漢字ドリル 中編
「それで?いつから公民館に来てるのかね、弥生君。」
手に持った鉛筆三本を指に挟みながら腕を組み踏ん反り返る。
近所に住む自分にとって、この公民館という場所は誰にも侵すことのできない神聖な場所だというのに
こうしてもご近所様でもない弥生が居る事に少し憤慨していた。
「な~にを偉そうに・・・ここはあんただけの場所じゃないでしょ。さっさとそこをどきなさいよ。」
夏休み初日にクラスメイトの・・・よりにもよって隣の席のヤツに遭遇するとは。
せっかくクーラーの効いた涼しい部屋だというのになんだか教室にいる気分になってくる。
七夕のときは結構仲良くなれたと思っていたけど、コイツとはソリが合わないのは一体何故なんだろうか。
まあ、弥生のこちらに対する態度が原因なのは明らかなわけだが。
「愛子ちゃーん、鉛筆削り終わった~?って・・・あれ?大和!?」
図書室のある方から弥生を呼びかける声が聞こえ、視線を向けるとそこにはもう一人のクラスメイトがいた。
「なんだ・・・若葉も一緒か・・・」
彼女の名前は若葉 香。
弥生と仲の良い・・・というよりも唯一の話し合い相手、まあ親友のような存在の彼女であるが、
それはイコールこちらにとっては天敵の一人なわけで。
特にコイツの面倒なところが──
「あらあら~、尚哉君ってばもしかして、愛子ちゃんがココに来ているのを知ってて追いかけてきたのかなぁ~?」
こうした意味不明な茶化しを入れてくるところだ。
「んなわけあるか。」
即座に否定するもにやけ面でこちらをのぞいてくる仕草がさらにこちらのイライラ度を増幅させる。
「ふん!」とそっぽを向き、ゆっくりと視線を元に戻す。
睨みつけた先の平行線上に同じように睨み返してくる弥生の視線をひしひしと感じる。
いつもクラスで行われているバチバチが今まさに始まろうとしていた。
だがしかし─
「ふぅ・・・。まあいいや、用事も終わったし、こっちは席戻るわ。」
小学二年生とは思えない、大人な振る舞いと余裕を見せつける。
いつもはここで夫婦漫才にも似たやりあいがおっぱじまるところだったが、
こちとら宿題で忙しいのだ。こんなヤツらの相手をまともにしてたら時間が勿体無い。
そうして、真に戦うべき相手──漢字ドリルの元へと再び向かった。
その姿を対峙していた二人はぽかんとした表情で見ていた。
***
「さて、さっさと片付けますか。」
綺麗に研摩した武器を右手に持ち、対峙した敵に向かって止め、払い、跳ねる。
描かれた軌跡は正中線に対して均等に取れたバランスを保ち、美しい輝きを見せる。
「光」
その漢字に相応しい出来映えに「うんうん」と自画自賛の頷きをする。
やはり、尖った鉛筆を持つとつい書く字にも力が入ってしまう。
とはいえ、こんなカッコつけて書いていたら日が暮れてしまう。
やはり漢字ドリルは丁寧に書くよりも量をこなす事が大事であり、
お遊びは一文字だけにしてさっさと量産体制に移る。
「ふう・・・・・・・・──うおおおおおおおおお!」
前傾姿勢になりながら、目の前にある正方形の升目に向かって勢いよく書きなぐる。
芸能人がサインするかのごとく、文字に心などはまったく込めず、ただ数をこなす。
少しずつ輝きが失われていく文字のことなど意に返さず、
升目を埋めていくことに楽しさを感じながら、ページの右上から左上を「光」で満たす。
すると──
「ちゃんと、書き順どおり覚えなさいよ。」
「うわあ」
と、背中から聞こえたその声にぴくりと反応すると勢い余って升目から黒い線が零れた。
振り向くとさっきもどこかで会ったような声の主がそこに立っていた。
集中していたせいでまったく気づかなかったが何故か手には宿題と思しき荷物を抱えていた。
「うっさいなー、ほっといてくれよ。そもそも何しにきたんだよ。弥生。」
「はぁ・・・」とため息をつくと呆れた表情のまま何故かこちらの隣の席に座る。
「やっほー、尚哉君。お邪魔するよ~」
すると目の前から若葉も宿題用のドリルと筆記用具とそしてビニールの袋を机の上に置いた。
「おいおい、一体何の真似だ?だいたいお前ら、さっきまで図書室で宿題してたんじゃないのか?」
「ふっふっふ~」
不敵な笑みを浮かべた若葉は机の上に置いた袋をがさごそと漁ると・・・
「じゃーーん!」
と勢いよく取り出したのは"ハートチップル"というスナック菓子だった。
「いやさぁ、図書室って飲食禁止じゃん?さすがに私もお腹すいてきちゃって・・・」
「いや、それなら席は他に空いてるんだからそこにいけよ。何でわざわざこっちに来てんだよ!」
「まあまあ、同じクラスメイトなんだし、少しは仲良くしようよ~。」
何か企んでいるとしか思えない笑みにイヤな予感がした自分は咄嗟に
「じゃあ、いいやこっちが席変わるし。」
と言って席を立とうとする。
企みを見抜かれ、焦ったのか急に慌てふためくと
「ちょ、ちょっと待っ・・・・・・」
と懸命の静止を見せようとする。
がそんなのはまるで無視してその場を立ち去ろうとすると──
「──待ちなよ。」
若葉の声に被せるように隣で黙って聞いていた弥生がきりっとした声でこちらの行動を止めた。
立ち上がったこちらに対して下から無表情のまま睨みつけてくる視線に
少し戸惑ったけど、いつものやり取りに持ち込む。
「何の用だよ。こっちは宿題してるんだから邪魔しないでくれ。」
「あんた──」
「・・・な、なんだよ!」
一触即発の気配を見せた次の瞬間。
弥生はこちらの手に持っている漢字ドリルに指を指し。
「私とどっちが早くその漢字ドリル終わらせるか勝負しなさい。」
「え・・・?」
険悪なムードから一転。
突如起こった意味不明な決闘が今まさに始まろうと・・・して・・・いた・・・?