戦その弐拾陸 明野明星一族と茶川博士
茶川博士の不遜とも言える態度にも、明野明星美奈子は怒りの表情を見せず、哀れみの目で彼を見た。
「この期に及んでのその虚勢、見苦しい限りですわ、茶川さん。貴方は密かに我が明野明星家に対する復讐を計画していたのでしょうけど、今まさにそれは終わりを告げたのですよ。貴方の完全敗北です、茶川さん」
美奈子は言葉の最後には嘲笑を含んだ表情になっていた。しかし茶川は、
「虚勢? 復讐? 何の事かの、嬢ちゃん?」
笑いをぶっ込まない無表情な顔で応じた。美奈子は少しだけ苛ついたようで、テーブルを回り込んで、大股で茶川に歩み寄った。
「いつまで惚けるつもりですか? 貴方は我が明野明星グループの一角である豊本自動車の研究室にいた。そこで、貴方は他の研究者と共に新しいエネルギーで駆動するエンジンを開発していた」
美奈子は自分より十センチ以上身長が低い茶川を見下ろした。茶川は美奈子の顔を見る事なく、ソッポを向いている。
「そして、その開発の途中で、何が原因か未だに不明のままですが、爆発事故が起こり、偶然そこに居合わせたのか、理由があったのかも不明ですが、その場にいた貴方は巻き込まれて死亡した」
美奈子はソッポを向いた茶川の顔を黒尽くめの男に指示して、無理矢理前を向かせた上、彼女の顔を視界に入れるようにやや上向きにさせた。
「当時、豊本自動車は、貴方に会社の命運をかけた研究をさせ、莫大な費用を投じていたため、このままでは計り知れない損失を被ると考え、貴方の蘇生に尽力し、それは成功した。但し、ライバル企業を欺くために、表向きには貴方は死亡した事にしていた」
茶川は美奈子の顔を見るのが嫌なのか、目を瞑ってしまった。美奈子はムッとしたが、さすがに目を無理矢理開けさせる事はせず、
「貴方を蘇生させたのは、貴方自身が研究開発中だった試験薬だった。その薬は貴方の研究データに残されていたように死者を蘇らせる程の途轍もない新薬だった」
美奈子は茶川の顔に息がかかる近づいて話している。茶川はそれでも目を瞑ったままで、時折鬱陶しそうに鼻から息を漏らしてみせた。
「ところが貴方は、何も覚えていないふりをし、グループの医療チームの治療を受け、傷が治り、体力が回復した頃、看護師達の引き継ぎの合間を縫って集中治療室を脱出し、そのまま行方をくらました」
美奈子はスッと身を起こして茶川から顔を離し、
「表向きは死亡している貴方を探すのは、御庭番衆にも難しかったみたいですわ。しかも、貴方はどういうルートを使ったのか、海外に逃亡した痕跡を意図的に残し、お庭番衆に世界中をかけずり回らせた。そのせいで、一体いくらかかったと思っています?」
美奈子は茶川の顎を掴んで引き上げた。茶川は軽く呻いたが、目は開かなかった。
「とは言っても、我がグループの営業利益に比べれば、ものの数ではありませんから、貴方に損害賠償請求はしませんので、ご心配なく」
美奈子はフッと笑い、茶川の顎を放した。
「貴方は戸籍を変え、現在の住所に住み始めた。それが十九年前。その時に笹翠茉莉と出会ったのですね?」
美奈子は黒尽くめの男の一人から写真を受け取り、それを茶川に見せた。茶川は目を瞑ったままだったが、それにはまだ保育園に通っている幼い茉莉と今とほとんど変わらない容貌の茶川が写っていた。
「それにしても、大胆不敵ですわね。戸籍は別人になりすましているにも関わらず、近所の人に名乗っていたのは『茶川博士』だったのですからね。もっとも、貴方は近所でも『変わり者』として有名で、交流があったのは、笹翠茉莉だけだったようですが」
美奈子は鼻で笑うと、不意に真顔に戻り、
「貴方が研究開発していた試験薬。そして、新しいエンジンのエネルギーに使おうとしていたもの。それは一体何ですか?」
すると、茶川はゆっくりと目を開いて、美奈子を見上げた。
「それを知ってどうするつもりじゃ? イーヒッヒ」
またしても笑いをぶっ込む茶川に美奈子は再び哀れみの表情を見せ、
「もちろん、豊本自動車の更なる発展のために使うのですわ。貴方の研究に投資したのは我がグループですから、当然の事ですわね」
「なるほど、道理じゃな。イーヒッヒ」
茶川は真顔のままで言った。美奈子も真顔に戻り、
「ならば答えなさい。試験薬、そして、新しいエネルギーの正体を!」
仁王立ちで腕組みした。茶川は、
「答えはすでに出ておる。嬢ちゃんが戦った相手じゃよ」
美奈子は茶川の言葉に眉をひそめた。
「戦った相手? あの不良達の事ですの?」
美奈子の問いに茶川はニヤリとして、
「その通りじゃ。あの子達の尋常ではない強さ、それこそが新しいエネルギーの答えじゃ」
「どういう事? 何がエネルギーですの!?」
美奈子は苛ついて茶川に顔を近づけた。茶川は目を見開き、
「そう言えば、嬢ちゃん、年が合わんようだが、どういう事じゃ? イーヒッヒ。あの時、すでに保育園に行っていたはずじゃろう? イーヒッヒ。それなのにまだ高校に通っているとは、随分と留年を繰り返しておるのか? イーヒッヒ」
その言葉に美奈子の顔色が変わり、茶川から離れた。茶川は美奈子の変化を見逃さず、
「なるほど。あんたは明野明星美奈子ではないな? イーヒッヒ。そう、あの時の嬢ちゃんは確か、明野明星美祢子だったはずじゃ。イーヒッヒ」
途端に美奈子の様子がおかしくなった。彼女はあからさまに動揺し、
「その男を地下牢に閉じ込めなさい。もう二度と外に出してはなりません」
「は、はい!」
黒尽くめの男達は慌てて茶川を拘束し、部屋から連れ出そうと引き摺った。
「そうか。明野明星一族も、研究しているのか、新薬を? イーヒッヒ。だが、まだ最終段階には到達しておらんようだな? イーヒッヒ。あんたが被験者なのか、美祢子さん!? イーヒッヒ」
茶川は引き摺られながらもそう叫んだ。美奈子は鬼の形相になり、
「早く連れて行きなさい!」
黒尽くめの男達は美奈子の剣幕に恐れをなし、茶川を抱きかかえるようにして部屋を出て行った。
「茶川め……。よくも私の事を……」
茶川に「明野明星美祢子」と呼ばれたその女は、血が出て来る程強く歯軋りしていた。




