カラン
「はい、子供は百五十円ね~」
最近の銭湯は男湯と女湯の境目に番台などはなく、
入り口のこじんまりとしたスペースに年老いた番頭さんがせっけんや髭剃り、
シャンプーなどのお風呂セットに囲まれながら一人ぽつんと座っていた。
それより何よりもこの番台のすぐ近くにすぐ近くに置いてある透明の冷蔵庫である。
当然、中には子供達の心を揺さぶる瓶がところ狭しと敷き目詰められていた。
「じゅるり。」
夕方とはいえ、真夏の道路を歩いてきて喉はすっかりからからであったため、
無意識によだれがたれる。
しかし、残り百五十円しかない状況で
先に飲んでしまったら最高の瞬間を味わう事が出来ない。
一本八十円という絶妙な価格設定に「ぐぬぬ」と思いながらも男風呂の脱衣所へ向かう。
今度は「男」と書かれた暖簾を潜ると、外と同じようなもわっとした熱気が襲ってくる。
広々とした脱衣所は扇風機の回る音と、天井に吊られているテレビのニュースの声が響く。
時間は丁度、午後五時。
視界には素っ裸の大人達がくつろぎながら、テレビに釘付けになっていた。
夕食の準備前だというのに結構な数の人が脱衣所で風呂上りを満喫しているようだった。
「おぅ、ナオヤ~。よぅ来たな~。」
こちらから探すこともなく、名前を呼ぶ声に導かれ、顔を向ける。
「おじいちゃん!」
どうやら子供は自分だけだったので、大人たちに囲まれて少し不安だったが、
ようやく会えたおじいちゃんに喜び一杯の表情を向ける。
前会ったときに比べて少しまたやつれたような気がしたが、
こちらの笑顔に答えるようにおじいちゃんも笑顔になってくれた。
そうしてしばらく、おじいちゃんと他愛のない話をしていると。
「おや、長吉さんのところのお孫さんかな?」
もう一人の真っ裸の老人が親しげに話しかけてきた。
「そうそう、うちの一番下の娘っこの子供で──」
顔見知り同士の会話が始まるやいなや、何故かお互いの孫自慢にエスカレートし始めた。
「うちの孫はもう本当に可愛くて、とくに目元なんか──」
「いやいや、うちの孫もだね──」
一歩も引かない様子に半ば諦めの表情を浮べながら、
「じゃあ、ボクはお風呂入ってくるね~」
とだけ告げ、その場を上手く立ち去ろうとした。
すると、おじいちゃんはチラリとこちらを見ると
「いってこい」と手振りだけしてきたのでそのジャスチャーにこくりと頷いた。
素早く服を脱ぎ捨て、一番低いロッカーに仕舞い、
手に持っていた風呂桶をそのまま抱えて「キーン!」と竹莚の床を駆け出す。
「滑るからかけちゃあかんぞ~」
背中から声が聞こえるも、そんなことお構いなしに風呂場のドアをあけ、
勢い良く滑り出した。
***
「ふぅ~」
あのまま白熱した孫自慢は止まらない様子で、曇りガラスの先にはまだ
会話が続いていたようで、上手く抜け出せてよかったと思いながら、安堵のため息を漏らす。
張り紙にかかれた「ジェット風呂」は文字通り、
湯が勢いよく噴き出す仕掛けになっているお風呂であり、
基本的に足が伸ばせる一人サイズの湯船にいくつものジェット噴流装置が取り付けられており、
肩や腰や足などといった身体全体のツボ刺激する仕組みになっている。
しかし、噴流装置は一般人を想定した作りになっているので
子供の自分にとってはツボはほとんど外れているうえに、別に肩なんてこってないうえに
ツボって何?っていうレベルのため、大して効果はなかったものの、
普段見慣れない泡の勢いに驚きながら、
ステンレス製の水枕に頭を乗せて曇りがかった天井を眺めていた。
「都会のお風呂か~」
せっかく広い湯船があるのに結局一人用の狭い湯船に使ってしまうのが
いつもの自分らしいが、こうして開放感のある空間は何か色々と物思いにふけさせてくれるので
大好きな場所である。
あの公民館のだだっぴろいロビーの一つの机で一人黙々と宿題をこなすのが好きなのと
似ているのかもしれない。
そういえば、今頃、クラスメイトは何をしているのだろうか?
自分と同じようにおじいちゃんやおばあちゃんの家に遊びにいって夏休みを満喫しているのだろうか?
ふと気になったヤツの顔が思い浮かんだところで、ぴしゃりと湯船のお湯を顔にぶつけると
鼻から下を湯船に沈め、再び考え事をする。
ほぼ毎日顔を会わせていたのに、それも今日から暫く会えない。
とはいえ別に会いたくもないはずなのに・・・
「あー、だめだめだめだー!」
いきよいよくフルチンを曝け出し、湯船から這い上がる。
のぼせ上がった体を戒めるかのごとく、洗い場のお風呂椅子に腰掛けると
勢い良く、青のカランのボタンを押し込む。
そうして並々と注がれたケロリン桶を勢いよく、頭から被ると。
「ちべたいーーー!」
己のした行動の馬鹿さ加減に嫌気が差しながらも、ぐっと堪え我慢をする。
そんな奇妙な行動をする子供の様子を周りの大人たちは笑いながら見ていた。