らくがき③
部屋に入ると、ロンがやたら加奈子さんに甘えようとする。
加奈子さんも犬は大好きだと言っていたけれど、最初はやっぱり恐々手を出していて、ロンは寄り添うように加奈子さんに体をあずけた。
それまでの雰囲気がガラリと変わり、緊張してケースを開く。
新品のトロンボーンにマジックで書かれた沢山の落書き。
“足を引っ張るな!”
“イケメン目当てなら、軽音に行けば~”
“目障り!”
“ノッポ出て行け!”
心無い言葉の、ひとつひとつを丁寧に二人で消してゆく。
全国大会に憧れて入ってきた人たちの、そして江角君を独り占めしてレッスンを受けていることへの嫉妬。
ずっと下を向いて拭いている加奈子のスカートに、時折涙の滴が落ちる。
それに気が付いたロンが、その涙を受け取るようにスカートの上に頭を乗せる。
「ゴメンね。濡れちゃうよ」
涙を拭いながら、謝る加奈子さんの顔を見上げるロン。
甘えだすロンに加奈子さんの手が止る。
ここはロンに任せてみようと、私は黙々と文字を消していく。
沢山有ったと思っていた落書きは、それ程でもなく直ぐにトロンボーンは元の通り綺麗になった。
「休憩しようか」
「すみません。私の物なのに大部分消して戴いて」
「いいよ」
私には落書きの文字は消せても、加奈子さんの心の痛みは消せない。
大切なのは落書きを消すことじゃない。
私は二階に加奈子さんとロンを残して台所にジュースとお菓子を取りに行った。





