青い夏の日⑮
真夜中に、一瞬頬を撫でて行った風に目が覚めると、遠慮がちにドアの締まる音がした。
何だろうと思い体を起こすと、ベッドの下で寝ていたロンも気が付いていて目が合う。
そしてロンはドアの方に歩いて、上手に前足をドアの隙間に突っ込むと、スッと姿が消え、私も恐る恐るついて行く。
ドアを開けると、高橋さんがコテージの階段に腰掛けて隣に座ったロンを撫でていた。
「高橋さん、眠れないの?ベッド替わろうか?」
高橋さんは振り向いて「すみません。起こしちゃって」と言ったが、直ぐにその顔を海に戻した。
私は、ロンを挟んで隣に座る。
「やっぱりロンは賢いですね」
「ありがとう」
「ひょっとしたら、外へ出るとロンが気付いてくれるんじゃないかと思っていました。そして鮎沢先輩も」
ドキッとした。
月明かりの影になり、表情が見えないけれど、私に用があったのだ。でも一体なんの用?
高橋さんは、ロンを撫でながら話し始めた。
「イケメンでクール。背も高くて成績はトップクラス。モテない訳がないのに、どうして江角先輩はいつも男子と一緒にいるんですか?」
「さあ?どうしてかしら」
別に、とぼけるつもりはないけれど、以前田代先輩もそんな事を言っていたのを思い出す。
「すみません」
「いいのよ」
「いえ、今の事じゃなくて一昨年の事……」
「一昨年?」
「そうです。一昨年の全国大会前日のことです」
全国大会前日と言われて思い出すのは、私の体調を気遣って江角君が葛根湯と栄養ドリンクを買ってきてくれたことと、直前になって全体練習がノーミスで通しきれたことくらい。高橋さんに謝られる事なんて有ったかしら?
「あの……、江角先輩から鮎沢先輩が貰った風邪薬を、私が戴いた件です。それと、夕食の時のこと」
夕食の時の事と言われて、ようやく思い出した。あの時、私が江角君を探していたのを高橋さんに指摘され、そしてそれを隠そうとした私を執拗に責められたこと。
でも、それは最初に隠そうとした私がいけなかったから話がこじれただけの事。
「先輩は幸せ過ぎて気が付かなかったと思いますが実は私、江角先輩の事好きでした。だから鮎沢先輩が大嫌いで、あの日いっぱい意地悪言って、そして風邪でもないのに江角先輩が鮎沢先輩のために買ってきた風邪薬全部横取りして……」
たしかにあの日、高橋さんは風邪気味だと言って私の風邪薬をせがむので上げた。
でも、高橋さんは私みたいにケロッと治ってしまう軽いものではなくて、翌日には熱を出して寝込むほど大変だったはず。
「最初は嘘だったんです」
「嘘?」
「そう、嘘です。あの時、風邪なんてひいていませんでした」
「でも、熱が……」
「そうですね。――本当のことを言うと、私が風邪だと偽って鮎沢さんから風邪薬を貰ったことを知った江角先輩が心配して来てくれると思っていました。でも、先輩は来ませんでした。――だから」
「だから?」
「だから夜中に、のぼせるまでお風呂に浸かって髪も乾かさずに体が冷えるまで夜風に当たっていました。あの時の私は、練習の疲れで体力的にも限界でしたから風邪をひくのなんて簡単です」
「でも、どうして?」
「今川さんから聞きました。鮎沢先輩が登校中に倒れたとき、江角先輩がハンター坂の病院まで負ぶって連れて行き、看病した事。だから私が風邪をひいて寝ていると分かったら看病しに来てくれるんじゃないかなって。でも、自惚れでした。結局江角先輩は来てくれずに、私は宿においてけぼり。そのうえ折角掴んだティンパニーの座も失くしてしまったんです」
何も言えなかった。
私が高橋さんを傷つけて、追い詰めていた事を、気が付いてあげられなかったこと。
「でも、心配しないで下さい。いろいろ有りましたけど、それも今日で終わりましたから」
「今日で?」
「そう、今日です。今夜、鮎沢先輩と江角先輩のデュオを聞いて漸く分かりました。二人が固い絆で繋がっていること。江角先輩はプロ並みに上手いトロンボーンを捨ててまで、鮎沢先輩と一緒に居たいって思っていること。そして鮎沢先輩の気持ちを、この子が代弁してくれている事も」
そう言って高橋さんはロンを撫でていた。
撫でられたロンは、私の方に顔を向け可愛い瞳に夜空を映した。
***関連する章のご案内***
※高橋さんに執拗に絡まれてから、高橋さんが風邪で寝込んでしまう回⇒(名古屋国際会議場⑤~⑩参照)
※登校途中に倒れた千春を江角君がハンター邸に運び看病する回⇒(ハンター坂⑥~⑩参照)





