高い山に、碧い空⑯
大学のオーケストラ部は、このところ大変な賑わい。
えっ? ファンが詰めかけているのか、ですって?
そうだと私も嬉しいのですが、残念ながら違います。
答えは、真柴さんや横溝さんの居る、合唱部と一緒に練習をしているからです。
さて、問題です。
私たちは、何の曲を練習しているのでしょう?
ヒントは、コンサートの行われるのは12月30日。
合唱と、オーケストラ。
音楽の好きな人なら、もう分かっちゃったかな?
イヤーエンドコンサートに向けて、ヴェートーベンの第九、正式には交響曲第9番ニ短調作品125(Sinfonie Nr. 9 d-moll op. 125)の練習をしています。
多くの人が知っている曲だから、CDとかで合唱の練習も充分出来るかも知れないけれど、どんなに高価なプレーヤーとスピーカーを使っても、生の音には敵わない。
そして、これは住之江部長の“こだわり”なのだけど、冷たい雪の日には暖かな曲。
雨の日には少しセンチメンタルに、そして晴れた日には晴れやかな音を届けるというモットーがある。
特に天気によって楽譜を替えるわけではなくて、譜面は同じ。
ただ、音を届ける私たち一人ひとりが、そういう気持ちを持って演奏することで、それを聞く人に音楽が伝わりやすくなる。
「そう言うことですよね。住之江部長」
「えっ!? なになに。あっ、そうなんです。例えばコンサートホールにはお客さんが千人居たとします。その中に何らかの理由で心が折れそうになり、何かの支えが必要な女性が一人居たとします。僕の目指したい音楽はいつも通りの曲を999人に届けるのではなく、その一人の女性の為に、届けられればと思います。その人の気持つになって、その人を励ましたいという気持ちを込めて音を奏でれば、声は屹度届くと信じています」
「さすが、住之江部長。ところで何故、女性限定なんだ?」
滝沢さんが、そう言って詰め寄る。
「い・いや、ぼ・僕は何も、じ・女性限定だなんてお・思っちゃあいませんよ」
「でも、今の短い文章の中に2回も女性って言葉が出て来たぞ」
「そ・それは、たまたまというか、成り行きと言うか……」
「じゃあ、会場に来た一人が競馬で負けてボーナス全額持っていかれた哀れな会社員のオッサンだったら、どうする?」
「そ・それは簡単ですよ。滝沢さんは、そのオジサンに共感できますか?」
「うんにゃ。できにゃい」
「鮎沢さんは?」
「私も、可哀そうだとは思うけれど……」
「ですよね。部員が共感できない事はしませんよ。無理な気持ちは嘘になり、嘘は必ずバレる。それは音楽でも同じこと。僕たちは音楽を通じて聞く人に楽しんでもらえるように気持ちは届けますが“太鼓持ち”ではありません。だからイチイチ客に媚びる必要はない。ただ、どうしようもなくなったときに心を癒してくれるのは音楽だから、そういう必要性があった場合には届けたい。そのために、その日その日に応じた練習をするのです」
「さすがですね」
ポンと肩を叩かれて振り向くと、京子ちゃんが居た。
「おいおい、さすがなのは僕だろう」
不満げに住之江部長が言う。
「いいえ、その住之江部長の気持ちを知りながら、本人を立てて本人の口から言わせる千春の方が“さすが”だよ」
「いやぁ~。こりゃぁ一本取られたなぁ」
そう言って頭を掻く住之江部長の“若者らしくない”言葉と行動に一瞬時が止まって、そしてみんなで大笑いした。





