河原の練習場⑧
土曜日の午後四時にロンと一緒に家を出た。
途中にある児童公園の傍を通ると、藤棚から漂ってくる良い香りが私たちを引き留めようとする。
でも、私たちが香りに釣られて立ち止まると、藤の花の蜜集めに忙しい熊蜂たちに仕事の邪魔だと言わんばかりに追い払われて私たちはその場から退散した。
犬の嗅覚は人間の百倍~一億倍と言われる。ロンもやはり凄い嗅覚を持っているみたいで、散歩の途中に私の好きなライラックやラベンダーの植えてある家の前を通ってくれる。
特に庭の温室でラベンダーを育てている古い洋館の前に立って、その香りを嗅いでいると、まるで映画「時をかける少女」の主人公になった気持ちになり時間旅行が出来たら良いのにと思いながら紫色のラベンダーに見とれていた。
時間旅行ができたなら、瑞希先輩に鶴岡部長の話を伝えた日……いいえ、それよりもロンの定期健診の日にリードを確り握りしめていてロンを放さずに鶴岡部長に合って話をしなければ、何も知らないままこの先の河原で瑞希先輩を含めた三人で仲良く練習しているんだろうなと考えていた。
道草をしていた分遅れて慌ててロンと河原の土手を登ると、もう里沙ちゃんが来てサックスを演奏していたけど、その音は尖って聞こえた。
里沙ちゃんの近くには、見慣れた茂山さんの車。
あれ?
でも、茂山さんが見えない。
車の中にも、里沙ちゃんの傍にも……。
土手を降りるときにはロンは里沙ちゃんを見つけたからなのか、大喜びで走り出そうとするのでリードを強く引いた。
「遅れてゴメーン!」
尖った音を出していた里沙ちゃんが笑って「遅い!」と言った。
「茂山さんは?」
私が聞くと、里沙ちゃんは苦~く笑って「散歩」と答え水面のほうを指さす。
指の先には川沿いを歩く茂山さん。
その大きな体からは一本のリードが斜め下に伸びているが膝から下側は伸び出した草花に隠れて見えない。
「犬の散歩?!」
里沙ちゃんに尋ねた瞬間にロンが強く引いて、手からリードが放れてしまった。





