戦その参 ハーフっぽい少年
黒田パンサー。彫りが深くて暑苦しい顔をしていて、ゲジゲジ眉毛で団栗眼、分厚い唇で長身。
名前から、ハーフだと思われ易いが、両親とも日本人で、何代遡っても、先祖に外国人はいない。
父親も母親ものっぺりとした顔をしているので、
(僕は橋の下で拾われた子なんだ)
そこまで思い詰めた事すらある。
しかも、両親は自分達のその平らな顔を悲観し、せめて子供は凹凸のある顔に育って欲しいと願って名づけた「パンサー」というぶっ飛んだ名が、返って子供を苦しめている事に気づいていない。
パンサーは保育園の時は皆に羨ましがられたが、小学校に入学した時、一人の男児に、
「何だよ、お前、ハーフでもないのにバカみたいな名前だな」
直球の批判をされ、それを切っ掛けにクラスメートの男児全員にからかわれるようになってしまった。
それからずっと、いじめられっ子の人生を歩んで来ている。
鮒津高校に進学したのは、少しでもいじめっ子から逃れるためだ。
確かに中心的な存在のいじめっ子は頭が悪かったので、同じ高校にはならなかった。
パンサーの思惑は多少はうまくいったのだ。
だが、鮒津高校では、別の意味でいじめられていた。
いじめっ子から逃げたい一心で、連日連夜猛勉強して無理に無理を重ねてぎりぎりで合格したため、授業についていくのが大変なのだ。
鮒津高校は成績のランキングをテスト後に廊下に貼り出す。
パンサーはいつもクラスの最下位を独走状態だった。
「はあ……」
パンサーが一年七組の廊下の壁に貼り出されたランキングを溜息混じりに見ていると、
「次のテストは頑張って。貴方ならできるわ」
そう声をかけてくれた女子生徒がいた。
ハッとして振り返ると、そこには全校男子の憧れである生徒会長の明野明星美奈子が微笑んで立っていた。
パンサーはあまりの事に呆然としてしまい、言葉が出ない。
鮒津高校は成績で生徒が格付けされているため、クラスのトップと最下位では教師の態度も違う。
ましてや、学年一の成績を入学以来保持し続けていると言われている美奈子に声をかけてもらえるとは、夢にも思っていなかったのだ。
「じゃあね」
その上、美奈子はパンサーの肩をポンと叩いて立ち去ったのだ。
パンサーは一瞬にして美奈子の虜になってしまった。
(あの人に近づきたい!)
パンサーは誓った。
美奈子がパンサーから離れて、狡猾な笑みを浮かべたのを彼は知らない。
そして、常時携帯している消毒液でパンサーに触れた右手を殺菌したのも、もちろん知らない。
「一度は情けをかける。それでダメなら、切り捨てる」
それが美奈子のやり方なのだ。
だからこそ、男子のほとんどは彼女に夢中になり、成績上位になるために勉強をしているのだ。
表では優しい生徒会長を演じ、裏ではあらゆる手段で所謂「落ちこぼれ」達を弾圧しているのが、彼女が率いている生徒会であった。
そして、一般生徒達と教師達の多くが、それに気づいていなかった。
只一人を除いて。
(明野明星美奈子さんの背後には、一体誰がいるのかしら?)
それは養護教諭の笹翠茉莉であった。
彼女は鮒津高校の卒業生で、昔から存在している「裏生徒会」の事を知っている数少ない人間である。
(彼女が生徒会長になってから、以前にも増して退学者が増えている)
あの子もまた、明野明星さんの僕になってしまう。
そう思った茉莉は、パンサーに背後から近づいた。
「黒田パンサー君、よね?」
茉莉は微笑んで声をかけた。パンサーは振り返り、
「あ、笹翠先生」
慌ててお辞儀をした。茉莉はそのぎこちないお辞儀に苦笑いして、
「明野明星さん、成績優秀で綺麗な子よね? 気になるの?」
いきなり核心に触れた。パンサーは顔を真っ赤にして、
「いえ、そんな、恐れ多い事を考えてはいません!」
そう言うと、またぎこちなく頭を下げ、教室に入ってしまった。
茉莉は肩を竦め、踵を返すと保健室へと歩き出した。
(生徒会長は女王様ではないのに、あの態度。しかも、明野明星さんは決して彼を威圧した訳ではない。私が在校していた当時より、深刻な状態なのかもね)
茉莉は真顔になり、足早に廊下を進んだ。
そんな茉莉を廊下の角から見ているのは、英語の教師の津野原那菜世である。
(あの女、生徒を取り込もうとしているのかしら?)
彼女は、男子生徒の人気を二分していると思っている茉莉をライバル視していた。それはあくまで那菜世の勝手な思い込みであるが。
「お前、明野明星さんに声をかけられていたな。最下位の分際でさ」
パンサーが席に着き、教科書を出していると、クラスのトップであるクラス委員の男子が近づいて来て言った。
その周りには三人の取り巻きがいる。
パンサーのゲジゲジ眉毛がハの字になった。
「ご、ごめん」
パンサーは咄嗟に謝罪した。しかし、クラス委員の男子は許すつもりはないようだ。
「そんな謝罪じゃダメだ。今日の昼飯、俺達に奢れ。それくらいの事をしたんだぞ、お前は」
「わ、わかったよ」
パンサーはクラスに友人がいない。最下位の彼と関わると、クラス委員とその取り巻き達に目を付けられるからだ。
だから、だれも彼を庇ってはくれなかった。
(このままじゃいけないんだろうけど……)
そう思うパンサーであったが、生徒会長に対する信仰にも似た感情がそれを阻んだ。
(いや、どうせ僕なんか、何をしたってダメなんだ。だから、このままでいいんだ)
すぐに諦めてしまうパンサーだった。