サマーコンサート⑩
玄関で靴を履き替える時に『カノン』の演奏が終わった。
門倉先生に正面玄関の扉を空けてもらうまで、気が付かなかった。
いや、気が付かなかったと言うより、門倉先生が私に話し掛けて気が付かないようにしていたと言った方が当たっている。
それは3年間教えてもらって、人と話しをするときには相手の目を見つめて決して他所を見ないと言う、私の癖を知っていたから出来たこと。
はじめて玄関の外に目を向けた私は驚いた。
そこには教頭先生をはじめ、お世話になった先生方が、通路を作るように二列で並んでいる。
「先生、これって……」
教育実習が終わったときに、ほかの実習生と一緒に職員室から拍手されながら退室した。
でも、それでもう教育実習は終わったはず。
なのに何故?
驚いている私に門倉先生が教えてくれる。
「教育実習の時に、昔の部活を懐かしんで顔を出す実習生は過去に何人も居た。だけど教育実習はハードで時間も長いから、部活に顔を出すのも直ぐに止めてしまうか気晴らし程度になる。それなのに鮎沢はまるで学生のように、顧問の僕たちでさえ手が空いた時にたまにしか出ない朝練や昼練それに土曜日の練習まで出てくれて、しかも生徒たちの悩みなども親身に責任をもって見てくれた。ありがとう」
「そんな……」
「久し振りに、良い体験をさせてもらったのは鮎沢が教えた生徒たちだけじゃなく、僕たち教員たちもその鮎沢を見て改めて教えられた。それで何にも出来ないけれど、何かしてあげようと教頭先生が音頭を取って皆できめたのさ」
「教頭先生が!?」
「しっ。教頭先生からは絶対言うなよと名前を伏せられているから今のは聞かなかったことにしてくれ」
門倉先生が言い終わると直ぐに、エルガーの『威風堂々』の演奏が始まった。
まるで誰かが、この状況を吹奏楽部の中村先生に伝えているみたい。
ふと見ると、教頭先生が慌てて腕を降ろして何かをポケットに突っ込んだ。
「さあ、威風堂々が流れているうちに。あっ住之江部長さんも一緒に」
「ありがとうございます。でも僕はここで、鮎沢の残した軌跡を見ていたいです」
「えーっ、私一人!? それ恥ずかしいです」
「何が恥ずかしいものか。一旦教壇に立てば生徒たちが何人いても、先生は一人。いつぞやの廊下みたいに走らないで通りなさい」
教頭先生に言われて、勇気を決めて先生たちが作ってくれた道を進む。
道の両側から拍手され、一人一人の先生に笑顔を向けて「ありがとうございました」と挨拶をしながら歩く。
先生たちからは「また帰って来いよ!」「待っているぞ!」「来年の春にまた会おう!」と声を掛けてもらった。
全部通り過ぎた後、正面に振り返り深く頭を下げて、もう一度今度は大きな声で「ありがとうございました!」とお礼を言って校門に向かった。
威風堂々が泣いている。
“なに、逆じゃない、もっとしっかりしなさい”
そう思いながら、私も涙を拭いた。
「あー行っちゃいましたね」
「当分、寂しくなりますなぁ」
玄関の外に並んだ先生方も、名残惜しそうに職員室に戻り始め、吹奏楽部の演奏する威風堂々も終わる。
「はぁーっ」
感動に浸っていた僕が溜息を漏らすと、門倉先生に肩を叩かれて「今日は本当にありがとう。大学でも鮎沢のこと頼みます」と言われ「はい」と答えた。
今日は本当に来て良かった。
この初夏の青い空のように、清々しさで気持ちがいっぱいになる。
空を見上げて、思いっきり深呼吸して、伸びをした。
その肩を門倉先生がポンポンと軽くたたく。
なんだろう?と振り返ると「いいんですか?」と聞かれた。
「えっ、なに……」
門倉先生は、少しだけ困ったような笑顔を見せて、校門の方を指さした。
僕は何かあるのかと思って、手をかざして、その辺りをよーく見た。
何もない。
そう、何もないのだ!
すっかり感動に浸って、帰ることを忘れていた。
「先生有り難うございました!!」
そう言って僕は慌てて校庭に駆け出した。





