ミルクを零した河⑭
結局、江角君から私たちのバイトの話を聞いた伊藤君が“偵察に行こう!”と言い出して、からかいに来たと言うことだ。
でも、なんのために偵察する必要があるの?
電車の中で、そのことを江角君に聞くけれど「さあ」と取り留めのない返事を返すだけで答えてくれない。
今は横浜からの帰り。
電車の中は、仕事が終わって家に戻る人たちで込み合って、江角君と私はドア付近に向かい合う形で立っていた。
結局二人共、私のバイトが終わるまで待ってくれていて、帰り間際に伊藤君が買い物を忘れたと言ってお店に走って行こうとする。
折角待ってもらったのだから、私もお買い物に付き合うと言ったのだけど、他にも何軒か行く用事があるからと断られた。
私がバイトしている間に、買い物を済ませてしまえばよかったのに、全くいつも慌て者のお調子乗りなんだから。と呆れていると何故か江角君に笑われる。
なにが可笑しいの?って聞いても江角君は優しく微笑むだけで答えてくれない。
“もうっ!その微笑んでいる口を、私の口で塞いでやる”
そう思ったけれど、ここは繁華街のど真ん中。
周りにも迷惑だし、私自身そんなことをする勇気もない。
それでも、駅前の広場に入ると何組かのカップルが路上でキスするのを目撃してしまい、顔が真っ赤になるくらいドキドキしてしまった。
そして今。
込み合った電車の中で、江角君と私の距離はゼロメートル。
顔と顔の距離は背の高さの分だけで、今ここで私の背丈が十五センチ伸びたとしたら目の前にある江角君の唇は私の唇と重なる。
不意に、そう思ってしまうと妙に意識してしまい、楽しい会話にも集中できなくなって途切れがちになり、江角君からどうしたのか聞かれ、私は「何でもない“ひと・酔い”」と答えるのが精一杯。
結局、江角君が私の体調を気遣ってくれて、途中の駅で電車を降りた。





