ご近所さんとお隣さんと
ようやく熱も下がり、扁桃腺の腫れも引いてきた。
すっかりと元に体調に戻り、明日はようやく学校に登校出来そうである。
大きく伸びをしながら、最後の調整を兼ねてもう一度布団の中に入る。
小さな身体に大きな布団を頭から被り、眠りに付こうとするも、
"あの事"が気になってすぐに布団の中を這いずるようにしてひょっこりとまた顔を出す。
枕元に置かれた千羽鶴の横に小さく折りたたんだ折り紙をもう一度開く。
「一体誰なんだろう・・・」
差出人のない手紙にうーん、と顔をしかめる。
形の整った滑らかで綺麗な文字。
習字の先生である母親と同じぐらい綺麗な形をしており、
何よりも自分の名前である"哉"という難しい漢字ですら綺麗に書かれている。
それと小学二年生で習うことのない漢字も多く使われていることから
もしかしたらクラスメイトじゃない誰かが書いたものだろうか?
謎は深まるばかりだが、これ以上考えても知恵熱が噴出してしまいそうで
また体調悪くなってしまっては元の木阿弥である。
気になる気持ちを抑えながらも明日に備えて休むことにした。
「おっと、いけない・・・。」
あることに気づいたようにして布団から出て、
学習机のカギがかかる引き出しの奥に手に持ったピンクの折り紙を誰にも見つからないように隠した。
よくよく考えてみれば他の千羽鶴に描かれていない名前から差出人を特定する
・・・という手もあったのだが、所詮、小二の知力ではどこかの名探偵のようには上手くいかないわけで。
***
次の日の朝。
さすがに最近は布団にこもりっきりだったせいもあり、いつもより遥かに早く目が覚めた。
あれだけ苦しまされていた熱もすっかりと引いて、元気そのものになっていた。
別段学校嫌いなわけではないが、一週間以上休んでいたこともあり、少しだけ躊躇していた。
しかし、色々な意味で期待が膨らむ出来事があったおかげで、
今は一刻も早く学校に行きたい気持ちで一杯になっていた。
「──それじゃあ、いってきまーす。」
マジックテープ式のお気に入りのシューズを履いていつもの集合場所に向かう。
自宅から学校までの距離は歩いて十分程度だが、うちの地域では集団登校が決められていて、
近所の小学生が皆一同に集まってから一斉に登校する仕組みになっている。
一緒に登校してくれる保護者の方以外にも
近所の有志の方々が黄色の旗を持って信号機の前で待機してくれるなど、
うちの地域ではこうした見守り活動がとても活発である。
「あら、尚ちゃん。もう大丈夫なの?」
集合場所についてから最初に声かけてくれたのが戸塚のおばちゃんだった。
「うん!もうすっかり良くなったよー。」
すると、おばちゃんの足元からひょこりと顔を出してきた女の子が一人。
「な、なおくん、お、おはよー。」
「あ、まきちゃん、おはよー。」
彼女は戸塚真紀といって、幼稚園──もっと言うと生まれた病院まで同じの
いわゆる幼馴染ってやつである。
こうして集団登校の班も同じということで母親含め、仲良くしてもらっているわけだが、
相変わらずの引っ込み思案の性格なのか、彼女は挨拶を交わした後にすぐさま母親の後ろに隠れた。
結構長い付き合いにも関わらず、なんだかいつも避けられているのは気のせいなのだろうか。
いい加減少しぐらいは慣れてほしものなのだが・・・
そうしていると、続々と近所の子供たちが集まり始め──
「それじゃあ、そろそろ出発しますので子供たちは整列してくださいー。」
引率者の号令と共に子供たちは皆一斉に整列を始める。
先頭は六年生がまず最初にならびその後ろに一年生から五年生と続く。
前と後ろにはそれぞれ父兄が二人ずつ付き添い、さしずめ"長陀の陣"といったところだろうか。
「では、出発しますー。」
今度は出発の号令がかかり、いよいよ学校へ向かうことになった。
小学生といえば皆、黒と赤のランドセルを背負っているものと思われがちだが、
うちの学校ではランドセルは大抵小学三年生か四年生ぐらいには"卒業"し、大抵がデイバッグになる。
かくいう自分は入学式のときにおばあちゃんに買ってもらったランドセルを気に入っていたので
小学校を卒業するまではずっと使い続ける気でいた。
まあ、ランドセルを買ってもらって直ぐにおばちゃんは他界してしまったので
形見の品としてずっと持って置きたかったというのもあるだが。
「はーい、車が通りますよ~気をつけてー。」
通学路は基本的に整備された綺麗な道を通る。
うちの近所は川が多かったのでところどころに道路の端っこに側溝があり、
車が来て端に寄るときは注意が必要だった。
それと田んぼも多く、この季節は田植えの季節でもあったため、
水面から反射する朝日が眩しく、初夏の到来を迎えていた。
通学路の最後の関門は学校の直前にある大きな道路の信号機だ。
これがなかなか変わらないのでいつもここで待ちぼうけを食らってしまい、
雨の日なんかは結構面倒だったりする。
また、他の場所から同じような集団登校の班もやってくると信号機の前は大分混雑する。
そんなわけで今日もご多分に漏れずに信号機の前で隊列が止まっていると後から別の班がやってきた。
「おっ、ナオヤー!おっはよー。」
突如発せられたでっかい声に一斉に全員が振り返る。
見に覚えのある声に自分も恐る恐る後ろを覗くと
後ろの班からぴょんぴょんと跳ねながら手を振りながら嬉しそうにこちらを見ている男の子が一人。
──予想通り、その声の主は仁也であった。
久しぶりの再会を果たしたクラスメイトからの挨拶は嬉しかったものの、
こちらとしては少々こっぱずかしい。
「うおーい、元気してたかー!?」
そんなこちらの事情などお構いなしに大声をあげるものだから、
父兄の一人がジロリとこちらを見ながら何か言いたげな素振りをする。
慌てて仁也に向かってジェスチャーを送る。
「また、教室で」と口をぱくぱくさせながら伝えると
仁也は親指とひと指し指で"まる"を作り、にっこりと笑った。
ようやく信号前が静まるとやれやれとため息をつく。
すると隣にいる戸塚真紀が小さくガッツポーズし、そして小さく呟く。
「今日もジンくんに会えた・・・。やったぁ・・・」
ニコニコとした表情をしながら喜びを顕わにする。
そう、残念ながらこの幼馴染はどうやら仁也のことが好きらしい。
まあ、他人の恋路にわざわざ介入することをしないので特に仁也には何も言わなかったが、
この分かりやすい反応はさすがに仁也も気づいていることだろう。
こうしていつもどおりの信号機の前でいつもどおりのやり取りを終え、
手を大きく真上に上げて、横断歩道を渡る。
一年生のときから繰り返してきたこの通過儀礼を
あと四年間以上も続けなければいけないのは少々苦痛ではある。
横断歩道を渡り、川沿いの道を進むとようやく学校のグラウンドが見えてくる。
──市立今萩小学校。
この地域では恐らくもっとも多き生徒数を誇るマンモス小学校である。
元々、市内の学区割りがおかしなこともあり、
ここに通う生徒は徒歩一分の生徒も居れば徒歩三十分以上かかる生徒もいる。
そんなとてつもない学区の広さもあり、様々な場所から生徒が集まっていた。
そのせいもあり、一学年の生徒数はなんと三百人近くもいた。
立てられたのは自分が生まれる二年前なので比較的新しい方である。
六階建てのコンクリート作りで、一学年上がるごとに教室が上にいく仕組みであり、
二年生の教室は二階にあった。
「それじゃあ、今日も一日、頑張ろうー!」
という掛け声と共に、集団登校は終わり、生徒は一斉にグランドを横切り、
校舎の中の下駄箱に向かった。
こちらも後ろから仁也がやってきて、ランドセルを掴んでくる。
「ナオヤー!林間残念だったねー。すげー楽しかったぞ!先生がさ──」
相変わらず、空気の読めない仁也の発言にイラっとして、右手をヤツの口元に広げて言葉を遮る。
「わかったからその話は後で聞くから、さっさと教室行こうよ。」
仁也は自慢話が出来なくて残念そうにしながらもこちらの言い分を聞いてくれたようで
大人しく一緒に教室に向かった。
そして、その後ろをいつものように真紀がくっついてきてた。
***
二年二組の扉の前につくと、クラス内は朝のHRを前に賑わいを見せていた。
「よしっ・・・!」
何を思ったのかまるで先生のようにしてガラリと前の扉から教室の中に入る。
すると、教室内の視線は一斉にこちらに向けられる。
その瞬間だけ、賑わっていた教室内がシーンと静まり返り、
大胆な行動をしてしまったことに後悔の念が生まれる。
林間学校を終えてすっかりと仲良くなったクラスメイト達とは違い、
出遅れスタートのまるで転校生のような扱いを受けている状況にも関わらず、
注目を浴びようととった行動は思いっきり裏目に出た。
すると、そんな重い空気の中、一人の女の子が立ち上がり、こちらに近付いてきた。
「おはよう、大和くん。私達のお見舞いの千羽鶴はちゃんと受け取ってくれたかしら?」
最初に声を掛けてくれたのはよりにもよってクラス内で最も苦手な学級委員長の芦屋だった。
何故か両手を腰にやり踏ん反り帰りながら自分の手柄と言わんばかりのアピールを見せる彼女に対し、
「えーと、うん。ありがとう。それと・・・わざわざお見舞いのメッセージもありがとう。」
とお礼を言った。
横柄な態度とはいえ、一応、こちらの病気を気遣ってくれたのだから
きちんとお礼を言わないとダメだなと思い、素直に感謝の言葉を示した。
「それはよかったわ。みんな心を込めて折ってくれたのだから、大事にしなさいよ。」
心を込めてくれたわりに芦屋の折鶴は折り方間違ってて、
翼の根元に折柄がついていなかったという指摘はこの際、黙っておくことにした。
「あ、うん、大事にするよ。ありがとね。」
その言葉に満足したのか芦屋は「ふん」と言いながら自席に戻った。
そうして一瞬固まりかけたクラス内の雰囲気が元に戻り、
ほっと胸をなで下ろすと同時にある事に気づく。
「あれ、そこは自分の席じゃ・・・?」
元々名前順で決められた自分の席に芦屋が座っている。
ふと教室内をぐるりと見渡すと、ようやく自分が休む前と違って席が変わっていることに気づく。
どうやら自分が休んでいる間に席替えが行われていたようだった。
ウロウロと教室内を彷徨っていると、聞きなれた声と共に
手招きしているクラスメイトの姿がそこにあった。
「おーい、ナオヤ、こっちこっち!ここの席だよ。」
それは親友のノリ君だった。
こちらがうろたえてた様子を察してくれたのだろうか、
大きな声で自分の席を教えてくれた。
すると、彼が招いてくれた場所はなんと──
恐らく誰しもがあこがれる特等席でもある窓際の一番後ろの席だった。
「えっ・・・!?一番後ろの席?」
「へへーん。お前の代わりに俺がくじを引いたら、この席になったんだよ。感謝しろよー。」
さすが持つべきものは親友である。
今の自分がもっとも望んでいた席の位置に彼の手を握りながら
ぶるんぶるんと腕を振り感謝の意を表した。
ここの位置を望んでいた理由はいくつかある。
多くはサボりやすいというのもあるかもしれないが、
自分は授業はマジメに聞くタイプなのでその点については別に前でも後ろでも構わない。
だが、教室全体を後ろから見渡すのには絶好であるため、
どうしてもここの席に座りたかったのだった。
何度もノリくんにありがとうとお礼を言いながらはしゃいでると
隣の席からランドセルを机の上に置く音が聞こえた。
「おはよう。」
音以外に聞こえてきたのは無愛想な挨拶だった。
思わず視線を向けた先にはショートボブの髪型をした女の子が
黙々とランドセルから教科書を取り出していた。
とりあえず誰に向けられた挨拶なのかも分からなかったが、
どもりながらも「おはよう」と返す。
しかし、こちらの言葉にはピクリともせずに次々に教科書を取り出し、机の中に入れていく。
その様子を呆然と見ていると、
彼女は取り出し終わったランドセルを後ろのロッカーにしまいに行こうと席を離れた。
するとキッと睨むような視線がぶつかり、思わず身構えた。
一瞬の出来事であったが、冷やかな感情を浴びせられ、戸惑いの色を隠せずにいた。
そんな様子を見ていたノリ君が小声で一言。
「お前、弥生になんかしたの?」
「い、いや、特に何も・・・っていうか今日が話すの初めてなんだけど・・・。」
「そっか、なんかアイツ性格キツそうだよな。まあ、これから隣同士なんだから頑張れよ。」
「え…」
思わず言葉が詰まるものの、よく考えてみれば隣の席で教科書をしまっているんだから
至極、当たり前のことである。
せっかく手に入れたファーストクラスの席だったが、どうやらお隣さんには恵まれなかったようで。
あー、めんどくさ。