桜の季節に向けて⑩
「あの!」
教室に戻ろうとする伊藤君に声を掛けた。
「ん?」
「あの曲……」
「ああ、風笛?」
「そう。もしかして……」
誰が、あそこで演奏しようと言い出したのか知りたかった。
「俺じゃないよ。それに……少なくても三年生は誰も知らないと思うよ」
「?」
「だって知っていて黙っていたら、あとで江角に怒られるじゃん」
なんで江角君が怒るのだろう?
教室の戻ると、その江角君と目が合った。
だけど直ぐに江角君は目を離し、友達と話しだしてそれっきり目を合わすことはなかった。
私たちのクラスが運動場に出る順番が来た。
下級生の拍手に迎えられ、綺麗な花飾りを付けられたアーチを潜って行く。
去年まで私たちがその係りをした。
晴れ晴れとした顔でアーチを通る先輩たちを羨ましく思い、憧れ色の眼差しで見送っていた。
そして、今年はそのアーチを自分が潜る。
式典で泣いていた卒業生たちが笑顔になるのが不思議だったけど、このアーチを潜ってその理由が分かる気がした。
アーチの出口で吹奏楽部の部員たちが待ってくれていた。
新しい部長の宮崎君と、副部長の今川さんが私に花束を持ってきてくれた。
「千春先輩。ご卒業おめでとうございます」
「ありがとう」
今川さんから花束を受け取ると好い香りがした。
「それからぁ……」
宮崎君が言いにくそうに話し始めたと思えば、急に大声で謝られた。
「す、すみませんでした。あ、あの曲!」
『風笛だ……』
「星空のコンサートのときに、先輩が入部した理由も含めて凄く好いなと思っていて、僕たちで千春先輩のときに絶対演奏しようって決めたんですが、まさか……その……」
「いいの。ありがとう。すっごく感動して、あんなになっちゃったけれど嬉しかったわ」
かなり心配していたのだろう、強張っていた員たちの顔がパァーっと明るくなった。
「感動屋から、大感動屋に進化したかしらね?!」
私の下手な冗談に、皆が笑ってくれた。
私もあの曲の理由が分かってホッとした。
“キャー!”
後ろのほうで突然騒ぎ声が聞こえて振り返った。
“犬!犬!”
とか
“ヤダ怖い!”
とか
“可愛い”
とか口々に話している。
見ると、私に向かって一直線に掛け来るロンと、その後ろでビデオを手に持って慌てて追いかけているお父さんが居て、リードがロンの首輪から垂れ下がっている。
ロンの顔を見たときに、周りの声なんて何も聞こえなくなった。
だって、こんなに沢山人がいるのに、ロンの目はズット私から離れようとしない。
いつもは、よその女の子にデレデレ愛想を振りまいているのに正直ズルイ。
好きでないと居られなくなっちゃうじゃない。
ロンは私の前まで来ると、歩を緩めてから飛び掛かろうとしたので、私も腰を下ろして受け止めてあげた。
周りから
「可愛い!」
という歓声も上がったけど、その中に
「なんで犬がいるの?」
という嫌な声も聞こえてくる。
それを耳にして当然だと思った。
すべての人が犬を受け入れてくれる訳ではないのだから。
お父さんは皆に謝りながらロンのリードを私から受け取ると退散していった。
私もお母さんと一緒に直ぐにお父さんとロンを追いかけて校門を後にした。
校門を出るときに、一度振り返って校舎を見た。
そこには入学式で見たときの校舎と全く同じ校舎があった。
でも、校舎の色は違って見えた。
それは、私が塗り重ねてきた分、色が変わったのだ。





