ミルクを零した河③
家に帰って兄の部屋を覗くと、そこにはガランとした生活感の無い立方体だけがある。
もう兄は、ここには戻って来ないと思うと暖かな部屋が妙に寒く冷たいものに感じた。
兄と過ごした日々。
歳が離れているので、喧嘩をした思い出はない。
思い出すのは、鉄棒や自転車の練習に付き合ってくれたことや、勉強を教えてもらったこと、運動会を見に来てくれたこと……。
中学の時、ロンを連れて花火大会を見に行ったときに不良に絡まれた後、それを撃退したロンの声を聞きつけて広い会場の中私を見つけてくれたこと。
そのとき一緒にいた綺麗なお姉さんが美樹さんだった。
中学校の運動会では、その美樹さんとロンを連れて応援に来てくれたこと。
ロンが美樹さんの隣で鼻の下を伸ばしていて嫉妬したこと、スキーに連れて行ってくれたこと。
色々なことを思い出すたびに、寂しさが増してしまい、その寂しさを癒すようにロンの柔らかい毛を撫でている。
優しいロンは、そうして私が気の済むまで私に寄り添いジッとしてくれていた。
屹度、兄もロンと同じだったんだろうと思う。
近いか遠いかの違いはあるけれど、ずっと私の事を優しく見てくれていたに違いない。
兄の部屋を出て、そのままロンを連れて散歩に出た。
いつものコース。
いつものベンチに腰掛けて夜空を見上げると、いつものようにロンも顔を上に上げる。
お決まりのポーズが、何故かいつもより愛くるしく感じる。
星の輝く空を、ゆっくりと雲が流れて行く。
その星と空の間を、悠々と飛ぶ飛行機。
見上げた飛行機には、兄と美樹さんが乗っていないことは分かっているけれど、もしかしたら飛行機の窓から、ここを眺めている人が居るかも知れない。
そう思うと、いつの間にか手を振っていた。
兄に伝えたい“ありがとう”の気持ちを胸に抱き、兄に届くようにベンチの上に立って大きく大きく手を振った。





