなくっても吉崎がいじめれば実現したんじゃね?」

 相沢さんは押し黙っていたけど、高加良はあまり深刻でなさそうな顔をしている。

「楠木、考えてみよう。女の子が告白しようとしたのが、どうして今日だったんだろうな?」

「今日に噂を聞いてから俺をからかう気になったんだろ?」

「だけどbocketのボケは今朝6時までに書いてるわけだよな?」

 あ!

 高加良がうなずいた。

「女の子が恋バナをするのに吉崎とその仲間達と一緒にするはずがない。きっと昨日の段階では吉崎は知らなかったと思う。それが、たまたま今日、吉崎の耳に入って、これはちょうどいいと思ったんだろうな」

「そんな後からでうまくいくのかよ」

 相沢さんが割り込む。

「それに、他にも偶然うまくいった条件があるらしいわ。楠木君を袋詰めにしたシーツ、学校から盗まれたものじゃないらしいし、どこから持ち込まれたのか分からないんですって。でも、あいつらがわざわざ自分の家のシーツを汚すわけないでしょ。どこかからくすねたはずよ。シーツなんて大きなものがたまたま落ちていた、というのが本当だと思うわ。それは普通だったらあり得ないほどの偶然よね」

「それがbocketならうまく条件が重なるのかよ?」

「そういうこと」

 相沢さんは断言して、ミネラルウォーターを一口飲んだ。

「でも、吉崎は自分で書いたからなにをすべきか知ってるんだろ」

 高加良が首を横に振る。

「意外と、今日まで知らなかったりして」

「なんで?」

「そもそも吉崎が書いたかどうか分からないんだから」

「じゃあ誰が?」

「吉崎に脅された誰かかもしれない。匿名のボケは一人一通しか書けないんだから、多くの人間を攻撃したければ、手下を使うしかない。もしかしたら、吉崎だって、bocketの呪いにはまって楠木をいじめることを思いついたのかもしれないくらいだ」

 そりゃあ、細部を見ればそうかもしれない。みんなbocketがお膳立てしたこと。

 しかしさあ、人を陥れる準備をしてきたのは吉崎や俺を誘った檜原(もう「君」なんかつけるもんか)じゃないか。あいつらのあくどさを認められるのかよ。

「俺、ほんと怒った。どっかで仕返ししてやる」

 すると高加良が悲しげな顔をしたし、相沢さんは呆れていた。

「楠木君、あんた『ウケた』がないくせに、どうやってやり返せると思うの? 現実上でもbocketでも無理よ」

「じゃあ、どうすればいいんだよ」

 高加良が穏やかな表情を作って、落書きの描かれた顔で、こう言った。

「こういうこと言うとやおいっぽいけど、こういうときは、笑えばいいと思うよ」

 プチッ。

「俺と高加良の仲でそんなこと言うな。それこそ腐女子の格好のネタだ。笑いをとるのはTPOを考えろ」

 怒ってる俺を高加良はなだめようとする。

「笑いをとる気じゃなくて、真面目に言ってるよ。いいか楠木。お前が怒ったって、吉崎は罪悪感もなにも感じない。もう人の心は持ってない。それは楠木も分かってるだろ。そんな人でない存在にやり返すことはできないんだ。だったら同じレベルに降りちゃダメだ。人の心を持ってない連中を、遠くから笑うんだ。俺たちはあんたらとは違うぞ、って」

 おい? おまえ、誰だ?

「高加良、悪いものでも食ったか? お前がいつ、そんな人生の師のような人間になった? これ、bocketのボケか?」

「楠木、俺のスマホの画面は朝に見せたろ」

「なんか高加良らしくないなって」

「笑いが好きなのは変わらないよ」

 相沢さんが高加良をまぶしそうに見ている。

「悠一はそういう人間よ。どういうときに笑うべきか、いつも真剣に考えてる。そんな人間だから悠一を信頼しているわ」

 相沢さんを見ていると、高加良が立派な人間に見えてくる。

「相沢さん、高加良がこんな人間だって、いつ知ったの?」

「そりゃまあ、色々と」

 その「色々」がなにを差すのか不安だけど、そういうことなんだろうなと、納得するしかなかった。

「高加良、今までお前のこと誤解してて悪かった。全然お前の本心分かってなかった。こないだ言った、江戸幕府の将軍の話、実は本当なんだろ?」

「いいや。楠木は俺の本心を分かってるよ。将軍の話、あれは嘘だから。見破った楠木が正しい」

「やっぱり嘘ついてたのか!」

「俺、笑いが好きだから」

 高加良はかんらかんらと笑った。

「だから、まあ、楠木。悔しいのは分かる。やり返したいのは分かる。でも俺たちがやるべきことは笑うことだ。ここで見てるから、思いっきりはき出せ」

 俺は、ついさっきまではらわたが煮えくりかえっていたから怒鳴り声に近くなるけど、吉崎へのからかいを思いっきり言ってやることにした。

「吉崎って、bocketが人をもてあそぶのに使えるって分かったら、必死になって徒党組んで、笑っちゃうよな。人を踏みつけにすることしか考えてないんだな。実際、シーツの上から俺を踏んだし」

「そうだなあ」高加良が相槌を打った。

「多分さあ、内心、やり返されるっておびえてるんじゃないの? 自分が人をいじめてばっかりだから、他人がみんなそう見えるんだよ」

「だろうね」高加良が応えた。

「檜原も似たようなもんだよ。いっつも上から見ててさあ。自分が得するんだったらつきあう人間お構いなしじゃないか」

「まあ、それがほんとだね」高加良は許してくれた。

 俺は一分ほど笑ってやった。本気で笑うと疲れるものだ。数分も続かない。疲れた。はぁ。

 物事は解決していない。明日も他人からのボケに翻弄されるだろう。だけど、向かっていく心の準備は、ちょっとだけ、できた。


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