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バトン③
差し出された物は、亡くなった京子のお姉さんが使うはずだったオーボエのリードが入ったケース。
「でも、大切な物でしょ」
私は躊躇って聞いた。
「鮎沢さんに、使って欲しい」
そう言って古矢京子は、そのケースを私の手に握らせ包み込む。
ケースの冷たさが、次第に手の温もりに代わる。
「来年もまた全国大会に来ようね」
古矢京子はニッコリ笑って、そう言うと踵を返して駆けだした。
「じゃあまた」
途中で一旦止まり、こっちを振り向いて大きく手を振って古矢京子が言う。
私も同じ言葉で返す。
古矢京子の明るくて綺麗な顔に、まるで花のように眩しくて無邪気な笑顔が咲いていた。
バスに戻るまで彼女の後姿を負ったけれど、そのあと彼女は一直線に会場のほうへ戻って行き、振り返ることはなかった。
しだいに小さくなって行く可憐な花。
私は、その花をいつまでも愛おしく見つめていた。





