(3)正午の談笑
現在修正第二稿目(2008/10/30)
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朝食が終わり王宮はにわかに慌ただしくなってきた。
ベルディナは暗く締め切った部屋の中程に据え付けられてある広い勉強机に腰を落ち着けながら扉の向こう側の喧噪に耳を傾けながら手元の本のページをめくった。
「・・ねえ・・。何を読んでいるの?」
その窓際に備えられた椅子に腰を下ろしていたユアはベルディナの手元に興味を引かれたようだ。
彼女の手元にも体に似合わない分厚い本が鎮座していた。その表紙の文字を見るとそこには「有翼人と癒しの魔法に関する考察」と銘打たれていた。何かの研究論文なのだろうか、そこに並べられている文字は文学小説とはほど遠い、実に堅苦しく論理的なものだった。
「アルバート・レティーザ・ホーキングの根源魔術論文だ。昨日ギルドから届いたやつだ。」
どうやら彼の読んでいた物も研究論文の一種だったようだ。その装丁はシンプルではあるがなかなかしっかりとした作りになっている。魔法ギルドの大導師である彼に送る本であるということで装丁に気を配っているのか、はたまたその著者がギルドにおいて高い権威を持つ事の表れであるのか。
しかし、ユアは彼がその論文を読んでいることに疑問を覚えた。
「でも、その人って・・・。」
ベルディナは、「ん?」と顔を上げると、論文とユアを見比べ、その理由を思い当たった。
実のところ、この論文の著者であるアルバート・レティーザ・ホーキングとベルディナはギルド内でも有名なほど仲が悪い。
典型的な魔術研究者であるアルバートと社会貢献を目的に研究をする"異端児"であるベルディナとではその方針の違いでたびたび衝突していた過去があるのだ。
「まあ、仲は良くねぇな。だが、研究と人間関係は別もんだ。それに、今の俺は魔法ギルドの魔術士じゃねえ。」
「そうだね・・。」
ユアは少々納得していない様子だが、研究者でない自分が何を言っても意味がないと思うと、今度はその論文の内容が気になった。
「後で読ませてやるよ。」
ベルディナはそれを察すると少し読むペースを速めた。
いつもの風景だ。
ベルディナの元には新しく発表された論文はすぐに届けられることになっている。ベルディナはギルドの最新の動向を知るためにそれを読み、読み終わった物は自動的にユアの元にいくという流れが最近になって自然な流れとなった。
物心すらついていない頃、ベルディナに拾われ彼の手で育てられたユアはそうして知識を身につけていったのだ。
ただ、そのせいで他人との交流が希薄になってしまったことが、ユアの人格構成に少しの弊害をもたらしてしまったことをベルディナは心配している。
レミュートが居てくれて良かったとベルディナはいつも思う。彼女と同様、王宮では同年代の友人の居ないユアにとってもレミュートとの親交は心のありどころとなっていた。そして、今はそれにミリオンも加わりとてもよい状況になってきていると彼は感じていた。しかし、その中にあって自分はユアに何を与えることが出来たのだろうかと考え、その答えは未だ得られていない。
部屋の中に沈黙が訪れる。そこに響くのはページをめくる音と時折漏れる細い息づかいのみ。
ベルディナはふと顔を上げた。カーテンの隙間から流れ込んでくる光の筋は客人の到来の時間を告げていた。
「・・・・?」
扉がノックされる音にユアは気がついた。
「入りな。」
ベルディナは論文を読みつつ、若干ぞんざいに答えた。
扉の蝶番がきしむ音が響くと、そこから二人の男女が顔を現した。
「よう、お前ら、今日も来たのか。」
先ほど述べたように、彼の研究は最近になってようやく一段落ついた。その機会に休暇を取っているベルディナはここのとこ部屋で読まないままためていた本を読んでいるか、王宮をブラブラと散歩しているかのどちらかの生活を送っている。
そのためか、この数日間、朝の家にユアをはじめとして彼らが部屋を訪ねることが多い。
「勉強が目的だ。遊びに来たわけではない。」
ミリオンのそのぶっきらぼうな物言にベルディナは「まあ、そうだろうな」と答えながら読んでいた論文を閉じることとした。
「じゃまだったかな?」
肩にかけていたガウンを服掛に吊しながらレミュートは空いている椅子を探した。
「本を読んでいただけだから、大丈夫・・・だよね?」
ユアのおずおずとした問いかけにベルディナは肩をすくめると「大丈夫だ」と言って論文を本棚にしまうこととした。
「おはよう、ユア、今日も綺麗だね。」
レミーは笑みを浮かべながらユアに挨拶する。
「そ、そんなことないよ・・・。私なんかよりレミーのほうが・・・。」
「ふふふ・・・。」
ユアの照れた仕草を見てレミュートは満足げに微笑んだ。
「さーてと、今日は何の勉強をしますかね。」
ベルディナは、論文をしまうついでに執務机の後ろに置かれた本棚を適当にあさり始めた。
「退屈しないものを望む。」
ミリオンは腰の剣をベッドの側に立てかけ、その隅に置いてあった椅子に腰を下ろした。
「鎧も脱げばいいじゃない。重いでしょ、それ。」
彼の装備は比較的軽装ではあるが、レミュートにとってそれは窮屈そうに見えるのだろう。
「付け直しが面倒だ。それに、邪魔になるわけでもない。」
胸全体を覆い隠す銀色の鎧はミスリル合金でできているため、普通の鎧よりはずいぶんと軽く作られている。
海の向こうの大国、神聖スリンピア王国ではミスリル製の武具は比較的高価だが、豊富なミスリル鉱山をもつグラジオン王国ではそれなりに安価で手にはいるのだ。
「そうなの。」
ユアは不思議そうにミリオンの鎧を眺める。
「ああ。大丈夫だ。」
ミリオンはそういいながら鎧を軽くコンコンと指ではじいた。
「うん。分ったよ。」
ユアはそんな彼の仕草をみて、妙にうれしそうにニッコリと微笑んだ。
「俺の目の前で二人だけの世界を作るんじゃねぇ。」
ベルディナが冷やかすように声を投げかける、
「・・べ、別に・・・そんなんじゃ・・・。」
ユアがあわててとるつくろうその仕草が、ベルディナにとっては楽しみの一つなのだ。
だから、ミリオンはあえて反論しない。
「いいじゃない。二人はそういう関係なんだから。」
レミュートがさらに茶々を入れる。
「や、やめてよ・・・、レミー・・・。」
ユアの情けない悲鳴を耳にレミュートとベルディナは大笑いする。
「気に掛けるな。あの二人は君が取り乱すのを楽しんでいるだけだ。」
ミリオンはユアの頭をやんわりとなでながら諭す。
「で、でも・・・。」
ユアは恥ずかしそうに俯いて頬を桃色に染めた。
「まったく、いちゃつくなら外でやりやがれ。」
「ベル、いくら羨ましいからって、そんなこと言っちゃだめだよ。ユアがかわいそうだよ。」
ベルディナとレミュートはそんな二人を暖かな(?)眼差しで見守る。
「うぅ・・・・。」
ユアはさらに小さくちぢこもってしまった。
「お前達、いい加減にしておけ。」
ミリオンはやや醒めた眼差しを二人に向けた。
「へいへい、分りましたよ。」
ベルディナはやれやれと肩をすくめると椅子を引いてそれに腰を下ろした。
「さてと、今日は神竜の話にしておくか。」
ベルディナは一冊の分厚い本を机に置いた。
「・・ほ・・・。」
ユアの安心したようなため息が聞こえるが、ベルディナは気にせずページをぺらぺらとめくる。そのページは既に癖がついているようで特にページを追わなくともすぐに開くことができた。
『神竜に関する一般的認識とその歴史』。何度ここに立ち戻り、そして何度胸に痛みを覚えたか。既に300年近い時がたとうとしているのにこの痛みは一向に治まる気配はない。
ベルディナは、レミュートたちに気がづかれないように息を吸うと、いつもの調子で本を机に置いた。
「では、レミー、お前は神竜について何を知っている?」
ベルディナはそういうとレミュートの方に視線を向けた。
「えーっと。神竜はこの星の守護者で、この世界のあらゆる現象、力を司る存在である。神竜王を頂点として、赤竜、青竜、白竜、黒竜がその周囲を守る。だっけ?」
本屋物語で語り継がれていることを思い出しながらレミュートは答えた。
「その通り。神竜はこの星に流れる魔法力を管理する存在だってことは少し調べれば分かるな。今回はその神竜についての伝説を少し話すか。」
レミュートは目を光らせた。
「黄昏の魔法剣士クリス・ロジャース!精霊使いディレイア・シルバースター!竜騎士クレア・ラインズ・フォント!全部、神竜に関する伝説でしょう?!」
「俺より詳しいかもな。」
期待した通りの反応が返ってきてベルディナも満足そうだった。
「うん、こういう話は大好き。」
「そうか。だったらその中でも特に有名な竜騎士クレア・ラインズ・フォントの話からいくか。」
レミュートは瞳を輝かせながら、ベルディナの話に耳を傾ける。
「そもそも始まりは300年ほど前までさかのぼる。」
ミリオンもいつのまにかベルディナの話に耳を傾けていた。
「300年前と言えば・・・ベル、お前は生まれれいたのか?」
ミリオンは横から質問をする。
「ああ。俺は今年で、だいたい320歳ぐらいだからな。その当時は・・・20歳前後ってところだ。まだまだガキだった頃だな。」
ベルディナはエルフのため普通の人間よりは、ずいぶん長く生きる。だから、彼はその年でもまだまだ青年の容貌なのだ。
「それなら、クレアとの面識もあるのではないか?」
「・・・どうかな。・・・話を続けるぞ。」
ベルディナはずいぶんとぶっきらぼうに答える。
「クレアの出生はあまり明らかにされていない。その当時、今では滅びてしまったウィルニシア王国の魔法学園にクレアの名前を見つけた学者もいるが、それが本人であるかは定かじゃない。文献に記されているのは彼女が旅をしている最中から始まっている。彼女が旅をしていたそんなある日・・・。」
「神託が下ったんだよね?」
レミュートがわくわくした様子でベルディナの言葉に続けていった。
「そうだ。ある日、神竜を名乗る存在から神託が下った。」
「・・・"我が声が聞こえているか?聞こえているのなら今はただ聞くがいい。汝は今より我が運命を背負う使命を与えられた。西の国へと赴け。そこに我が力の象徴たるものがそなたを待っている。"・・・だよね・・・。」
それを言ったのはユアだった。
「そう。そして、クレアは旅だった。そして、西の国、今で言うアルテ地方あたりかで見つけたのが・・・。」
ベルディナが二の句をつなげようとすると、
「聖剣エグザヴァイサーか・・。」
ミリオンが口を挟んだ。
「お前ら。俺の言いたいことをとるんじゃねえ。」
ベルディナは憤慨するように言った。
「・・・あ、その・・・、ごめんなさい。」
ユアは微笑みながら謝った。
「で?続けて。」
レミュートはそんなベルディナを気にせずに先を促した。
「ここからは少し説が分かれててな。クレアの下に神竜王が降り立ち、それを落としていったとか、どこかの川にあった岩に突き刺さっていた剣こそがエグザヴァイサーだったとか、はたまた神竜王自身が剣に姿を変えたなんてトンでも論すらある。まあ、ここら辺は本人に聞いてみないことには分りゃしねえな。」
「私は神竜王が落としていったって言うのが一番本当らしいとおもうなあ。だって、クレアはそのあと、神竜王に出会っているんでしょう?神竜王が変貌したんだったら会えるはずないし。それに、その当時はアルテ地方には川がなかったって聞いたから、川で拾ったこともないよね。」
「俺もそう思う。だが、それだけでは決められないというのが辛いところだ。」
ベルディナは立ち上がると紅茶のポットに手をかけた。
軽く中身を振るとそれはたちまちに湯気が上がり、カップに注がれた紅茶は温かな香りが立ちこめていた。
「ミリオンとユアは自分で入れるんだぜ。」
ベルディナはそういうとカップを二つ、机の上に置いた。
「ふう。おいしいね。」
甘い紅茶の風味を楽しみつつレミュートはそれを口に含んだ。
「点れたのはユアだがな。茶葉はグレジナヴェストの名品だ。」
ベルディナは得意げな顔でカップを傾けた。
「うん、葉っぱがよく開いてちょうどいいぐらいだね。」
いつの間にかミリオンもユアもそれぞれカップを傾けていた。
「ちなみに、この剣が今どこにあるかは不明のままだ。クレアの最後戦いの混乱の中で消失してしまったらしいが、詳しいことは謎のままだ。今でもそれを探している奴もいるが、たいした成果は得られていないって話だ。」
「ふーん。意外とこの国の宝物庫に隠されていたりしてね。」
レミュートは笑いながらそんなことをいった。
「その可能性はゼロだ。」
ミリオンはすかさず反論した。
「だけど、意外性で言ったら最高レベルなんじゃない?"灯台もと暗し"って言葉もあることだし。」
レミュートは椅子から身を乗り出してミリオンの方に目を向けた。
「意外性のレベルとはなんだ。」
ミリオンは肩をすくめた。
「あー、お前らそれぐらいにしとけよ。」
放っておけば、いつまで経っても不毛な会話を続けそうな二人をとがめるように、ベルディナは本をポンポンと叩いた。
「あ、ごめんなさい。」
レミュートは空になったカップを机の上に置いて、またベルディナの話に耳を傾けた。
「その剣が今どこにあるかはこの際どうでもいい。とにかく、クレアはそれを手に入れた。しかし、その状態ではまだまだ剣のすべての力を発揮することはできなかった。なぜだか分るか?」
「聖剣が神竜の力に満たされていなかったから?」
レミュートは自分の記憶をたぐり寄せるように答えた。
「そうだな。エグザヴァイサーは生まれたての赤ん坊みたいなものだったわけだ。それだけでも大きな力を持っていたという説もあるが、どちらにせよ神竜の恩恵を受けない限り本当の力は出せなかったって訳だ。」
「そこで神竜を求める旅が始まるわけだね。」
ベルディナは「その通り」といって頷いた。
「赤竜、青竜、白竜、黒竜。この四体の神竜達の恩恵を受けるためクレアはあらゆる文献をたどってその所在を突き止めた。ただし、今ではその神竜の所在は分からない。伝承から位置を突き止めることはできたが、そこで神竜を見つけることはできなかった。まあ、曖昧な資料が多すぎるのが一番の原因だろうがな。」
「結構難しいものなんだね。」
レミュートはそういうとカップを傾けた。
「空じゃねえのか?」
ベルディナに言われて初めてカップの中に何も入っていないことを思い出し、赤面しながら机においた。
ベルディナは何も言わずにポットからカップに紅茶を注いだ。
「だけど、クレアが挑んだ最後の戦いの場所は明記されているよね?」
紅茶に砂糖を入れながら、ふとレミュートは思い出した。
「・・・冥竜王との決戦・・・。」
それを言ったのはユアだった。
「冥竜王。大いなる闇の権化。世界を破滅させし者。闇の眷族の王たる存在。その異名はいくらでもある。」
ミリオンの口調は少し重々しい。
「その戦場は、かつてのスリンピア王国の王都だ。今のスリンピア王国はその焼け野原を出発点としている。」
ベルディナの口調にはどこか憎しみのようなものが込められているように思えるのは、果たして気のせいか。
「そんなところからよく今みたいになれたよね。」
レミュートは一度だけ訪れたことのあるスリンピアの王都を思い描いた。
「正直、たった300年であそこまで発展するとは思わなかった。」
ベルディナは荒廃した大地を思い浮かべた。草木の一本すらも焼き払われ、大地には巨孔が穿たれ、川の流れは夥しい死にあふれかえった。
目を背けたくなる過去、永遠に失われてしまった多くの物、守るべき物を失った時。
全ては過ぎ去った遠い過去としてしまうにはあまりにも凄惨な光景だった。
「・・人の力は・・偉大だね・・・。」
ユアはカップを静かに揺らした。ゆらゆらと揺れる水面が部屋の僅かな光を反射して儚く輝いている。
「ああ、人間の秘められた力にはいつも驚かせられる。俺達エルフ族にはない力だ。」
ベルディナもかみしめるように言う。
ベルディナの部屋に沈黙が訪れた
「レミー、そろそろ時間だ。」
その沈黙を破ったのはミリオンだった。
「え?もうそんな時間?」
時計を持っていないレミュートは、あわててミリオンの懐中時計をのぞき込んだ。
「ああ。」
カーテンの向こうから注ぐ陽光は随分と高くなっている。そろそろ昼食の時間だ。
「そうか。そろそろ昼飯時か。」
気がついたら腹が心許なくなってきていた。ベルディナは腹をさすると本を閉じた。
「そんじゃ、今日はこれで終わりだな。午後からは用事があるんだろう?」
すでにレミュートの用事のことは耳に入っていたらしくベルディナはそういうと本を閉じた。
「公務というべきだな。」
ミリオンは立ち上がりながらベッドのそばに立てかけてあった剣を腰に差すと、レミュートの方に向き直った。
「細けぇ奴だな、お前は。」
「ベル、そんな言い方は良くないよ。」
ユアはにこにこしながらも立ち上がった。
「ユアも食事か?」
「うん・・・。一緒に行こ・・・。」
「だったら俺も行くかな。」
ベルディナもそういうと部屋の鍵を取り上げると本を棚にしまった。
「だったらみんなで行こうよ。」
レミュートはうきうきしたように三人を促す。
「おいおい、お前は食堂じゃねえだろうが。」
ベルディナは苦笑しながらも三人を追い出すように入り口に向かう。
「あまりせかすな。」
ミリオンも苦笑を浮かべるとユアに付き添うように部屋を出た。
「それでは、レミーを届けたら私もすぐに行く。」
ミリオンは反対側を行く二人にそういった。
「それじゃあ、なんだか私がお荷物みたいに聞こえるんだけど。」
周りに人がいないことを確認するとレミュートは口をとがらせた。
「ははは・・じゃあ、またな。」
ベルディナは笑いながら、いやみったらしく手を振った。
「またね。」
ベルディナとユアは、連れ添うように食堂に向かっていった。
「今日は何を食うかな・・・。」
ミリオンとレミュートを見送ってベルディナは呟いた。
「今日は、・・・珍しいライスが手に入ったって・・・。あと、カボチャスープ・・・。」
「ほう、だったら今日はそうするか。」
「・・うん・・。」
二人はそんな会話を交わしながらゆっくりとした足取りで食堂に向かっていった。