高い山に、碧い空⑪
夕方、里沙ちゃんのお店にライブを見に行った。
今夜は甲本君のバンド『ブルーSKY』も出る、ロック中心のイベントDay。
残念だけど、ライブの時にはペット入場は禁止となっている。
まあ、仕方がない。音の世界だから、犬が吠えて演奏の邪魔をすることや、興奮して走り回って機材を壊す可能性だってあるから。
お店に入ると、里沙ちゃんと高橋さんにお出迎えされた。
「里沙、和樹ちゃん元気?」
和樹ちゃんと言うのは6月に生まれた赤ちゃん。
「元気よぉ!今は、お祖母ちゃんに見てもらっているの。可愛いよぉ!後で見てね」
「うん」
そう言ったところで、里沙ちゃんはお客さんに呼ばれて、私の傍を離れた。
「高橋さんは、もう見たの?」
「はい。さっき拝見させていただきました」
「可愛かったでしょう」
「ええ。そりゃあもう。見ていると私もこれから生まれる赤ちゃんのことが気になって、あれからお腹を触ってばっかりですよ」
“これから生まれる赤ちゃんって……”
「もしかして、高橋さん――」
「そうなんですよ。最近、酸っぱいものが無性に飲んだり食べたくなると思っていて、病院に行ったら案の定です。やり過ぎちゃったかなと、個人的には反省しています」
“が~~ん!衝撃!瑞希先輩は先輩だから仕方ないとは思っていたけれど、ついに年下の高橋さんまで。しかも結婚より先に赤ちゃんの告白!”
「でも、大学はどうするの?」
「大丈夫ですよ、今でも普通に行けていますから」
「お腹が大きくなってきたら?」
「いやですねぇ鮎沢先輩。お腹なんて大きくなりませんよ」
「えっ、だって。これから生まれるって」
「それは、いつかは“これから生まれます”」
そう言って下腹を摩った。
「でも、やり過ぎたって」
「それは、夏にジョギングをやり過ぎて、今頃夏バテになって病院に行ったことです」
“なんだ、そう言うことか”
ホッとするような、それで少しがっかりするような。
「ところで先輩」
「ん!なあに?」
「私が、なにを“やり過ぎた”と思って、お腹が大きくなると思ったのですか?」
“しまった!これは最初から高橋さんの罠だったんだ”
答えに困っていると高橋さんが衝撃の告白「大丈夫ですよ、チャンとゴム付けていますから」と!!
“キャーッ!ゴムだなんて!!”
「見せましょうか?」
そう言うと高橋さんは、ポーチの中を探る。
「えっ!えっ?いいよ、こんなところで」
メッチャ焦った。
って言うより、出さないで欲しい。
でも、それを、どう切り出せばいいのか分からないでいると、高橋さんがそれを掴んで私に見せた。
「ほらっ」
思わず顔を手で覆い、その手の指の間から、恐る恐るそれを見た。
手に持っていたのは、ヘアーバンド。
「鮎沢先輩。ヘアーバンド見るの恥ずかしいですか?真っ赤ですよ」
なるほど、ジョギングの時にヘアーバンドをして走っているということだったのか。
また高橋さんに揶揄われた。
「もう知りません!揶揄わないでください!」
調子に乗り過ぎた高橋さんにそう言ってプイッと顔をそむけた。
すると高橋さんは、急にシュンとしてしまい「御免なさい」と素直に謝る。
振り向いてみると、その大きな目が涙にぬれている。
でも屹度、心配したそぶりを見せると“寝不足なんです”なんて言われそうだと思って黙っていた。
やがて高橋さんの長いまつ毛を越えて、涙の雫がポツリポツリと滴り落ちる。
「御免なさい。私、鮎沢先輩に相手にされたくていつもこんなことばかりで……」
“えっ!マジ?”
「私、一人っ子だし、どうしても友達との付き合い方が上手く分からなくて、でも鮎沢先輩が好きだから相手にされたくて……嫌な子だって自分でも分かっています。それでも嫌いにならないでください」
高橋さんの手を取って「大丈夫だよ。気にしていないから」と言った。
本当に、気にしてはいない。
高橋さんは、何度も御免なさいと有難うございますを繰り返し、そのたびにその垂らした頭を撫でてあげた。
高橋さんの私に対する、あの態度は、ロンの“甘噛み”と一緒なのだ。
そう思うと、嫌いになる理由なんて一つもない。





