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海辺の家に  作者: 今西薫
2/7

 それから長期休みのたびに、あたしはコーヘーを訪ねていった。

 たぶん、夏休みに行って会えてしまったのがいけなかったんだと思う。

 中三の夏休みに入ってすぐの一週間、いつも通りにあたしはおばあちゃん家に泊まりに行った。その一週間の間の日曜日に、会えたらいいな、くらいの気持ちで行ったのだ。

 それでも、会えた時のために、スーパーで四分の一サイズに切られたスイカを用意した。いなかったら持って帰ったらいいし、いたら春の時のお礼だって渡せばいい。本当はアイスクリームがいいかなって思ったけど、いなかった時に溶けてしまうことを考えて諦めた。

 春の時、熱が下がってから、お礼におばあちゃんとロールケーキを持って行ったから、本当はいらないのかもしれない。でも、あたしからのお礼を渡したかったのだ。

 おばあちゃん家に帰ったあたしはそのまま熱を出して寝込んでしまった。なんとなく着替えたことと、何か薬を飲んだことを覚えている。

 休みの度に泊まりに行ってるので、おばあちゃんもお母さんも慣れたもので、大騒ぎなんかしない。次の日の朝には熱はしっかり下がったので、病院にも行かずに、でもその日一日は大人しく過ごした。それからさらに次の日、おばあちゃんのお手伝いをしてロールケーキを作ったのだ。

 おばあちゃんと、コーヘーのお母さんは、「さとちゃん」「やっちゃん」の仲で、あたしが寝込んでいる間に電話でやりとりしてたみたいだった。おばあちゃんが「さとちゃん」で、コーヘーのお母さんが「やっちゃん」だ。昼休みの高橋医院の自宅の玄関を訪ねた時に、やたら喜んでくれて、「私もこんな可愛い孫が欲しいわ!」なんてチラリとコーヘーを見たりしていた。コーヘーは「それは姉貴たちに言え」なんて返してたけど。コーヘーのお姉さんたちはもう嫁いでて、お孫さんはみんな男の子らしい。あとでおばあちゃんから聞いた。

 ロールケーキを渡すと、コーヘーのお母さんはさらに喜んでくれた。おばあちゃんのロールケーキは本当に美味しいからよく判る。本当はあたしが一人で作りたかったんだけど、まだおばあちゃんからは及第点を貰ってないから黙って手伝った。どうせなら美味しいものを食べてほしかったから。

 だからよけいに自分でお礼をしたいって思ったんだと思う。



 高橋医院の横の道を歩いて、低い塀が見えてきて庭全体が見える直前、

 ――女の人がよく出入りしてるって聞くのよねえ

 って呟くように言ったおばあちゃんの声が頭の中に響いた。

 「やっちゃん」との仲を話してくれた時に言っていたのだ。

 コーヘーのお母さんとお祖母ちゃんは同い年なんだけど、結婚したのが遅くてしかも子供が産まれるのも遅かったらしい。二人いるお姉さんもお医者さんをしてて、でも県外に住んでいる。コーヘーは最初は大学病院で働いていたけど、お父さんが病気で倒れたことがあって、今は高橋医院で働いている。お父さんも働いているらしいけど。

 コーヘーが住んでいる家は、コーヘーの亡くなったお爺さんの家で、改築して一人暮らしをしているらしい。一緒に住んでもよかったんだけど、ってコーヘーのお母さんは言ってたらしいけど、一人のほうが気楽だって家を出たのだそう。その結果、犬と猫が増えたのかな。そう思った時に、聞こえたのだ。

 心臓が大きな音を立てたけど、おばあちゃんに気付かれないように、聞こえなかったふりをして、ごはんをおかわりした。

 もう一歩踏み出すとコーヘーの姿が見えた。声をかけようと思ったら、コーヘーの「グッボーイ!」って楽しそうに叫ぶ声が聞こえて、思わずやめてしまう。よく見ると、リュウイチがフリスビーを咥えてコーヘーの元に戻るところだった。

 この何もない庭は、犬とこうやって遊ぶためだったんだ、ってそこで気付いた。

 リュウイチはコーヘーにフリスビーを渡すとするりと後ろを回って、コーヘーの左側で伏せた。それを確認してから、コーヘーはフリスビーを投げ、「ゴー!」と声をかける。多分「ゴ」って聞こえた瞬間にはリュウイチは駆けだしていた。そして飛んでいるフリスビーに追いついて、ジャンプしながら体の向きを捻って、空中でキャッチした。

「すごい!」

 思わず声をあげて、拍手までしてしまった。

 「グッボーイ!」って声をかけようとしたコーヘーは、「グッ」ってところで切って振り返った。

「来てたのか」

 コーヘーは、特に驚いた様子もなく、笑って声をかけてくれた。

 あたしは、ビニール袋を持ち上げる。

「スイカ持ってきたの!」

「おお、サンキュ!」

 嬉しそうに声を上げ、縁側を指さした。



 あたしが移動する間に(その時家の横の道にいたから、角を曲がって塀の隙間から中に入った。けっこう時間がかかった)、リュウイチはもう一度フリスビーをキャッチして、コーヘーにガシガシとぐちゃぐちゃになるくらい撫でられて嬉しそうにはしゃいでしていた。ひとしきり撫でたコーヘーは「オフ」ってリュウイチに声をかけて、縁側のほうに歩いてきた。

「リュウイチ、すごいね、フリスビー上手だね」

 腕で汗をぬぐいながらやってきたコーヘーに声をかけて、ビニール袋を渡す。

「春にはありがとうございました」

 頭を丁寧に下げる。と、コーヘーはちょっと目を見開いてから苦笑した。

「どういたしまして。……今日は裸足じゃないな」

 夏だというのに、あたしは靴下にスニーカーだ。

「夏だから裸足でも大丈夫だけどね」

「ロールケーキ、美味かったよ。みくも手伝ったって?」

 コーヘーはビニール袋だけに触れて受け取って、思い出したように言った。

「電動の泡立て器でおばあちゃんがいいって言うまで泡立てたり、粉をふるったりしたよ」

 教えてもらう時は、全部の工程を一人ですることもあるから、あたしはこれが何もしてないのと同じくらいだってことは判ってる。それでもコーヘーは判らないから、おおすごいな、って褒めてくれる。

「おふくろがあのロールケーキが大好きでな。さとちゃんがロールケーキ屋とかしたら毎日買いに行くのにとかバカなことを言ってるよ。俺もオヤジも、姉貴たちも好きだけどな」

 縁側に座るように言って、コーヘーは中に入っていく。

 取り残されたあたしは、春と同じように腰かけて、足をぶらぶらさせた。

 障子は今日も閉めたままで、中を見ることはできない。特に見たいわけじゃないけど、風を入れたらいいのにってちょっと思う。

 ふと見ると、リュウイチが近くに座って見上げていた。

 あれから調べたから知っている。ボーダーコリーっていう種類だ。図書館で調べた時に見た写真ではもっと太目のもっさりした感じだったけど、リュウイチは細身で、すごく身軽そうに見える。

 せっかく座ったのだけど、あたしは縁側から飛び降りて、リュウイチの正面から少し横に逸れた位置でしゃがんだ。

「すごいね、リュウイチ、カッコイイね」

 しゃがむと目線が同じくらいになる。そっと手を伸ばして耳の下あたりを撫でてやると、リュウイチは瞬きを一つして、左耳を少しだけ持ち上げるようにした。

「……みくは、犬タラシでもあるのか…」

 呆れたような声が背後でした。振り返るとお盆にスイカとグラスを載せてコーヘーが立っていた。

「フリスビー上手だねって褒めてただけだよ」

「それだよ。今、リュウイチは鼻の下が伸びきっている」

 言われてよくよく見てみるがどこがどう違うのかが判らない。

 立ち上がって、再び縁側に座ると、コーヘーがその横にお盆を置いた。

「そうか? すごく自慢げに胸まで張ってるぞ」

 ――あれは、姿勢よく座ってるだけではないのか…

 やっぱりよく判らなくて、じっと見ていると、コーヘーは、リュウイチ、って呼んだ。同時に、トントンって何かを叩く音がする。

 と、リュウイチが立ち上がって、コーヘーの元に寄った。

 目で追いかけてると、コーヘーは、カットされたスイカの先端をスプーンで切り取ると、それを手に持ってリュウイチの口先に持っていく。リュウイチは上手に口を開けて、コーヘーの指を咬まないようにそっとスイカを咥えてから、ほとんど噛まずに飲みこんだ。

「……犬ってスイカ食べるんだ…」

 驚くと、コーヘーはおかしそうに笑った。

「うちのは、好きみたいだな。ドッグフードとかしか与えてないからじゃないかな? ニンゲン用に味つけされたものは食べさせなかったから、フルーツみたいな甘いものは大好きだよ。こいつも、もう1頭のウサミも」

「へえー」

「まあ、だからって大量には食べさせないけどね」

 スイカを一口貰ったリュウイチは、それで終わりだと知っているようで、少し離れたところまで移動して、地面に寝そべった。

 コーヘーは持ってきた濡れタオルで指先を拭って、先の欠けたスイカを手に取った。

「いただきます」

 ちゃんと声に出すからなんだか照れて、あたしもスイカに手を伸ばした。

「あたしも食べようっと」

 盆に載せられたスイカは四切れ。全部、先端が尖るようにさんかくすいみたいな形にカットされている。でも全部合わせても、半月形にはなりそうにない。もう一切れは、ウサミ用なのかなって思いながら手に取ったスイカにかぶりつく。

「お、甘い」

「ホントだ」

「ウサミに残しておいて正解」

 やっぱり、ウサミ用に一切れ取っおいたみたい。

「ウサミ、どこにいるの?」

 そう言えば、春の時も姿を見ていない。

「家の中で寝てるよ。もうお婆ちゃんだからね、わざわざ起こさなかったんだ」

 そう話すコーヘーの表情はやわらかくなる。

「今度来た時に起きてたら、会わせてやるな」

「ホント? ありがとう!」

 コーヘーはウサミをすっごく大切にしているんだろうなって判る。

 ウサミが大好きなスイカでも、わざわざ起こして食べさせるようなことはしない。今度来た時にもし起きてなかったら、きっと会わせてくれないんだろうなって思う。

 あたしを家の中に入れてくれたら、ウサミを見られるけど、コーヘーはきっとそれもしない。

 なんとなくそう思った。

 だんだん甘さの減っていくスイカを食べていると、庭のほうから黒猫がやってきて、縁側に飛び乗ってそのままあたしの方へ歩いてきた。

「ネズイチ?」

 確認するように呼んで、コーヘーを見ると、正解、と頷いてくれる。

 ネズイチも立ち止まると返事をするように瞬きを一つ返して、じっとあたしの顔を見た。しばらく見つめ合って、一体なんなんだろう、なんて思ってたら、ネズイチはフイと視線を逸らして、わざわざあたしの膝の上を、ご丁寧に全部の足で踏みながら乗り越えて、家の中にはいっていった。

「今日は大丈夫だ、って」

 くっくっと笑いながらコーヘーが解説してくれる。

「ホント、猫タラシに犬タラシだな」

「今日は踏まれただけだよ」

 ちょっと膨れながら言うと、心配して様子を見にきたんだよ、と言われる。そう言われると反論し辛い。

 そのまま黙って二人でスイカを食べて麦茶を飲んだ。

 そしてあたしが濡れタオルで手を拭き終わるのを見ると、「ごちそうさん」と声をかけてくれた。

 それが、もう帰れ、と聞こえて、あたしは縁側から降りた。

「うん、じゃあね」

 そう言って去ろうとするあたしの背に、

「おまえ、中三だって? 受験勉強してんの?」

 コーヘーはそんな声をかけた。

 それはつまり、もう来るなってことなのかなって、ちょっと思う。

 思ったけど、気付かないフリをすることにした。

 ウサミを見せて貰わなくちゃいけない。

「してるよー。今年は勉強道具一式持ってお泊りだもん」

 お母さんは、娘が受験だろうが何だろうが、勉強はどこででもできるし、一週間おばあちゃん家に行くことで落ちるような高校なら受かってから苦労するから行く必要が無いなんて言う。ちょっと変わってると思う。お父さんも同意するあたり、うちの両親はかなり変だ。

「おふくろから聞いたけど、英文志望だって?」

「おばあちゃん、おしゃべりなんだから…」

 ちょっと顔をしかめて見せる。

「翻訳やれたらなって思ったの。海外の小説の」

 将来の目標なんて、ホントはない。でも、英語が好きで、それが活かせる職業ってなんだろう?って考えた時に、ちょっといいなって思ったんだ。かなり狭い世界みたいだから、出来るかどうかは判らないけど、目標にしてもいいかなって思ってる。

「そうか。まあ、がんばれ」

「うん、ありがと」

 手を振って帰った。もうコーヘーも声をかけなかったし、あたしも振り返らなかった。

 おばあちゃんには、コーヘーに会ったことと、リュウイチがすごくフリスビーが上手でスイカも食べることを伝えた。

「なんか、浩平ったら未来ちゃんからスイカ貰ったみたいで」

 未来が自宅に戻った頃、やすから電話がかかってきた。さとは、未来が浩平と会ったという話は聞いていたが、スイカの話は聞いていない。なんとなく不安を覚え、ため息をついた。

 と、電話の向こうで靖美がカラカラと笑った。

「うちは、未来ちゃんみたいな子が、浩平のお嫁さんになってくれたら、そりゃ嬉しいけどねえ、まあまだ早いわよねえ」

 それが問題だ。

 未来はまだ中学生で、歳が離れていることを除いても、結婚できる年齢ですらない。ただの憧れの相手だとしても、微笑ましいとはなかなか言いにくい相手を選んだことに、里恵は歯噛みをしたいくらいだった。

 しかも、おそらく未来はまだ無自覚だ。

「こんなのでさとちゃんが安心するかは判らないけど、浩平が未来ちゃんを無理矢理どうこうとか、二人で盛り上がってどうこうっていうのは多分ないわよ」

 憂鬱になりそうになる里恵をよそに、靖美は気楽な声でそんなことを言う。

 里恵が一番に心配しているのはそこではないが(一番ではないだけで、心配していないわけでもないが)、何故はっきりと言い切れるのかと、文句の一つでも言いたい気分になる。

「あの子、あの家には犬や猫を住まわせてるでしょ? まず第一にそこではそんな気になれないわね。それから、わりと常識人で小心者だから、中学生に手を出すなんてこともしない。というか出来ないわね。もし今の段階で未来ちゃんのことが気になってるのなら、自分が幼女趣味かどうかで悩んでるはずだから」

 ずばずば言う靖美に、里恵は少しだけ浩平に同情したくなった。

 が、その前に気になることを確認しなくてはならない。

「よく、女の人が出入りしてるって耳にするけど?」

「大学の同期の人たちじゃないかと思うわ。一軒家に一人暮らしだから、いいようにホテル代わりとして使われてるみたいだし。ここ、駅からの交通の便がわりといいでしょ? 駅前で飲んでから移動するのにまだバスが残ってたりするし。あと、あの家にいる限りあの子は何もしないから、安心してる部分もあるみたいね」

「ねえ、やっちゃん。それ、もしかして…?」

「もちろん、本人たちに聞いたわよー。あの子の言ってることが本当か知りたくて。やっぱり変なウワサが立つのはイヤじゃない? ウワサだけならまだしも、本当だったら家を追い出さなきゃって思って」

 里恵は電話の向こうの友人を思わず尊敬した。

 町医者の嫁である友人は、もっと息子に品行方正さを求めているのかと思っていたのだが、どうやら違うらしい。というか、ただのウワサなら、問題ないと思っているらしい。

 それはつまるところ、自分の夫と息子の医療技術への絶対的な信頼だと、里恵には思えた。

「うちも代々続いている医者の家だから、本当はこんなふうに言っちゃダメなんだろうけどね、ご近所の人たちは案外判ってくれているものなのよ。まあ、もし独身じゃなかったら、ウワサだけでも追い出したけどね」

 思わず押し黙った里恵の考えを読んだのか、靖美はあっけらかんとそんなことを言ったのだった。

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