戦その伍拾 二十年前の真実
古びた酒樽にも似たその身体をプルプルと震わせながら、明野明星家の当主である貴久子は高笑いを続けていたが、
「ようやく、明野明星家の繁栄を支える者達が集いましたわね」
キッとした視線を茶川博士に向けた。その目には怨念の炎が燃え盛っているようで、ヤンキーパンサーの中の人である黒田パンサーは失神してしまいそうである。
(何、この人? 人間?)
風貌ばかりではなく、その中から湧き上がってくるようなおぞましい情念を感じたのか、パンサーは心の中でパニックになりかけていた。
中の人がパニくればパニくるほど、表のヤンキーパンサーはその力を増していく。
「ふざけた事をのたまってるんじゃねえぞ、ヒキガエル! ぶち殺されてえのか!?」
そこにいる全員が思っていた例えをはっきりと口に出して言ってしまった。
「いけないわ、マイハニー! すぐにお母様に謝って!」
超人的な強さを誇る明野明星美奈子が顔色を変えてパンサーに言った。
「はあ? 何をビビっているんだよ、美奈子? こんなヒキガエルに何ができるっていうんだ?」
表のパンサーは貴久子を指差してせせら笑いながら尋ねた。その次の瞬間、黒い影がパンサーに駆け寄るのが見えたのは、美奈子と宵野明星治だけだった。
「ぐわ!」
パンサーは防御する暇もなく跳ね飛ばされ、地面を転げ回った。
「な、何が起こったの?」
ヤンキーグリーンこと笹翠茉莉とヤンキーパープルこと村崎香織は異口同音に呟いた。
「え?」
ヤンキーレッドこと赤井真一はキョトンとしたままである。
「私の悪口を言うと、天罰が下りますのよ、おバカさん」
貴久子はまた身体を震わせて高笑いをした。そして、ひとしきり笑った後、また茶川を睨みつけた。
「美奈子、その下賤の者に近づくのは許しませんわよ!」
地面をのたうち回っているパンサーに駆け寄ろうとした美奈子に、貴久子の鋭い声が飛んだ。
美奈子はビクッとして立ち止まり、硬直したように動かなくなった。
「我が妻を貶める事を言う者は容赦しない」
黒の装束と覆面を身に纏った長身の男が貴久子の隣にスウッと立ち、告げた。
「つま?」
茉莉と香織は顔を見合わせた。治はピクッとして男を見ると、ススッと跪いた。
「ほお、あんたもいたのか、綺羅星楽生都さん」
真顔の茶川が男を見て言った。すると男は覆面を剥ぎ取り、その素顔を露わにした。
(イケメン!)
相思相愛の治がいるにも関わらず、茉莉は心の中で雄叫びをあげていた。それほどに貴久子の事を「妻」と呼んだその男の顔は整っていたのだ。
「その名は正しくありませんね、茶川博士。私は現在は明野明星楽生都ですよ」
キラッと前歯を光らせて、男は言い放った。
(イケメン!)
香織までもがその超絶的な美しさに心を乱された。
「どこかで見た事があるような気がする……」
茉莉は楽生都の顔を眩しそうに見つめて呟いた。
「それはそうじゃよ、茉莉君。彼は今世紀最高の美男子と呼ばれた俳優の綺羅星楽生都じゃからな」
茶川の声が幾分僻みっぽく聞こえた茉莉はハッとしてもう一度楽生都を見た。
(ホントだ……。確かにこの人は、綺羅星楽生都……)
子供の頃、
「私、楽生都様のお嫁さんになりたい!」
真剣にそう思い、ラブレターを何通も楽生都のメールアドレスに送信したのを思い出した茉莉は、またハッとして治を見た。だが、治は楽生都に平伏すように俯いているので、茉莉が楽生都に心奪われているのはわかっていないようだ。
(よかった……)
茉莉はホッとしてつい微笑んだ。そして、ある事に気づいた。
(楽生都様、あの頃から全然お変わりなく……!?)
そう、楽生都は茉莉が夢中になった頃のままの姿をしているのだ。
「生徒会長のお父さんにしては、若過ぎる……」
香織も楽生都の異常な程の若々しさに眉をひそめた。
(この人も、博士の薬で?)
香織は次に茶川を見た。すると茶川は、
「そもそもの始まりが、あんたのその生まれついてのアンチエイジングな体質じゃったな」
「えええ!?」
茉莉と香織はまた異口同音に叫んだ。
(あの人は、イケメンの上に不老不死?)
そこまでは判明していないのだが、茉莉と香織は妄想を暴走させてしまった。
「そうですわ。我が夫である楽生都は、通常の人間の十分の一しか歳を取らない特異体質。その理由を突き止めていただくために、貴方に莫大な研究費をつぎ込みましたわね、茶川博士?」
貴久子は目を細めて茶川を見た。楽生都も同様に茶川を見た。
「そうじゃったな。しかし、楽生都さんの身体をいくら調べても、その理由はわからなかった。何故全ての細胞が老化せずにいるのか、どうしてもわからなかったのじゃ」
茶川は肩を竦めて言ったのだが、
「嘘はいけませんわ、茶川博士。貴方は少なくとも、死者を蘇らせる試験薬の開発まで漕ぎ着けていた」
貴久子はニヤリとして反論した。茶川はツイとそっぽを向き、惚けてみせる。
「不老は突き止められなかったでしょうけど、不死には辿り着けたんじゃありませんの?」
貴久子はタプタプの身体を揺らせながら、茶川に近づいた。それに従うように楽生都も近づいた。
「それはたまたまじゃな。だから二十年前、実験中に事故が起こり、私は爆発に巻き込まれて死んだんじゃ」
重大な出来事を事も無げに告げる茶川であるが、貴久子は追及の手を緩めない。
「事故? 違いますわ」
フフンと鼻で笑うと、貴久子は茶川の目の前で仁王立ちにになり、
「あれは貴方が意図的に起こした爆発だったのでしょう?」
その指摘には、茉莉や香織だけではなく、美奈子も治も驚愕して茶川を見た。
「まさか……?」
茉莉が呟いた。それを引き取るように貴久子が、
「あの爆発事故は、貴方の自殺だったのでしょう?」
驚くべき推理を展開してみせた。貴久子は顔を背けた茶川をフッと笑って、
「貴方は不老不死の試験薬を完成させてしまった事に後悔の念を抱き、事故を装って自殺を図ったのです」
それでも茶川は顔を背け、何の反応もしない。
(何がどうして何とやらー!?)
それが真一とヤンキーパンサーの中の人のパンサーの偽らさる思いだった。
「完成品があるのは、美奈子と治が助かった事からも明白ですわ。それを素直にお出しなさい。そうすれば、今までの事は全て水に流して、貴方を取締役待遇で我が社に迎え入れますわよ」
貴久子は茶川の顎を右手で無理やり引き上げ、息がかかるほど顔を近づけて告げた。
「私の座右の銘を知っているかね? イーヒッヒ」
茶川はようやく貴久子を見て尋ねた。貴久子はムッとした顔で茶川から離れ、
「そんな事、存じ上げるはずがないでしょう!」
茶川は貴久子のリアクションを愉快そうに見て、
「武士は喰わねど高楊枝じゃ。イーヒッヒ」
貴久子はギリギリと歯軋りをして、
「という事は、完成品を渡すつもりがないという事ですわね?」
チラッと楽生都を見た。その仕草に美奈子と治がハッとなる。
「それから、私の仲間にこれ以上手出しをしたら、その完成品は未来永劫誰の目にも触れない所に行ってしまうぞ。イーヒッヒ」
真一に掴みかかろうとした楽生都の動きがピタッと止まった。
「という事は、今、貴方がお持ちなのですね、博士?」
楽生都はフッと笑って茶川に突進した。その突進を止めた者がいた。
「美奈子、何をしているのです?」
楽生都は茶川との間に立ち塞がった自分の娘を信じられないという顔で見つめた。
「お父様はそんな方ではなかったですわ。貴方もまた、お母様に操られていますのね?」
美奈子は涙を流して父を見上げた。




