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令和⑧

「いらっしゃい。よく来てくれたわね」


 車を止めると、直ぐに夏花さんが出迎えに出て来てくれた。


「お世話になります」


「いいえ、こちらこそ。ロンはお元気?」


「はい」


「鉱ちゃんも、待っているわよ。さっ早く行ってあげて」


 そう言われて、少し緊張した。

 ロビーに入ると、ヴァイオリンの音合わせをしている江角君が一人で居た。

 どういうわけだか、みんなはまだ外の駐車場で話をしているらしくて、入ってこない。

 真っ白なロビーには、白衣を着た江角君と私の二人きり。


「こんにちは」


「ああ」


 部活で会っているというのに、二人きりになると、最近お互いにぎこちない。


「A音、いいかな」


「いいよ」


 A音と言うのは標準音の事で“ラ”の音。


「今日は日が良く差し込んで、気持ちが好いよね」


 そう言いながら、ケースを開きオーボエを組み立てる。

 ヴァイオリンは温度によって弦が伸びたり縮んだりして、その都度音を合わせる必要がある。

 いわゆる“チューニング” と言うこと。

 でも、それは弦楽器だけじゃなくて金管や木簡楽器も同じことだから、気候にあわせてその都度チューニングをする。

 ところがオーボエには何故かその機能がないので、吹奏楽やオーケストラでの音合わせは、このオーボエのA音が基準になる。

 もしも他の楽器で音合わせをしてしまうと、オーボエだけが付いて行けずに違う音を出してしまうから。

 私の出す音に、江角君が弦を調整して同じ音に合わせると「チョッといいかな?」と言ってヴァイオリンを構えた。


 流れ出したメロディーは、ガブリエルのオーボエ。

 少しだけ乾いたヴァイオリンの音に誘われるように、澄んだオーボエの音色を重ねると、曲はさらさらと森の中を流れる小川のように神秘的な雰囲気で流れ出す。

 一緒に演奏していて、音楽をしていて本当に良かったと思った。

 なんとなく最近ぎくしゃくとしていた気持ちがスーッと雲が晴れるように消えて行き、江角君の奏でる音に耳を合わせて、それをひとつに抱きしめている自分が居た。

 言葉では表すことのできない声を、心でとらえるように。


 この曲には歌詞がある。

 その歌詞の一説に「愛が空から降りてくる」と言う言葉が入るけれど、その言葉通り私には見失いかけて不安に思っていた“愛”が降りて来た。

 おそらくこの曲を選んでくれた江角君も同じ思いなのかもしれない。

 同じ中学に通い、同じ高校で学び、同じ大学に進んだ。

 一年生の時は、江角君のヴァイオリンの練習もあって、部活をせずに毎日がデートのような日々だった。


 そして江角君が二年生になり違うキャンパスに行くようになっても、今度はオーケストラ部を拠り所にしていた。

 今迄とは違い、失ってしまった時間の大きさに戸惑い、不安になっていた。

 でも、それはこれからも続く。

 4年で私が大学を卒業して就職するころには、江角君は大学病院での実習なども入ってくるから、今まで以上に会う時間は少なくなる。

 曲の最後の歌詞はこう締めくくられる「雨が不安をながしたあと、愛が空から降りてきて、私たちに微笑みがもどるでしょう」と。


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