第1章 2018年8月28日~8月29日
自分が特別な人間だと信じることを厨二病というけど、中学三年生になったら卒業するのかな?
中学三年生の俺は、特別な人間どころか、自分のなりたい自分になれないことに気づいている。
男に生まれたなら、女の子を守れる人間になりたい。
守るっていろいろある。暴漢にからまれたところを助ける。怪我したときにおぶってあげる(お姫様だっこまでは望まないから)。人生の岐路でそっと背中を押す。
そのどれ一つもできない。かろうじて最後はあり得るけど、前二つは絶対無理だ。
なんでこんなつまらない人間に生まれたんだろう。大人から見れば夢を抱きすぎる時期かもしれないけど、現実の中学三年生は現実の厳しさにうちひしがれてるんだぞ。
そんなどうしようのない自分を抱えたまま、日常は進むし友達とのつきあいも続くんだ。
「楠木。やっぱりさあ、bocketやってみねえ?」
夏休み明けの俺の頭に、脳天気な声は、少々暑苦しく響いた。
終礼が終わった後の教室で、鞄に教科書を入れる俺の前の席に後ろ向きに座って話を持ちかけるのは、放課後に遊ぶレベルだとほとんど唯一の俺の友達である高加良だ。横向きに生えていて長く伸ばさなくても寝てくれる髪の毛に、男にしては丸い目で、いつも笑い顔。平均的なルックスだけど、俺よりはずっといいと思う。こんなルックスに生まれたかった。
話が横にそれたが、その話さあ、高加良はいいんだよ。高加良は。
「友達に自作のボケのネタを送って点つけてもらうアプリだろ? 高加良さあ、世間の人間がみんなお前みたいに笑いに命かけてると思ってるの? 俺がボケたってさあ、大してウケるわけじゃないんだから」
「その態度がよくないなあ。昔の偉い人がこう言ったんだ。『おもしろきこともなき世をおもしろく』 世の中は、なにもしなかったら面白くない。それを面白くするのが、人間の生きる目的でありその人の価値なんだよ」
「そんなこと、誰が言ったの?」
「それは昔々の江戸時代だ。江戸幕府全盛期の将軍様がいてな、世の中は天下太平、変わったことはなにも起こらない。それで将軍様がなにもかもつまらないと投げやりになっていたとき、ご生母様、つまり母親から大目玉食らったんだな。そこで将軍様は心を入れ替えて、面白くないなら自分で面白くしようって、さっきの言葉を言ったんだ」
「高加良がそう言うってことは、ぜってぇー嘘だ」
「え? 俺、日本史の試験にもそう書くけど」
「俺らの授業を受け持ってる各先生、高加良の珍回答に笑ったら負けだって言ってたぞ」
まったく。高加良の話は話半分どころか九割疑っていれば間違いない。それでも人望をなくさないのは、みんなが最初から高加良の話は冗談だと分かりきっているからだ。初めからくだらない記事を書き続けたスポーツ新聞が、あすこならしかたがないと割り切ってもらえるようなものだ。あと、人をくさしたことはない。それだけはまともだと認める。
笑いのネタを見透かされても高加良はめげない。そんな柔なタマじゃない。
「まあ話がずれたけど、笑いをとってみるのはいいもんだぞ。みんなと同レベルかさらに下に降りて、初めて見える世界がある。その世界も楽しいぜ。楠木は特別だから、周囲を一段上から見てるだろ。俺らと同じバカやってみろ。世界が違って見えるぞ」
待て。
俺が特別だって? その一言は高加良でも許さん。
「あのなあ、俺は別に特別じゃないし、みんなを上から見てるわけでもないぞ。上から目線で語ったことなんてないだろ?」
高加良は、ケタケタと、笑った。
「一目で常人と違うと分かるルックス持ってる奴が、自分は平凡だなんて言うなよ。言葉をしゃべれるようになったときには既にちやほやされていて、人間は自分を見ると笑いかけてくれると思っている奴は、俺らと同じ世界に生きてるわけないんだから」
「あのな、笑いかけるじゃなくて、笑われたんだ。みんなのオモチャだったんだよ。今だって、まともに男扱いされてないから」
そのとき、俺の後ろから声が飛んだ。
「学校一の美少女が、男扱いされる必要があるのか?」
終礼が終わって既に放課後の人数が少なくなった教室内だが、残っていた奴はいて、俺らの会話を聞いて後ろから突っ込んきた。
だから、そんなことはないって何度言ったら分かる!
「そのネタはやめろ! 言われて悲しくなるから」
後ろを見たら、突っ込んできた奴は大笑いしてやんの。全然悪いと思わず軽口をたたいてくる。
「違うって。褒めてるって。自分の生まれを認めてかわいく喋ってればいいのに、無駄に男っぽくなろうとして、僕っ娘を通り越して俺っ娘になってるのってキモいぞ。周囲の女子を見ても、俺勝ってるとか思ってるだろ。自分の外見を言葉にしてみろ」
どうしてそんな恥をさらさなきゃいけないんだ。
「言う必要あるの?」
「現状確認、てことでさ」
そうつけくわえたのは高加良だった。高加良、なんでそこで加勢する! 前言撤回。俺のことはくさしやがる。
俺が声をはりあげたのも悪いんだけど、気がつけば教室に残っている男子・女子がみんなこっちを見てる。過半数が半笑いしながら。なんでそんなに俺を追い込むんだよ。だから俺はみんなのオモチャだって言ってるんだ。
「しょうがないから言うよ。身長が160cmしかなくて、筋肉がつかないから力ないし」
前方からヤジが飛んだ。
「脂肪もつかなくて女子からうらやましがられてることも言えよ」
よし。ツッコミが入った。ここで切り上げよう。
と思ったけれど、周囲はじっと俺を見て次の一言を待っている。全くつるし上げだ。
「顔は、ちょっと細くて、力ないっつうか、ヤンキーからかつあげにあいそうって言うか」
「彫刻のようにきれいな顎のライン、細くて切れ長の目。クールビューティーの魅力を存分に振りまいてるくせに」
後ろからのツッコミに、俺を見ている奴らがどっと笑った。こうなったら茶化すしかない。
「そうだよ。髪の色が薄いから軽く脱色してると疑われるし、睫毛が勝手に伸びるからマスカラで盛ってるなんてからかわれるし、ひげがほとんどないから性別を疑われるし、声変わりでほとんど声が低くならなかったし」
笑われるように話したのは俺だけど、周囲の笑いは想定以上。めちゃくちゃ傷つく。
「美人に生まれると人の注目集めて困るの~~」
だから笑われてばかりじゃないか。
「それ以上言うな!」
「アハハハハハハハ」
俺の一喝に、数の暴力による笑いがかぶさる。これじゃ、俺が周囲にからかわれてテンパっているガキだ。やっぱり俺はもてあそばれるオモチャだ。
笑っている奴らの中に、なにか含みを持った奴がいた。
「学校一の美少女と言われて嫌だったら、違うって認めてやるよ。佐倉さんがいるから、おまえはNo.2だ」
佐倉、の名前が出た途端、周囲の注意の半分が、今ここにいない佐倉さんに向かった。
「佐倉さん、顔はきれいだけど、心と反応が死んでるだろ。俺は楠木の方が人間味があってかわいいと思うけどな」
「いや、きれいかって言ったら、さすがに楠木でも佐倉さんにはかなわないだろ。本物の女の子だし」
「心のない美少女と、生物学的には男性の俺っ娘。うちの学校でミスコンやったら選択に迷うなあ」
教室の中の男子が、俺と佐倉さんを、まるでミスコンが始まったかのように比べている。
佐倉さんは確かにかわいい。俺よりかわいい。そうでなければ困るという欲目もあるけれど……。 ただ、喜怒哀楽を見せたことがないという点でも伝説になっていて、校内では美少女というより変人枠に入れられている。
俺と佐倉さんに対して周囲から浴びせられる、笑い。笑い。笑い。
集団にどうしても溶け込めず、浮いてしまった人間の末路は皆の笑いの対象だ。俺の周りに笑いがなかったわけじゃない。ただ、その笑いにはいつも蔑みが混じっていた。
「もういいだろ。俺をそんなにからかわなくても」
俺が力なくつぶやくと、周りの奴らも「悪かったよ」と言いながら散っていく。下を向いて上目づかいでみんなが帰るのを確かめる俺を高加良は隣で見守っていた。他に二、三人しかいなくなったところで、俺は高加良に聞いた。
「俺だってさあ、男らしくなりたいんだよ。堂々と言い返して胸張って、みんなを黙らせる男がうらやましいんだよ。でも俺が言い返してもからかわれるばかりでさ。火に油を注いでるだけで終わるんだ。俺、バカか?」
「『バカじゃない』と言ってもらいたくて聞くのはやめた方がいいなあ。そこが今の楠木の限界かな。笑いのネタになるんだったら、笑われてみればいいのに。笑ってもらえることはなかなかないんだから。だからさあ」
「笑いのセンスを身につけろ、だろ?」
「あれぇ? 俺が言ったんじゃないんだけどなあ」
高加良はにんまりと笑っている。bocketを始めるのは決まりだという合意を目線でとって、俺は一つため息をつく。まんまとはめられた。落ち込む俺を尻目に、高加良はスマホを取り出す。
「bocketはある程度友達の人数を集める方がいいんだ。今から文佳を呼ぶよ。ちょっと待ってろ」
え? 文佳って相沢さんだろ?
「頼む。それは勘弁してくれ。俺と相沢さんの相性悪いの知ってるだろ」
「文佳があの態度なら、相手にしてもらってる方だぞ」
「とてもそうは見えないって。おい、Stringで呼び出すのやめろ」
俺のことは無視して高加良はStringの無料通話をかけた。接続すると、つきあってる中学生男女の会話の始まりの挨拶の後に『楠木をbocketに誘ってさあ』といった話が続いて、二分ほどで接続を切った。十分ほど待ってといわれたので待っていると、廊下から相沢さんが入ってきた。
相沢さん、容姿をレベルで言うと、中の上、もしかしたら上に入れてもいいかもしれない。でも、中学生の女の子で、眼光強いっていうのはどうしたもんかなあ。整った顔だけど、気の強さが顔からにじみ出しちゃって、人相が厳しい。まあ、そんな彼女を好き好んだ彼氏はいる訳なんだけど。
「悠一(ゆういち。これは高加良のことだ)、bocketの説明をするっていうから来たけど、それだったら悠一の方がうまいんじゃないの?」
相沢さんは高加良を真正面に見て、俺の方はチラ見だけ。これって相手にされてるの?
「まあ友達になるのに直で会った方が話が早いし。そこに座って」
相沢さんは高加良の隣に座ると俺を見るなり。
「楠木君だと、ネタで笑わせるというより、笑えなさで笑わせるような気がするけど」
知らない人に言うと、この冷笑、いつものことなんだぞ。
「相沢さんがにこやかに笑うネタを提供するのって、鬼が来年の話をするようなもんなんだけど」
「フィクションなら作れるわよ。その柔らかさを悠一から学びたいと思ってるから」
高加良は頭をかいた。
「いやあ、俺なんてさあ、頭のバカさ加減が漏れ出てるだけだからさあ」
「大丈夫。爪があることはちゃんと見てるから」
相沢さんは高加良に対して少しだけ顔をにこやかにした。
バカップルがいる。ここにバカップルがいる。
まともなことを何一ついわない高加良と、学業優秀で曲がったことが大嫌いだけど人付き合いがけんか腰の相沢さんが、なぜかつきあって、なぜか相沢さんの方が高加良にべた惚れ。なぜだ? あんまり冷めた目で世の中を見ると珍獣を愛でたくなるのか? 分からない……
「楠木、ストアでbocketをダウンロードしてくれ」
「ここで? 家でWi-Fiでやりたい。パケ代損だろ」
「目の前でみせないと分からないことがあるから」
パケットの上限が……と心の中で頭を抱えつつ、俺はスマホを取り出してストアを開いた。
「ボケットってカタカナ?」
「アルファベットでb、o、c、k、e、t」
検索するとトップに緑色ベースのアイコンのbocketが表示された。星は4つ。大きなバグとか有ったら星はもっと少ないから、まあまともなアプリなんだろう。ダウンロードボタンを押してプログレスバーが少しずつ伸びる時間はとても長く感じる。正確には一分も経っていなくても無駄な時間だ。最初の表示画面は当然ユーザ登録で、メルアドと新規パスワードを設定してメールを待って、認証リンクをクリックしてbocketに戻ると、一人もいない友達リストが表示された。
「じゃあ、友達登録な。俺と文佳は電話帳からの自動登録は切ってるから、直接認証するぞ」
高加良はそう言って自分のbocketアプリで二次元バーコードを表示させた。相沢さんも同じく。俺のbocketアプリで二人の二次元バーコードをカメラに写すと、友達リストに二人の名前が載った。
「bocketは友達に自分が書いたボケを送って、友達が面白いと思ったら『ウケた』ボタンを押す。『ウケた』の数によってランクが上がるけど、たくさんボケを書けば『ウケた』が集まるわけじゃない。一人の友達に送れるボケは一日一つだけ。それも瞬時に届くわけじゃなくて、午前六時に友達が前日に送ったボケが一斉に公開される」
「既読マークとか無えの?」
「Stringと違ってリアルタイム性は追求してなくて、どうせ午前六時までは相手に届かないから、読んだか確認する必要性が薄いのね」
高加良が説明して、俺の質問に相沢さんが返す。二人はよく分かっているんだろう、話の筋は合っている。
「文字数の制限とかはどうなるの?」
「字数の制限もあるけど、そもそも自分が書きたいように書けないのがbocketの特徴なんだ」
高加良は自分のbocketアプリで俺を選択してボケ編集画面を開いた。普通ならキーボードがあるところが予測された単語で埋め尽くされていて、キーボードがない。
「bocketのボケ編集画面では、単語がアプリから表示されて、利用者は単語をつなげてボケを作るんだ」
いま、高加良のbocketアプリには「明日の」「眠たい」「テレビ塔に」「妹がさあ」等々……の単語が表示されていて、高加良は「テレビ塔に」を選んだ。すると次は「山手線から」「原油価格」「大福を」「小学校で」「転んだ」等々……の単語が表示された。高加良はそこから「大福を」を選んだ。
「ちょっと待て! 『テレビ塔に大福を』じゃ、意味通じなくねえか?」
「それがbocketのおもしろさなんだな」
高加良はにやりと笑った。訳が分からないままの俺に、分かれ分かれと無言の合図を送っている。それってなんだ、ナンセンスギャグか?
「bocketは通常ではつながらない単語を提示するから、ただつなげるだけでおかしな話になる。ストアのサンプルだと『こうもり傘からミシンまで』とかつながったりする。単純に単語がランダムに表示されると最後には意味のない文章になってしまうけど、bocketはそこに独自のアルゴリズムがあって最後には日本語として意味が通る文章になる。だから、あまり面白いことを考えられない人でも、最後までつなげれば一応はギャグができあがる。それがお笑いを多くの人に広める独自の工夫なんだ」
「それじゃあさあ、ギャグセンスの差ってなくならねぇ?」
「提示された単語が気に入らなければ、新しい単語を要求することができる。新しい単語もbocketが指定するんだけど。ユーザの間では『待ち』という用語があって、気に入る単語が出るまで新しい単語を要求し続けることもある。友達が多くなりすぎると単語を選んでる暇がなくなるんだけどな」
そう言って高加良は単語を選び続けて一通りのボケを作った。
「ただ、最後、bocketには特殊な機能がある」
「なんだよ、改まって」
「ちょっと見てみろ」
高加良は自分のbocketアプリで俺を選んでボケの文章を作り、投稿のボタン
を押すだけにしたところで、画面を俺に見せた。
そこには『匿名』というチェックボックスがある。
「bocketは、一日に一人の相手にだけ、ボケを匿名で送ることができる。受け取った側は、名前を明かして送られたボケは全部表示されるけれど、匿名で送られたボケは一つしか表示されない。そこで効いてくるのがさっき言ったランクだ。匿名で送ったボケはランクが高いほど表示される確率が高くなる。匿名で送ったボケでも『ウケた』をもらうと自分の『ウケた』になるから、ランクの高い人間は名前を明かすことなく『ウケた』を集められるようになっているんだ」
それ、ちょっと変だろ。
「それ、なんのために使うの?」
「信頼している同士なら要らないんだけど、まあなんて言うか、下ネタ? 人間が笑うネタって、きれいなものばかりじゃないだろ。ちょっと恥ずかしいネタでも一応は送ることができる。ただし表示されないリスクは覚悟した上で。ということだ」
俺は怖いもの見たさで相沢さんを見た。思った通り、不機嫌そうだ。下ネタに一番厳しそうなタイプだもんな。
「じゃあ楠木、ここで入力の練習しようぜ」
「今すぐ?」
「やらないと分からないだろ」
高加良は俺のスマホの画面をのぞき込んだ。急かされるので、俺は友達リストから高加良を選んでボケを入力し始めた。まず「目覚まし時計を」を選び、次に「ダンプカーが」を選び……
「送るぞ」
「ちょっと待て」
高加良が俺を制止した。
「ここで俺が見てただろ。分かっているものが届いたって面白くないんだよ。朝に届いたボケを見てクスリと笑ったり大笑いするのがbocketなんだから」
「じゃあ、やりなおし?」
「がんばれよ」
「せいぜい期待は超えてよね」
高加良はにやにやと笑い、相沢さんは冷ややかに見ている。なんだか、めんどくさいことになったなあ。
家に帰ってから、誰にも見られないように、二人へのボケを作った。単語をつなげただけだから、ウケるかどうかは分からなかったけど。
翌朝。
「『豆腐だと思って醤油かけてるそれ、カマンベールチーズだぞ』って、ひねりがないなあ」
学校で高加良に会うなり大笑いされた。ネタが受けたのではなく、つまらなかったのが理由で。
「高加良だって『銀行強盗しようとナイフを持っていったら銀行員が入れ墨入れて拳銃持ってた』じゃないか」
「まあ先は長いさ」
高加良は俺のからかいを意に介さない。
相沢さんからはStringのテキストで来た。
『棒高跳び選手がマンション3階ベランダに
押し入り強盗』
なんて
期待通り笑えなくて
予定調和ね
『のこぎりでキャベツの千切り』には言われたくない
今にして思えば、これがbocketで他愛なく笑えた最後の日だったんだ。