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ウサギたちの恋  作者: 708
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漢字ドリル 後編

漢字ドリル 後編


「──勝負しなさい。」


あまりに突拍子もない一言にこちらの思考が一瞬静止する。

しかし、弥生の真剣な眼差しにごくりと息を飲むと

それが冗談じゃないということがすぐに理解し、一歩も引かない姿勢で睨み返す。


「・・・えっ・・・えっ・・・!?」


そんな二人の様子を若葉も「一体何が起きたの?」

と言わんばかりの表情でおろおろしていたが、それもそのはずである。


決闘の題材がよりにもよって漢字ドリルとは

はたから見れば暑さで頭でもやられてしまったんじゃないかと心配になるが、

僕らは本気(マジ)である。


「いいだろう・・・。その勝負受けた!」


毅然とした態度を保ちながらもぎゅっと拳を握りしめる。

強敵に挑むときはいつだって全力で立ち向かうことをモットーにしている。


──そう、自分は知っている。

弥生はこと漢字ドリルに関してはクラスの誰よりも凄いことを。

いつも国語の授業でプリントが配られるたびに速く、そして美しく、

一枚のわら半紙を芸術作品に仕上げていた。

横目で見ながら、その凄さに驚嘆すると共に、コイツにだけは負けたくないと思っていた。


そして、この強敵(ライバル)に対抗するために編み出したのが

既にこの漢字ドリルの半分以上を埋めつくすのに使った奥義──"部分書き"である。

文字の大量生産に向いているこのやり方ならば・・・あるいは。


意を決して、勝負の椅子に座ると手に持っていたドリルを机の上に広げた。


「それで・・・勝負のルールは?」


隣に座る弥生には見向きもせず、やり終えたページを一枚一枚めくる。

どうだこの美しさを見よ、と言わんばかりに見せ付けるも、弥生は動じない。


「・・・今から漢字ドリルの十ページ分、どちらが早く書くか勝負よ。」


「悪いけど、ボクはもう半分終ってるんだけど?」


「いいわよ、私もそのページからやるから。」


「そうかい、それじゃあ20ページ目の"肉"からスタートかな?」


その言葉に弥生も自分のノートをパラパラとめくり、"肉"のページを開くと折り目をつける。

そしてふぅと息を吸うと、釘を刺すような視線でこちらを向き。


「言っておくけど、綺麗な字じゃないと認めないからね。」


「そりゃもちろん、分かってるさ。そっちもちゃんと守れよ?」


「ご心配なさらずに。・・・ごめんけど、かおりちゃん判定はお願いね。」


完全に二人の勝負の世界に入ってしまい、

すっかり置いてきぼりの若葉は「う、うん・・・」と戸惑うように何度も頷いた。


「念のため確認しておくけど、書き順は別に守らなくていいんだよな?」


「好きにすれば。」


ふふんと顔がにやける。

と同時に勝ちの芽が出た事に自信をつけると、

持っていたえんぴつをくるりと回した。


真剣な眼差しで大きく息をすうと、緊張を高める。

もちろん隣のライバルには目もくれず、

短距離走の走者がスタートにつくようにゆっくりとマス目に鉛筆を置く。


「え、えーと、、、合図はど、どうしよっか?」


「適当でいいよ。早く!」


「え、ええじゃあ、よーい、ドン!」


タイミングのまったく取れなかった若葉の掛け声と共に、

漢字ドリル早書き勝負が始まった。


スタートこそずっこけ気味だったものの、順調に"肉"を刻んでいく。


最初に"冂"を書き込み、最後の書き終わったら

最初のマス目戻り、今度は"人"と"人"と二連続で書き込む。

部分書きのメリットはなんといっても同じ動作を何度も繰り返すことが出来る点だ

これならば書き損じもしにくいし、前も文字を見ながらバランスも取る事が出来る。


所詮漢字なんて部首の集まりだ。書き順になんて何の意味もないただのルールに過ぎない。

こうしてバラバラに書いたって綺麗な文字は書けるわけで。

相手の様子が気になり、横目でチラリと見ると弥生が利き腕の左手で

一つ一つ丁寧に書き順どおりにマス目に書き込んでいた。

思わず余裕の嘲笑が零れる。


確かに彼女のスピードは速いかもしれない。

しかし、効率化したこの動きには以下に漢字ドリルクィーンとはいえ、勝てるわけもないだろう。


一ページ目の"肉"を圧倒的なスピードで制した自分は余裕の二ページ目に突入した。

今度は"声"という文字だが、これも同じように部首ごとに分けて書き直せばあっという間に終るだろう。


勝負は既に一ページ目の段階でついたも同然だった。


***


「よーし! 終ったぞ!!」


最後のページの"友"という文字の最後のマス目を書ききる。


三十分以上は経過しただろうか、途中右腕が書き疲れのせいで思うように動かなくて

何度も腕を振って紛らわしたが大きなタイムロスにはならず、

圧倒的・・・とは言えないぐらいの差ではあったが無事に先に終らせることが出来た。


しかし、こちらの勝利宣言には目もくれず、弥生は最終ページに突入した。

まるまる一ページ分の差はつけたが、それもそのはずである。

彼女はきちんと書き順を守り、正確無比な美しい文字を描いていた。

芸術点があるなら彼女の圧勝かもしれないが、これは早く書く勝負である。

無論、こちらの文字も見本どおりに正確に書いており、大きなブレやずれ、間違いはないと自負している。


「それにしてもたったの一ページ差か・・・」


勝負には勝ったが、大して差がつかなかったことに驚き、つい声を漏れる。


「まあ、でも勝負は勝負だからな、まあボクの勝ちってことでお疲れさん。」


勝ち誇ったかの如くいつものように煽りを入れるも、意外にも弥生は反応せず、

ふーっと息をついて、鉛筆を置いた。


「私も終ったよ。」


意識を集中させていたのだろうか、こちらの言葉はまるで耳にせず、

ただひたすらに文字に向かっていたのだろう。


「そんじゃ、ボクの勝ちってことで。まあ、勝ったら何をするって特に決めてなかったけど、とりあえずボクは続きするからどっかいけよ。」


いつもの調子でしっしと手をやると、

弥生はじーっとした目でこちらを眺めてきた。


「な、なんだよ・・・。」


勝者の立場のはずが思わずたじろぐ。

すると、目の前にある二つのドリルを持ち上げると


「はい。かおりちゃん。」


若葉の前に差し出した。

不意をつかれ、若葉も「?マーク」を出しながら、二つの漢字ドリルの間で首を振る。


「え、えーと・・・愛子ちゃん・・・?」


はい、ともう一度差し出す素振りを見せると若葉ようやく意図を理解する。


「あー、うんわかった、文字がちゃんと綺麗にかけているか確認すればいいのね?」


「うん。」


その一言に嬉しそうに反応すると、若葉は二つの漢字ドリルを並べ、ページを開いた。


「おいおいおい、ちょっと待ってくれよ。そんなのもう必要ないだろ?」


突然の裁定の始まりにちょっと待ったをかける。

こちらは書き順は無視したかもしれないが、文字は綺麗にかけていると自負している。

今更なんの物言いだ?と思い、ちょっとイラっとする。


「言ったでしょ?綺麗な字じゃないと認めないって。」


こちらの言い分をまるで無視してさっきのルールを口にする。


「だーかーらー、こっちは十分綺麗に書いてるってば!そりゃ弥生ほど綺麗じゃないかもしれないけど、文字としては読めるし十分だろ?」


身振り手振りで猛抗議をするも、弥生の視線は若葉の確認を待っているようで、

聞く耳を持たない。せっかく十分健闘したことに少しは敬意を払ったつもりなのに、一体何なんだコイツは。


「ったく・・・往生際が悪いんだから。。おい、若葉さっさと終らせろよ。こっちの勝ちだろ?」


そう言って両手を組み、そっぽを向くと若葉の口から意外な言葉が漏れた。


「あれ・・・これって・・・」


そう言って指を向けた先にはこちら側の漢字ドリルの7ページ目の"園"の文字を練習するページがあった。

そこに書かれていた文字を覗き込むと。


「え・・・!?」


マス目に書かれた文字を凝視すると、"くにがまえ"の四角い枠の中は薄汚れ、文字は潰れおり、

何が書かれているかわからなくなっていた。


「え・・・?なんでこんな文字が潰れているの!?」


不可解な状態に戸惑いと焦りの表情を浮べる。

その様子を見ながら弥生は「はぁー」とため息をつき、


「あのさ、大和って"園"書くときに最初に"くにがまえ"の中から書いたでしょ?」


それを言われて気づいた。


確かに先に"くにがまえ"を書くと、中の文字が書きづらいという理由から

"園"の中を先に書いてから、外の(くにがまえ)を書いた。

その方が効率的だったからわけだが、それでなぜこんなにも文字が潰れているんだ?


疑問が消えないままでいると弥生が「・・・ん」と右手の小指側の側面を指差してきた。

その仕草に反応し、右手を内側に捻りながら覗くと、鉛筆の芯の色と思われる黒ずんだ汚れが側面をびっしりと覆っていた。


「・・・・・・これは・・・・・・。」


一瞬の戸惑いを声に出すとすぐさま「はっ」と気づき、そして「しまったー!」と頭を抱えた。


─そう、奥義"部分書き"には最大の弱点があった。

それは、漢字の一部部分だけ、マス目を先に書くと最後のマス目に行った後、

他の部分を書くために再び最初のマス目に戻らなくてはいけない。

それを繰り返すことで右腕の側面が汚れてしまい、線を潰してしまっていたのだった。

慌てて他のページもめくると、確かに部分書きをしたページはどれも汚れている。

ただ、"園"のように細かい文字ではないため、汚れもそこまで目立たなかったが、

この"園"ページだけは明らかに潰れてて何だか読めない。


「ぐぬぬぬぬ・・・・・・」


下唇を噛み、苦悶の表情を浮べる。


「"園"は"くにがまえ"の部分から書くのが正しい書き順なんだよね。ま、ちゃんと書き順を守らないからこうなるのよ。

ということでアンタのこのページは無効ってことで私の勝ちかな?本当は他のページも大分汚れているけどサービスしておくね?」


圧倒的に勝ち誇った表情でまさかの逆転勝利宣言を告げられ、ぐうの音も出ずにいたが、

往生際の悪いところを晒すように、若葉から弥生の漢字ドリルを取り上げる。


「お、お前だって・・・お前だって!」


そう言ってパラパラとページをめくってみるも、

どのページも汚れ一つなく、目をみはるばかりの美しい漢字が描かれていた。


「な、なんで・・・。」


絶望に打ちひしがれているところに今度は哀れみのため息をしながら、弥生は左手を差し出した。


「えっ・・・」


「私は左利きだから、縦書きのドリルなら基本汚れないのよ。」


「ああああああ!!!」


弥生の小指側の側面を見て驚きの声を上げる。

白い肌は一切の汚れもなく、綺麗なままだった。

─そう、それは左利きのメリットを最大限に活かした見事な戦略で、

自分はその戦略に見事にはめられてしまったのだった。


***


決闘が終わり、打ちひしがれたままでいると、


若葉が申しわけなさそうに声をかけてきた。


「あの~~・・・大和さ・・・実はお願いがあって・・・。」


呆然自失の状態の中その言葉にぴくりと反応を示す。


「な、なんだよ・・・邪魔だったら他に行くけど・・・。」


「あ、いやえーと、、なんだか申しわけないことをしちゃったんだけど・・・。あのね・・・」


これ以上痛めつけたくないという気持ちが強いのだろうか、

戸惑う表情をしながらなかなか次の言葉を口にしない。


すると、そのやり取りに割って入る様にしてキツイ声を浴びせてきたヤツがいた。


「あのさ、私達、理科の自由研究を先に終らせようとしてるんだけど、アンタも一緒にどう?」


「へっ・・・?」


よくわからないお誘いを受けて下を向いていた顔を上げる。


「えー、えっとじゃあ、私から説明するね。」


そう言って今度はちゃんと若葉がもう一度、説明を始めた。


どうやら、二人とも理科の自由研究の宿題を進めていたみたいだったが、

題材が見つからずに苦労していたようだった。


そこで若葉が思いついたのが共同研究者という仕組みを利用したものであった。

自由研究は三人までが同じ題材で提出してもいいことになっている。

なので誰かが作ったレポートに名前を書くだけで宿題は完了してしまうという裏ワザがあった。


本来ならそんなずる賢いことに手を貸す理由もないのだが、

漢字ドリル対決に負けた身としては彼女たちの要求に素直に受け入れるしか選択肢はなく、

しぶしぶその"お願い"を了承した。


「わかったよ・・・それじゃあ、レポートはボクが適当に作っておくから・・・まあ、後で書き写してよ。」


力ない返事と共に宿題が一つ楽に片付いたことに「わーい」と喜ぶ若葉。

その姿とは対照的に彼女の隣では相変わらずいつもどおりの無愛想な表情の弥生。


こうしてまんまと悪女二人に利用され、夏休みははじまりを迎えるのだった。


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