羊を数える
かきあげ!第二回イベント参加作品。
テーマ「謎」。
2015年の年賀小説でありますが、上記イベントの公開が2月からでしたので、随分と季節感が変わってしまいました。元の題は「初夢」でしたが、オールシーズンにするためかく本タイトルとなりました。
「百匹に数が足りないのです」
もこもこの純白毛からのぞく水平スリットの瞳は、今一つ感情が読みとれない。が、涙いっぱいに見あげられては、いくら鈍感な俺でもその悲嘆ぶりは伝わった。
「全部そろわないと、私どもは永遠に柵門をくぐらねばならず、なによりあなたも安眠できません」
「近ごろ眠れないのはそのせいだったんだ」
「二十五匹が行方不明でして」
結構な数だ。迷子の一匹どころじゃない。
石囲いの向こうから、たくさんの水平スリットが不安げにこちらを向く。見わたす周囲は無数の緑の丘が連なり、これまた無数の森と泉とが遙かに点在する。これは夢と思いつつ、あまりの広さに気が萎えた。ただでさえ緊張と不眠で体力気力ともに消耗中なのだ。
逡巡していると、チョキの前蹄がくいくいと振られた。
「このマントを羽織って、角笛を吹いてください。そうすれば集まりますから」
有名な牧者のものですと示されたのは、古びた角笛と白地に黒斑の四角なフェルトマント。なんだ歩き回らなくていいのかとマントを肩にかけたが、角笛は吹いたことがない。横から(たぶん)期待の眼差しが強く注がれ、俺は咳払いをした。とりあえず角笛の吹き口を唇に当てる。
すかー。
案の定だ。気をとり直し挑戦するも、これまた虚しく息がもれるだけ。
「ダメだな。俺には無理。他のだれかに」
「あなたも眠れませんが」
無表情な水平スリットの上目づかいは、ちょっと怖い。
「そんなことはないだろ。現にこうして夢を」
「夢はみますよ、かなわない夢ですけど」
その言葉にドキリとした。不眠の果てのかなわない夢。
いやいや、真に受けるのもどうかしている。だいたい睡眠がこの動物に関係するなんて、英語圏でなければ無意味じゃないか。日本なら「ねんねこ」でニャアだろ?
「せっかく今年の干支でチャンスですのに」
ちょっと待て、文化圏の混乱が。
「しょせん数がぴったりでなくても、かまわない方だったのですね」
何かが俺のセンサーに触れた。
――ぴったりでない数? ぴったりで……
にわかに腹底が熱くなり、むらむらと胸をおしあげる。
ぴったりでない!
アア、ソンナコトガ、アッテナルモノカ!
俺は敢然と角笛を掲げ、唇を湿らせた。わきたつ想いとともに息を吹きこむ。
すかー……は、ほ、ぼぼ。
お。音らしきものが。見つめる水平スリットにも希望の光がともる、気がして、よし、もういっちょ。
す……ぼぽ、ぽぅーわー。
「おおお!」
草原に響きわたった音色に、後ろ脚で立ちあがって掲げた二つのチョキが、大きく空を掻く。
ぽぅわーぼぽー。
彼方に白い点が現れた。と、それはしだいに数を増し、あちこちから調子のいい駆け足でこちらへ向かってくる。近づくにつれ石囲いの中から騒がしい喜びの鳴き声があがり、集まった面々とあわさって耳をろうさんばかりだ。
「では、順に門から入りますので、私どもを数えながら安らかにお休みください」
「なんだかあっけなくて申しわけないくらいだ」
「いえいえ、それが選ばれた者の証ですから」
木枠門のそばに敷いたマントへ横になる間に、石囲いの中の一群が行儀よく外へでてきた。
「では、いきます」
「おう、一! 二! 三!」
俺が数え始めると、うれしそうな鳴き声をあげて次々と囲いの中へ入っていく。地を蹴る足音はそれぞれ微妙に違いながら、全体の調和は決して乱れず、心地よく耳に響いて眠気を誘う。が、頭にこびりついた不安が、そこから先へ進ませない。これではいつもの悪循環だ。数は足りている、はず。百になれば、きっと、安らかに――
九十五、九十六、九十……
「あああああ!」
突然の悲鳴に俺の閉じかけた瞼が全開した。とたん、眼前に迫る巨大球体の水平スリット。驚きの心臓がさらに跳びはね、もう少しで永遠の安眠へ落ちかけた。
「一匹足りません!」
起きあがれば、純白の向こうに困惑げな三匹が足踏みしている。ええと、確か九十六まで数えたが。
「君をいれればちゃんと四匹いるじゃないか」
「私は一番、彼らと違い囲いの内外を行き来できます」
「全部に番号がついているのなら、ええ、九十……七番がいないとか?」
「さようです。角笛を聞いても来ないとは、何か事故が起こったに違いありません。まだ子供だというのに」
やはりキモは迷子の一匹か。しかし、このだだっ広い場所では居場所の見当のつけようがない。
「だれか、九十七番を見たやつはいないのか?」
「……私どもは過去にとらわれない主義でして。ただ本能の赴くまま向かえば、いつも同じお気にいりの場所に」
要するに覚えてないと。かたわらでは、頼りにならない九十八対の水平スリットが俺を注視している。いや、横向きの奴もいるからいくつかは単数だが。とにかく期待の重さがずしんと肩にかかり、まずは角笛を手にした。
ぷわぁぽぽぅー。
慣れたせいか、これまでにない音色が草原を駆けぬける。が、四方のいずれを見まわしても動く影は現れず、やはりどこかで動けないでいるのだろう。
「角笛で集まらなかったときでも、牧者はこれでわかるのだそうです」
またもそれを早く言えと思いつつ、チョキの蹄が示す地面のマントを拾い広げた。よく見れば四角な灰白色の地に散る黒斑は、それぞれ二十五個の渦巻き型だ。
――二十五? 百匹中いなくなった二十五匹と同じ。そして、最後の一匹は九十七番?
もしかしたら。
「おい、さっき集まった二十五匹の番号は何番だ? まさか、もう忘れたんじゃないだろうな」
「私だけはここを動けないかわりに、さまざまな能力を」
それで一匹だけ話もできる理由がわかり、続いて並べられた番号に俺は確信した。
二、三、五、七、十一、十三、十七、十九、二十三……
素数だ! 当然九十七も。同じ数のマントの黒斑は、それぞれお気にいりの場所を示しているに違いない!
「なるほど! そすうと、九十七番はどこに?」
脱力で一瞬目が回った。気を取り直しマントに向かう。九十七は素数の二十五番目の数であるから、この黒斑の二十五番目がその居場所で、おそらく中心はこの石囲い。ただ、どの黒斑がどの数に対応しているのかわからない。
「悩んだときはいっそ、すうっと深呼吸など」
「やめてくれ、目が回る」
水平スリットをにらみ、追いたてようと振った角笛に目が止まった。螺旋の角……渦巻き? 黒渦巻きの斑――そこで目を細めてみれば、四角いマントに浮かびあがるおぼろな対角線。これは。
「おい、一番。君はここを動けないと言ったな」
うなずきが返り、九十七番の居場所がわかった。
『ウラムの螺旋(または布)』というのがある。まず数字の一を中心に、自然数を長方形の渦巻き状に格子を描くように書き下す。そのうち素数だけを残すと、素数の分布が対角線上に寄るというものだ。マントの黒渦巻きがまさしくこれに重なっており、九十七番をちょうど九十七の場所で発見した。
∞型の大石の凹みに後ろ脚をとられていたのは、体左右で黒白の色違いの仔。歩けないので肩にかつげば、耳元の鳴き声がうるさいが、暴れないのは喜んでいるからだろう。夢にしてはリアルな重量と距離で、じきに息があがり始める。けれど俺の足どりは軽さを増した。
とうとう見つけた最後の一匹。希望の一匹。
まもなく挑む数学科への道を祝された気がして、離れなかった不安が消えていく。かわりに広がる安堵はウールマークつき。草原の彼方にもこもこの塊が見えてきた。
「そら、石囲いで仲間たちが呼んでるぞ」
俺の声かけに、肩の黒白が「迷!」と言った。
イベントではどうも最後のオチが伝わってないようでで、ちょいとへこんでます。
いや、大したことではないんですが、ホラ、テーマが「謎」なんです。
ええ、「謎」です。(しつこいw)
ちなみにウラムの螺旋はこちらです。
http://aoking.hatenablog.jp/entry/20110825/1314269601