戦その参拾弐 緊迫の鮒津高校
宵野明星治は、口づけをやめようとしない明野明星美奈子の身体をグイと押しのけた。
「美奈子様、このようなお戯れ、おやめください」
治は微笑んで美奈子に進言した。すると美奈子はムッとした顔で治を睨みつけ、
「お戯れ? 違いますわ」
「は?」
美奈子の目が潤んでいるのに気づいた治はギョッとした。
(まさか、美奈子様は……)
本気で自分の事を愛しているのか? そう感じ、治は薄ら寒さを覚えた。
「私は本気ですのよ! それがわかったからこそ、美祢子は貴方に迫ったのですわ!」
美奈子は涙を零しながら怒鳴り散らした。
(美奈子様も、美祢子様の目論見をお気づきだったのか)
治は深々と頭を垂れ、
「申し訳ありません。自分が至らないばかりに……」
「ごめんなさい、治さん」
美奈子は治に抱きついてきた。
「姉が貴方に迫ったと知って、取り乱してしまいました。許してください」
「美奈子様……」
治は美奈子から謝罪の言葉を聞き、驚愕した。
(まさかこの方が俺如きに謝るとは思わなかった……。この方は本当に純粋な人なのかも知れない)
治は美奈子に愛情はなかったが、その生まれと育ちに同情した。
姉の美祢子は妹を利用する事しか考えておらず、両親は子育てを放棄し、乳母や執事、メイド達に丸投げ、その上、教育も家庭教師に全て任せていた。
美奈子が傲慢に育つのは無理もなかったと思っている。
(美祢子様は自業自得だが、美奈子様はある意味犠牲者で、被害者なのだ)
治は美奈子を優しく抱きしめた。
「治さん」
美奈子は顔を赤らめ、彼を見上げた。治はまた微笑み、
「貴女のお言葉、大変嬉しいのですが、私は従家の者。主家の貴女とはそういう関係にはなれません」
諭すように話した。すると美奈子は、
「姉にも同じ事を言って、交際を断りましたよね」
治は身体が硬直するのを感じた。何故それをと尋ねようと思ったが、口が動かない。
「姉は貴女に交際を断られた日、一日中部屋に閉じこもって泣いていましたわ。自分の生まれを呪うような言葉吐きながら」
美奈子はいつもの彼女に戻っていた。姉を心の底から軽蔑しているような顔と口調。治はホッとしていいのか、驚いていいのかわからなくなっていた。
「だから、私、決めましたの。姉から全てを奪ってあげようと」
美奈子は治が身じろぐような狡猾な顔に変貌していた。
(もしかして、利用されているのは、美祢子様の方なのか?)
治は明野明星家の姉妹の確執の根深さに戦慄した。
「でも、貴方への気持ちには、偽りはありませんわ、治さん。本当に愛しています」
美奈子はまた恋する乙女の顔に戻った。その変化の鮮やかさに治は混乱した。
(どれが本当の美奈子様なのだろうか?)
明野明星家は女系家族である。美祢子と美奈子の母親が明野明星家の者で、父親は他の名家からの婿養子だ。それが何代にも渡って続いている。
(美祢子様はまさしくお母様と瓜二つ。美奈子様はその見目麗しいところが、お父様のお血筋を引いていらっしゃる)
美祢子の人生が狂い始めたのは、茶川博士が開発したと言われている試験薬のせいだった。
その試験薬の恐るべき効果を目の当たりにした研究者達の報告書を見た母親が、長女を被験者とする事を決断した日から、美祢子の不幸が始まった。
(最初は奥様の過剰な親心が招いたものだったが、やがてそれを受け継いだ美祢子様が更に悪魔の所業を加速してしまった)
美祢子は茶川が開発した試験薬の再開発を研究者達に命じ、それに近いものを作らせる事に成功した。
茶川が開発した試験薬は死者を蘇生させる程のものであったが、研究者達が開発した薬は、人間の老化を阻止し、体細胞を変化させるものであった。
美祢子は試験薬によって、己の醜い容貌を修正し、醜い体型を矯正する事に成功した。だが、究極の薬である不死薬と不老薬はどうしても完成しなかった。
(あの方の野望はそれなのか? それとも、この世の全てか?)
治は美祢子の真意を知った気がして、逃げ出したくなった程だった。
(いや、違う。美祢子様の野望は、美奈子様の全てを奪う事。そして、美奈子様も美祢子様の全てを奪う事を考えている。何と恐ろしい姉妹なのだろうか……)
治は美奈子を見てそんな事を想像していた。
「治さん、まさかあの化け物のような姉の事を好きになったりはしませんわよね?」
美奈子はまるで治が考えている事を見透かすかのような質問をした。治はハッと我に返って苦笑いし、
「まさか。そんな事はありませんよ」
そう告げると、美奈子をソッと押し戻し、
「では、仕事に戻ります」
サッと待機部屋を出て行った。
「意気地なし!」
美奈子は舌打ちして治を罵った。
そして、翌日。
赤井真一と村崎香織、そして黒田パンサーは、何事もなかったかのようにZ県立鮒津高校に登校した。
三人は、全ての秘密を知っている養護教諭の笹翠茉莉の言葉に従い、他の生徒達よりも早く学校に現れ、一目散に茉莉が待つ保健室へと向かった。
三人のクラス担任には、茉莉から話を通し、一時間目は保健室で療養する事になっていた。
茉莉が警戒したのは、生徒会の行動だった。
教室にいれば、否応なく連行され、取り調べのような事をされるのは目に見えている。
そして、自分自身も、ヤンキー戦隊の構成員だという事が、治を通じて生徒会に知られていると考えていた。
だから、一時しのぎとは思ったが、保健室に緊急避難として匿う事を思いついたのだ。
生徒会は茉莉の危惧したように全てを把握していて、いつでも四人を拘束できる態勢を確立してはいたが、何故か生徒会長の美奈子の指示により、ストップをかけられていた。
「何故ですか、会長?」
疑問に思った副会長の二東颯が尋ねた。すると美奈子は鋭い一瞥を彼に放ち、
「貴方に説明する義務が私にありますか、二東君?」
血も凍るような冷たい口調で尋ね返した。
「いえ、ありません! 申し訳ありませんでした!」
颯は飛び跳ねて床に土下座した。他の者もその様子を見て、質問するのを諦めた。
一時間目の授業が終わった。もうこれ以上保健室に匿うのは無理だと判断した茉莉は、三人をそれぞれの教室に戻らせた。
「もし、生徒会の連中が何か仕掛けてきたら、構わないから変身しなさい。今は何を置いても、自分達自身の安全確保が最優先よ」
気休めにもならないかも知れないとは思ったが、茉莉は言わずにはいられなかった。
(茶川博士、一体どこにいるのよ?)
三人を送り出してから、茉莉は窓の外に見える雲を茶川の逆立った白髪にダブらせて思った。




