(7)記憶
サブタイトル追加(2008/11/09)
(7)
私の部屋は、元々母様が使っていた物らしかった。私の母様、ルミア・アングラス・グラジオンは父上よりも王族らしかったと聞いている。元々魔法ギルドの魔術師でグラジオン王国とは全く無縁の人生を送っていた母様がなぜグラジオン王国の王妃となり王女である私を生んだのか。それは、父上が諸国漫遊の旅に出ていたときに知り合い、唯一愛した女性だったかららしい。
父上は照れくさいのかそのことを詳しく話してくれなかった。だから私はそのことをもっぱらベルの口からおもしろおかしく聞くことになった。父上は本当に幸せだったのだと思う。だから母様が死んだときの嘆きようは本当に凄まじかった。
その時のことは幼い私の記憶にも不鮮明ながら残っていた。いつもベッドに横になっていた母様。それでも柔らかい笑みを浮かべて私の頭をなでてくれた母様。父上は公務の多忙さから一週間に2,3回ぐらいしか顔を合わせることが出来なかったけど、父上と話す母様の顔は本当に幸せそうだった。そう、娘である私がう羨ましがるぐらい幸せそうな笑みを浮かべていた。
その時には理解できなかったが、あれは愛する人と一緒にいられる幸せだったのだと思う。
私は毎日、朝と夜の食事が終わると母様の元に駆けつけて話をしていた。あの頃はいったい何の話をしていたのか。おそらく何の他愛もない話を一大事とばかりに手を振り回しながら話していたのだろうと思う。
だからだろうか・・・、日に日にやつれていく母様の様子を察することが出来なかったのを・・・。時折現れる父上が母様の見えないところで悲しそうな表情を浮かべていたのを・・・。
その日は突然に訪れた。朝、食事が終わって母様の部屋を訪れたとき、母様はそれまでに見たことが内ほど弱々しい笑みを浮かべていた。私は単に今日は疲れているのかなと思っただけだった。きっと、私の話を聞けばすぐにいつも通り私の頭を優しくなでてくれるようになると信じて疑わなかった。
母様は静かに私の話を聞いてくれていた。
そう・・・、本当に静かだった・・・。
私は話し終わって母様を見上げた。いつもなら私の頭をなでながらにっこりと笑ってくれるはずだった。
だけど、母様は目を閉じたままだった。私の話を聞いているうちに眠ってしまったのだろうか。私は母様の手を握って、ゆっくりと揺すった。母様を起こすときはいつもそうしていたのできっとこれで母様も起きてくれると思っていた。
だけど、母様は起きなかった。その手は驚くほど冷たくて、私は必死だった。最後には大声で泣き叫び、誰かの助けを呼んでいたと思う。
父上は気丈に振る舞っていた。周りの誰よりも強くあろうとしていた。母上の葬儀の時も眉ひとつ動かすことなく、ただじっとその様子を見下ろしていた。
私は、訳も分からずベルとユアのそばで泣きじゃくっていたのだと思う。泣いていたらきっと母様も心配して起きてくれる。また、私の頭をなでてくれると信じていた。
だけど、それは二度と訪れなかった。母様はもう帰ってこなかった。
私は葬儀が終わって誰もいなくなった会場で、母様の棺に寄りかかりながらいつまでも泣いていた。私も母様のそばに行きたい。本気でそんなことを思っていた。
気がつくと父上がそばに立っていた。厳しい目つきで、今まで見たことがないほど父上は怒っていた。
「レミュート。お前はいつまでそこにいるつもりだ。いつまで帰ってこない者のそばで泣いているつもりだ。」
私の感情ははじけた。あれほど感情をむき出しにしたのは今から振り返ってもあのときが初めてだったと思う。
私は言った。私も母様の所に行きたい、母様のいないここにはもういたくないと。
次の瞬間には私は床に跪いていた。父上が私の頬を叩いたと知ったのは少ししたときだった。
そして、私ははじけるように泣き出した。父上が怖くて、頬がいたくて、そして何より母様とは二度と会えないということを理解してしまったことに。
私は泣いた、父上の胸の中で思いっきり泣いた。泣けない父上の分まで私が泣いた。
それから私は泣かなくなった。現実というものが少しは身近に感じられるようになったのかもしれない。こうして冷静に過去を振り返ることが出来るぐらいには強くなったと思う。
レミーは深いため息をつきながら窓の外を見やった。自室に戻って少し落ち着いたのか、彼女の心は部屋に戻る前と比べると随分ささくれがとれたようだ。
ドアがノックされ、ユアが部屋に顔を出した。
「遅くなってごめんなさい・・・。」
見るとユアの両手には紅茶のセットがおかれている、これなら手伝った方が良かったかなとレミーは思うと、彼女を手伝い、それをテーブルの上に置いた。
すでにカップは温められており、紅茶もちょうど良い温度になっているようだ。
ユアはそれらが冷めないうちにカップに注ぐとレミーに差し出した。
「ありがとう。」
ユアの入れた紅茶は本当においしい、ベルの入れる紅茶はよく飲むが彼の生来の面倒くささが災いしてその味もこれに比べると随分雑だ。
(まったく、ベルももう少し気を遣って入れればいいのに)
レミーはお代わりをもらうと今度はゆっくりと飲むことにした。
ユアはにっこり笑いながらレミーを長めながら目を細めた。
部屋に沈黙が訪れた。夕日の光はまばゆい光沢を放ち、夜の到来を予感させるように世界を朱に染め上げている。
紅を帯びた雲はやがて空の闇の中にとけ込み、一時の眠りにつくことだろう。月の光はやがて世界を包み込みすべてに安息を与え、星の瞬きは夜空の神秘を人々に教えてくれることだろう。
少し風が強くなってきたようだ。季節はすでに冬の到来を告げている、やがてこの風も雪を伴う吹雪となって大地を覆い尽くすことだろう。世界は一時の眠りにつく。それは春の到来を夢見る淡き眠りの中に沈む事だろう。
「話を・・・聞いてくれる?」
レミーは静かにカップをおろすとしっかりとした瞳でユアを見つめた。
「うん・・・、私で良ければ・・・。」
窓の外にそびえる巨木の枯れ葉が、風に舞いゆっくりと大地へと落ちていった。