戦その参拾 明野明星家の闇
明野明星美奈子は不敵な笑みを浮かべたままで、話を続けた。
「どうですの、茶川さん。協力してくださいますの?」
彼女は答えは一つしかないという顔で詰め寄る。すると茶川博士は、
「あんたに協力すると、わしはどんなメリットがあるんじゃ? イーヒッヒ」
真顔で笑い声をぶっ込みながら尋ね返した。
「貴方にメリットがある必要があると思いますの?」
美奈子は目を細めて更に尋ねる。
「なるほど。イーヒッヒ。道理じゃな。イーヒッヒ」
茶川はまるで悪びれもせずに肩を竦めてみせた。美奈子はフッと笑って、
「貴方が協力を約束してくれれば、ここから出して差し上げますわ」
「ほお。それは確かにメリットじゃな。イーヒッヒ」
茶川はニヤリとして応じた。美奈子はまた一歩茶川に近づき、
「どうです? 私への協力を約束しますか?」
茶川は美奈子を見上げて、
「さて、どうしたものかな? イーヒッヒ」
答えを出し渋る。美奈子はイラっとして茶川から離れ、
「協力を約束しない場合には、貴方の唯一の理解者である笹翠茉莉先生が大変な事になりますわよ」
脅迫を重ねてきた。しかし、茶川は、
「茉莉君はわしの理解者ではない。イーヒッヒ。一番弟子じゃ。イーヒッヒ」
「そんな事はどうでもいいですわ。貴方にとって、彼女は大切な存在なのでしょう? その笹翠先生がどうなってもよいのですか?」
美奈子は右足を叩きつけるように大きく前に踏み出して、茶川を睨めつけた。
「別にかまわんよ。イーヒッヒ。好きにしてくれ。イーヒッヒ」
茶川はニヤニヤしたままで告げた。美奈子は一瞬呆気に取られたが、
「只の脅しだと思っていますのね!? 違いますわよ。私はやると言ったら、本当にやりますわよ!」
歯をギリギリさせてから怒鳴った。それでも茶川は、
「そんな事は承知しておるよ。イーヒッヒ。明野明星一族がどれ程冷酷非情かは身を以て知っているのでな。イーヒッヒ。その上で構わんと言っているのだ。イーヒッヒ」
一歩も退くつもりはないという態度をとり続ける。美奈子は茶川の真意を測りかねた。
(確かにこの男は、我が一族の恐ろしさをよく知っている。それなのに、笹翠茉莉の身を案じるつもりがない? それ程の冷血漢なの? それとも、何か企んでいるの?)
美奈子は茶川の本心を探ろうと彼を見つめた。
「そんなに熱い視線を向けられると、わしのような年寄りでも、その気になってしまうぞ。イーヒッヒ」
茶川は挑発のつもりなのか、そんな事を言ってきた。
「冗談でもそんな事を言わないでいただきたいわ! 私が貴方を誘惑するはずがないでしょう!」
美奈子は顔を赤らめて激怒した。茶川はフッと笑って、
「なるほど。あんたは間違いなく、明野明星美奈子のようじゃの? イーヒッヒ」
美奈子は茶川の言葉に唖然とした。
(この男、まだ私を美祢子だと思っていましたの?)
うっかりした事を言えば、足を掬われると思った美奈子は、
「わかりました。考える時間を差し上げましょう。正しい判断をしてくださる事を希望しますわ」
そう言うと、踵を返し、監禁室を出て行った。その直後、ガチャンと扉の鍵がロックされる音が響いた。
「なかなか骨の折れる姉妹じゃの。イーヒッヒ」
茶川は真顔で呟いた。
その話題の茉莉は、部屋の隅で項垂れていた。
村崎香織が主導権を握り、赤井真一と黒田パンサーを動かして、茉莉の部屋を片づけ始めたのだ。
(私は『汚部屋の住人』に確定なのね……)
心の中で涙を流す茉莉である。
「お!」
真一がゴミをゴミ袋に詰めていて、茉莉のブラジャーを発見した。ピンク地に花柄の可愛いものである。
「あ!」
香織と茉莉がほぼ同時にそれに気づき、真一に駆け寄る。
「え?」
真一は、妄想の中だけの「新旧の恋人」が自分に向かって走ってくるのを見て、目を輝かせた。
(ああ、僕を奪い合おうとしているんだ、二人が!)
入院を勧めるレベルに達してしまっている真一である。
「何しているの!」
香織と茉莉に異口同音に責められているにも関わらず、
「二人とも、仲良くして」
意味不明の返しをし、
「はあ?」
茉莉と香織の不興を買った挙句、ブラジャーを取り上げられ、
「変態!」
罵られた真一である。
(今なら逃げ出せるだろうか?)
そんな状況下でも、考える事は一つのパンサーであった。
やがて、茉莉の部屋は見違えるように綺麗になった。
「ありがとう、みんな。お礼に夕食をご馳走するね」
茉莉はもう破れかぶれになっていたが、せめて、明日学校で話さないようにするためにご機嫌をとっておこうと考えた。
三人は茉莉の言葉に、すでに日がとっぷりと暮れているのに気づいた。
茶川トラウマ能力研究所(仮)を去り、明野明星家に戻った宵野明星治は、美奈子の部屋に向かった。
「治さん、早かったですわね。さ、どうぞ」
美奈子はドアをノックした治を部屋に迎え入れた。すると治は、
「ご冗談はおやめください」
唐突にそんな事を言ってのけた。美奈子はフッと笑って、
「一体何を言いますの、治さん?」
すると治は真顔のままで、
「貴方は美祢子様ですよね?」
すると美奈子だと思われた女はニヤリとし、
「さすが、治さんね。貴方と茶川博士は騙せないみたいだわ」
彼女は治の言う通り、美祢子だった。美祢子はソファに腰を下ろして足を組み、
「美奈子が私の追い落としを始めたようなの。貴方はどちらにつくつもりかしら?」
顔は笑っていたが、目は治を射るように睨んでいる。治は小さく溜息を吐き、
「美祢子様、いつまでこのような事をお続けになるつもりですか? 虚しくありませんか?」
美祢子は治の問いかけにムッとした表情になり、
「その返答だと、貴方は私の味方ではないようね?」
治はますます悲しそうな顔になり、
「私はどちらの味方でもありません」
「随分なお返事ね、治さん。では一体、貴方は誰の味方なの? もしかして、笹翠何とかという、下衆な女の味方なのかしら?」
美祢子の意外な皮肉に治は目を見開いた。
「貴方の子飼いと思っている御庭番衆のほとんどは、私の忠実な僕なのよ、治さん」
美祢子は勝ち誇った顔で告げた。
(美祢子様が美奈子様に異常な程の対抗意識をお持ちの限り、明野明星家の未来は悲観的なものにしかなり得ない)
治は心の底から元主家の行く末を憂えていた。




