月のなくなった夜⑲
やはり思った通り、京子ちゃんはお姉さんを恨んではいない。
事故のあった日は、練習がお休みになってケイと遊ぶ涼子さんの事を恨み“死んでしまえばいい”と、はずみでそう思ったかも知れない。だけど中学生くらいの年頃ならそんなことを少しくらい思ってみたところでおそらく特別おかしくもないと思う。友達から似たような話も何度か聞いたことがあるけれど、それって素の感情をぶつけ合えるってことでしょ。
私の場合は兄と歳が離れているし、その上いつも優しくしてもらっていたから、兄妹喧嘩などした記憶はない。
だから、少しだけ羨ましいとさえ思うときもある。
最初不安定だった高音域やビブラートも最後の方は別人のように安定して、さすがに名門S女のコンクールメンバーを三年間勤めあげた才能の持ち主だと感心しながら聴いていた。
そして演奏が終わりリードから唇を外した京子ちゃんに聞く“久し振りに吹く自分のリードはどうだった?”と。
京子ちゃんは驚いて、なぜ分かったのか聞いてきたので、優しく微笑む。
それは、どんなに才能のある人が丁寧に作った最高級品の出来栄えでも、大人の作ったものと子供の作ったものは微妙に違う。
名古屋のコンクール会場で初めて会ったとき、京子ちゃんから姉の涼子さんの形見だと言って渡された。でもいざ吹いてみると、中学生の子が作る少し背伸びをした音ではなく、子供のような純粋な音が出て驚き、そして素直に喜んだ。この音なら勝負できると。
おそらく京子ちゃんが私を知るきっかけとなった前の年のコンクール。
そこで聴いた私の演奏は、京子ちゃんが未だオーボエを習っていた頃に“なりたい”と思い描いていた演奏に似ていたのだろう。
だから次の年も会場で会えると分かったとき、捻じ曲がらなかった自分の姿を見たい一心で、このリードを私に託した。京子ちゃんが観客席で見ているのは私ではなくて、ケイをケイとして育てることができ、トロンボーンに楽器を変更していない京子ちゃん自身。
口直しに、最後は私の曲で締めて欲しいと京子ちゃんに言われたので、何を演奏しようか迷った。そうそういつも風笛を演奏するばかりにはいかない。
オーボエのケース入れには、こんなとき用にために沢山の楽譜を入れてある。
その中で、つい最近江角君から貰った楽譜を思い出し、それを掴む。
タイトルは『ひまわり』
大昔にヒットした映画の主題歌だそうで、とても寂しくて悲しい曲。
映画の方は、戦地に行ったきり終戦になっても行方知れずになった恋人を探しに、戦場だった地に赴いた女性が案内されたのは、数えきれないほどの屍の上に敷き詰められるように咲くヒマワリ。
結局彼女は、この地で恋人の彼を見つけることができたけれど、彼は瀕死の重傷を負ったときに看病してくれた女性と、この地で結婚していて彼女は諦めて元の場所に戻ると言うお話し。
演奏しながら私は涙を零してしまったけれど、京子ちゃんは“何か胸につかえていた物が洗われて溶けた”と言ってくれた。





