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春は、あけぼの⑧

 江角君の名前を出した途端、これまで落ち着いていた住之江部長の表情が、急に硬くなるのが分かった。


「そ、そう、なの……」


 声が裏返っている。

 静まり返った部屋に、時計の音が響く。

 撫でられていた手が止り、ロンが何故止まったのか不思議そうに顔を見上げて、上向きになり、その手をペロッと舐める。


「うわっ!びっくりしたぁ」


 まるで魔法の言葉に硬直させられていたように動きを止められていた体が、ぴょんと飛び跳ねるように動き出す。


「もちろん、伊藤君やコバ、美緒にだってそれは同じです」


「そ、そう……」


 止まった手をペロペロ舐めるロンが、その手に前足を絡めるようにして抱きかかえる。


「えっ!なになに?」


 大きく口を開けて欠伸をしながら、その手を自分の口へ運ぼうとするロン。


「まさか、その大きな口で僕を食べるつもりじゃないだろうね」


“パクッ”


「おぉっ!食べるのか?」


 ロンが住之江部長の手を口で挟もうとして、またペロペロと舐めだす。


「こら、ロン止めなさい」


「いいですよ。食べるつもりじゃないらしいし、折角お客さんが来たんだから、思いっきり甘えさせてあげるよ」


 それからずっと住之江部長はロンと遊んでくれて、遊びながら色んな話をした。

 私の高校時代のこととか、住之江部長が高校の時に大阪から横浜に引っ越してきた事とか。


「お爺さんがね、凄い競艇のファンで、それで僕の名前を房人(ふさと)って付けたんですよ。本当は房人(ぼうと)と読ませたかったんでしょうね。それで横浜に引っ越したときも“なんで平和島にしなかったんだ!”って怒っていました」「あっ平和島には競艇場があるんですよ」


「姉がね、すっごい太っていて、ダイエットするたびに失敗して、ダイエットするたびに少しずつサイズが大きくなるんですよ。鮎沢さんには分からないだろうなぁ姉の悩みなんて」


「わかりますよぉ。私だってお腹いっぱい甘い物食べたいの、我慢しているんですから」


「音楽はね、三歳の時からピアノを習っていたんです。本当は習うはずじゃなかったんですけど習い始めたばかりの姉が急に辞めるって言い出して、困ったオカンが会金がもったいないからって、先方を説得してバトンタッチしたわけなんですよ。さすが大阪のオカンでしょ」


 話をしてみると、住之江部長は結構話し好きで面白い。


 そして、時計の針が3時を指した。


「よかったら、散歩に行きませんか?私たちの練習場も観てもらいたいし、住之江部長の知らない友達も紹介したいのですが……」


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