春の海㉒
夜、ベッドに入り眠ろうとする私を呼び止めるように悪魔が囁く。
悪魔の囁きは、私の目の前にある道を真っ暗に照らす。
曲がりくねった道を、途中で切って、片方の端を裏返して繋ぐ。
江角君とドライブに行く嬉しさと不安が、その表と裏がひとつに繋がった道をグルグルと周り、車から降りて逃げ出した私は、まるでマウリッツ・エッシャーの描いた不思議な階段を登るように、同じ所をグルグルと周るだけで逃げ出せない。
頭が混乱してしまい、階段から飛び降りようとする私を、優しく寄り添うように横で寝息を立てているロンが止める。
そして、繋がっている道を柔らかく照らす。
その寝息は、どんな言葉より雄弁で、まるでシェヘラザードのお話しを聞いているよう。
不思議な力。
“物語の続きは、また明日”
そう囁いているように、明日の存在を待ち遠しく思わせ、その明日が早く迎えられるように眠りへと誘う。
私は、ゆっくりとロンの照らす夢の中に吸い込まれて行った。
朝、目が覚めて二番目に空を見た。
雲一つない快晴。
そして一番目の人を振り返ると、その天気を喜ぶように隣で私を見上げていた。
“今日は、千春の気持ちが澄んで晴れていて、とても好い日だね”
なんとなく、そんな声が聞こえた気がしてロンに何か言ったかと問い詰めるように頬を抱く。
ロンはいつものように、私に甘えて来て、それをはぐらかす。
勢いよく階段を降りて、洗面所で顔を洗う。
台所に行くと、丁度お母さんが起きて来た。
「おはよう千春。早いのね」
時計を見ると、まだ六時前。
「朝食は、私が用意するから、お母さんゆっくりしていて」
それから、お父さんの朝ご飯の時間と、出かける時間を聞いて調理を始めた。
朝はパン食なので、それに合うものを作る。
オニオンスープに野菜サラダ、ベーコンエッグにハチミツを掛けたヨーグルト、そして紅茶の準備。
6時半にお父さんが食卓に来て喜んでくれた。
「千春は、良いお嫁さんになりそうだね」
そう褒めてくれて、お父さんもお母さんも、美味しいと何度も言葉に出しながら朝食を食べてくれる。
まだまだ結婚なんて考えてもいないけれど、私もいつかお母さんみたいな優しいお母さんになれたらいいなと思い嬉しくなった。
食事を終えて、身支度を済ませて会社に出るお父さんを、お母さんとロンと一緒に玄関までお見送りすると「今日は江角君とのドライブだね、楽しんでおいで」と言われて少し照れた。
お父さんは、私にそう言ったあと、ロンを撫でながら「お姉ちゃんの面倒を確り見てあげるんだよ」と言い、ロンも承知したと言うように「ワン」と返事を返す。
「もー、ロンの面倒を見るのは、私の方なんだからね!」
私が怒ったふりを見せて言うと「恋も注意も、お互いが面倒みあってこそだろ?」って言われて「うん!」と元気よく頷いた。
例えが飛躍しているのはいつものこと。
でもその通りだと思い、元気よく大きく手を振って、お父さんを送り出した。





