戦その肆拾捌 黒幕のお出まし
突如として登場して変身した茶川博士に、他のヤンキー戦隊のメンバーばかりではなく、明野明星美奈子も仰天した。
「みんな、下がっておれ。イーヒッヒ。あの宵野明星治には、私しか勝てないのじゃ。イーヒッヒ」
ヤンキーブラウンに変身した後も、茶川は相変わらずのままだ。ヤンキーグリーンこと笹翠茉莉は、半目で茶川を見た。
(ホントに大丈夫なのかしら、このジジイに任せて?)
かつて惹かれ合い、茉莉自身は自覚してはいないが、現在は相思相愛の間柄である治を倒せるのが、茶川だとは到底思えないのだ。
「私は例え相手がご老体であろうとも、我が主家である明野明星家に仇なす者であるなら、容赦はしませんよ」
治は目に血の涙を滲ませながらも、未だその視線を遠くに漂わせたままで言い放った。
(治さん……)
茉莉はそんな治を見て、涙が零れそうになった。
(茶川博士も変身できて、そこまで強いのなら、最初から自分で戦えばよかったのに)
見た目は凶暴そのもののヤンキーパンサーこと黒田パンサーであるが、中の人はビビりの達人であるから、そんな事を思っていた。
(この姿、遠い昔に見た事があるような……)
美奈子は、茶川の後ろ姿を見て、訝しそうな顔をした。
(何だろう? 私はこの人を知っている……)
不思議な感覚に囚われ、困惑する美奈子である。
(茶川博士が隊長だったなんて……。となると、リーダーの僕の立場はどうなるんだろうか?)
相も変わらず、見当はずれの心配をしているヤンキーレッドこと赤井真一だった。
そもそも、リーダーだと思っているのは自分と事情をよく把握していないパンサーだけで、ヤンキー戦隊の生みの親である茶川はパンサーをリーダーと言っているのだ。
真一にリーダーを名乗る資格も理由もないのは明らかであった。
「行きますよ」
そう告げると、治はフッと姿を消した。
「受けて立とう。イーヒッヒ」
茶川もフワッと姿を消した。
(二人の動きが全く見えない!)
ヤンキーパープルこと村崎香織は驚愕していた。茶川がそこまでとは思っていなかったからだ。
時折、火花が飛び散り、何かが激しくぶつかり合う音が聞こえるだけで、何が起きているのか把握している者は、そこには一人しかいなかった。
(茶川博士が押している?)
美奈子は全てではないが、二人の動きを追えていた。そして、戦いを支配しているのは茶川だという事も見抜いていた。
「さすがだな、美奈子。目で追えているのか」
パンサーが美奈子に近づき、その肩を抱いた。
(何をしているんだ、僕!? 今はいちゃついている場合ではない!)
中の人のパンサーは混乱していた。
「追えているというか、かろうじてわかるくらいよ、黒田君」
肩を抱かれた美奈子は頬を朱に染めて応じた。するとパンサーは、
「黒田君はやめてくれよ。マイハニーか、パンサーで頼むぜ」
その場に居合わせたほぼ全員が背筋をゾッとさせるような台詞を吐いてみせた。
(僕じゃないけど、僕、何を言っているんだ!?)
中の人のパンサーは更に混乱した。ところが美奈子は、
「じゃあ、マイハニー」
消え入るような声で言い、キャッと叫んで両手で顔を覆った。
(バカップルだな……)
茉莉は二人を半目で見て思った。
美奈子とパンサーの漫才がようなやり取りをしている間にも、茶川と治の壮絶な戦いは続いていた。
「全くの普通の人間が私とここまでやり合うとは、驚いたぞ。イーヒッヒ」
茶川は治と打ち合いながら言った。すると治は、
「やはりお忘れですか、茶川博士。私が強くなったのは、貴方のお陰なのですよ!」
「何?」
突然反転攻勢に出た治に、茶川はハッとして飛び退き、間合いを取った。
「治さんが、押し返した?」
美奈子は形勢が変わったのに気づき、目を見開いた。
「何?」
パンサーはその凶悪な目を美奈子から茶川達に移した。
「まさか、君は、あの時の!?」
茶川は笑いをぶっ込むのを忘れてしまう程驚いていた。治はその僅かな隙を見逃さず、茶川の鳩尾に右の手刀を突き入れた。
「ゲフッ!」
茶川は口から涎混じりの血を吐き、尻餅を突いてしまった。
「博士!」
茉莉が叫んだ。思い人の治、幼少期から一番身近にいてくれた茶川。その二人の戦いは、どちらも応援したい気持ちが揺れに揺れていたが、思わず声が出てしまったのだ。
「止めです、茶川さん!」
治は更に踏み込み、茶川の顔面に爪先蹴りを叩き込んだ。
「ぐべえ!」
茶川は血飛沫を吐き散らしながら、もんどり打って仰向けに倒れた。
「博士!」
茉莉ばかりではなく、香織、パンサー、そして美奈子までが叫んだ。
(私しか勝てないとか言っておきながら、このざまかよ……)
茉莉は心の中で茶川を罵っていた。ところが、次の瞬間だった。
「歯医者、はいしゃ、ハイシャー!」
前歯をへし折られた茶川を見ていた真一のトラウマエネルギーが振り切れた。彼は身体を輝かせ、治に向かって走った。
「もの凄く痛かったんだぞお!」
真一の突進を軽くかわした治だったが、
「痛かったんだぞお!」
かわされた真一がいきなり身を翻して、裏拳を放ってきたのには反応が遅れた。
「ぐう!」
左のこめかみにそれを見舞われた治の体勢がぐらついた。
「おりゃあ!」
真一は畳みかけるように右の回し蹴りを放った。
「舐めるな!」
しかし、それは治にかわされ、更にその右脚を捕らえられて投げ飛ばされ、地面に叩きつけられた。
「ぐう……」
一瞬呼吸が止まった真一が呻き声を上げた時、治のフライングエルボーが真一の腹に落ちてきた。
「ぐはあ!」
胃液を口から吐き散らし、真一はのたうち回った。
「死ね」
冷たい目でそう言い放つと、治は右脚を振り上げ、真一の眉間に向かって振り下ろした。
「そこまでじゃ! イーヒッヒ」
その脚を受け止め、更に弾き返したのは、茶川だった。
「まだやれますか、博士?」
バク転をして着地した治が、無表情な顔で訊いた。
「無論じゃ。イーヒッヒ。お前を倒せるのは私しかおらんからな。イーヒッヒ」
完全回復したらしい茶川は胸を張って告げた。
その頃、茶川に脱出されて怒り心頭の明野明星家の長女である美祢子は、鬼の形相で長い廊下を歩いていた。
「美祢子さん、何てはしたない。明野明星家の跡取りである貴女が、そのように下品な歩き方をするとは、悲しいわ」
美祢子はその声にビクッとし、立ち止まって、
「ご機嫌よう、お母様。アメリカにいらしていたのではなかったのですか?」
引きつった顔でゆっくりと振り返り、声の主を見た。
その主は、まるで酒樽のような体型で、顔はヒキガエルの生まれ変わりのようである。
身に着けているのは、高級ブランドのピンクのワンピースなのであるが、その体型が故に酷く歪んでおり、今にも裂けてしまいそうである。
「明野明星家の一大事ですからね。アメリカ如きと商談をしている場合ではなくてよ」
オホホとおよそ似つかわしくない笑い声を発した。むしろ、ヒキガエルの鳴き声の方がしっくりくるだろう。
「そ、そうでしたか」
美祢子は顔中から尋常ではない汗を掻いていた。
「貴女に任せていたのが間違いでした。美奈子は美奈子なりに頑張ってくれていたようですが、敵の軍門に下ってしまったようですし、こうなってしまっては、私が乗り出すしかないと思ったのよ」
そう言ってニヤリとした母の顔を見て、美祢子は恐怖のあまり、もう少しで失禁してしまうところだった。




