戦その拾玖 知らないとは恐ろしき事
赤井真一が歯医者の診察台を見て雄叫びを上げ、村崎香織に用意された巨大扇風機に事情を察した笹翠茉莉が激怒して、全ての張本人である茶川博士の襟首をねじ上げ、どうしたらいいのかわからない黒田パンサーがオロオロしている頃の事。
生徒会で一番下っ端の六等星太は、ニヤニヤしながら、下校していた。
(村崎香織って言う子、地味だけど、可愛いよなあ。それに胸が……)
星太は香織の揺れる胸を見て、彼女に心惹かれた。彼女が生徒会長である明野明星美奈子と戦った一人、ヤンキーパープルだとは夢にも思わずに。
(笹翠先生も美人だけど、胸が残念だからなあ……)
心の中で茉莉にダメ出しをする星太である。その時、彼の携帯が鳴り出した。その着信音に星太は顔色を変え、慌てて鞄の中から携帯を取り出して、通話を開始した。
「はい、六等です!」
通話の相手は、生徒会第一会計で、IT部門担当の三椏麻穂だった。
「六等君、赤井真一と村崎香織、黒田パンサーの件はどうなっていますか?」
麻穂の事務的な声が聞こえた。星太は心の中で舌打ちし、
「三人は恐らく茶川博士と繋がりがあると思われるので、茶川の家に向かっています」
その言葉に嘘はないが、彼の目的は違っている。香織に会いたいだけなのだ。
星太は、第二会計の士藤四郎が倒されたのを聞き、自分には無理だと判断している。
だから、できれば香織をそのおかしな組織(星太の個人的な感想である)から助け出そうと考えているのだ。
(茶川は、近所でも有名な変人だそうだから、きっと香織さんは茶川に弱みを握られ、そのせいで無理矢理協力させられているんだ)
ある意味、鋭い洞察力の星太である。
「それなら、茶川と彼等の関係、そして、会長と戦った不良達がどこの誰なのか、探りなさい。いいですね?」
冷たい口調の麻穂にムカつく星太だが、自分より成績が遥かに上の麻穂にはどう足掻いても逆らえないので、
「わかりました」
「よろしくお願いしますよ、六等君」
麻穂の声は最後まで事務的で冷たかった。
(ウルトラ貧乳め)
巨乳至上主義の星太にとって、胸が貧相な麻穂は女の魅力ゼロであった(あくまで星太の個人的な見解)。
(それに引き換え、香織さんの可愛さは極上だ)
星太はまた香織の揺れる胸を思い出し、ニヤついた。それを行き交う女性達にドン引きされているとも知らずに。
そして、第一書記の五島誓子は、悩んでいた。
彼女は、赤井真一を以前から知っているのだ。
(ああ、信じたくない。赤井君が生徒会と敵対している組織に関係しているなんて……)
彼女はそんな悩みを抱えながらも、放課後の体育館で、四郎をこてんぱんにしてしまった。
いや、悩んでいたからこそ、そうしてしまったのだ。いつもなら、四郎を気遣ってそこまでしない優しさがある誓子なのだが、その日は真一の事で頭がいっぱいになり、手加減ができなかったのだ。
「士藤君、もうおしまいなの? 貴方、それでも男なの? ちゃんとついてるの?」
二人の対戦を体育館の隅で観ていた美奈子が言い放った。誓子はその言葉の意味を理解し、赤面した。
しかし、完全に意識を失っている四郎は何の反応もしない。
「五島さん」
誓子は美奈子に名前を呼ばれてハッとした。美奈子は目を細めて誓子を睨んでいた。
(私、何かした?)
やり過ぎたのかと思い、誓子はどう言い訳をしようか考えた。ところが美奈子は、
「やっと本気を出したようね? 今までずっと士藤君を気遣って手を抜いていたのかしら?」
誓子は震えそうになった。美奈子は誓子が手加減をしているのを見抜いていたのだ。彼女はそういう事をするのを一番許さない人間である。
「いえ、そんな事は……」
誓子は顔が引きつるのを感じながらも、言い訳にもならないような事を言って凌ごうとした。
「まあ、いいわ。士藤君はこれで自分がどれほど弱い人間か理解したでしょうから」
美奈子はクルッと踵を返すと、
「でも、次からは許さないわよ、五島さん。戦う時は全力を出しなさい」
そう言い捨てると、スタスタと大股で歩き、体育館を出て行った。
「はい!」
誓子は大きな声で返事をし、深々と頭を下げた。
(ああ、赤井君。貴方は私の事なんか覚えていないでしょうけど、私はずっと覚えていたわ。どうしたらいいの?)
誓子は静まり返った体育館で、祈るような顔で窓の外に広がる夕焼けを見つめた。
美奈子が体育館から校舎に続く渡り廊下を歩いている時、制服のポケットに入っている携帯が震えた。
「はい」
美奈子はスッと携帯を取り出して通話を開始した。
「相変わらず、仕事が早いわね。結果から教えてちょうだい」
美奈子が告げると、通話の相手が説明を始めたようだ。美奈子は軽く頷きながら、話に耳を傾けた。
そして、美奈子が校舎に入る直前で、
「それはどういう事? あり得ない事だわ」
美奈子は声を荒らげて通話の相手に怒鳴った。そして、相手の説明を更に聞く。
「そう。そこまで調べて、そういう結果であれば、間違いはないようね。わかりました。引き続き、調査を続けてくださいな」
美奈子は通話を終え、携帯をポケットに戻した。
「ああ、会長、こちらでしたか」
そこへ副会長の二東颯と麻穂がやって来た。
「どうしたの? 何か動きがあった?」
美奈子は二人を見て尋ねた。颯が頷いて、
「はい。赤井真一と村崎香織は、茶川の家で奇妙な事をしていたと、六等から報告がありました」
「奇妙な事?」
美奈子が眉をひそめて鸚鵡返しに訊いた。今度は麻穂が、
「赤井真一は歯医者の診察台に拘束具で固定されてもがいており、村崎香織は巨大な扇風機の前に立って風を受けていたそうです」
「はあ?」
頭脳明晰な美奈子をもってしても、その行動が一体何を意味するのか理解する事は不可能であろう。
「そして、もう一人の黒田パンサーは、何もせずに呆然としてそれを見ていたそうです」
麻穂が言い添えると、美奈子は、
「六等君はそれをどこから見ていたの?」
当然の疑問である。すると颯が、
「六等は、茶川の家の裏手にある小さな窓から、それを見たそうです」
美奈子は右手を顎に当てて考えたが、何も思いつかなかった。
「理解不能ね。茶川はマッドサイエンティストだったのかしら?」
美奈子の言葉に違和感を覚えた麻穂が、
「だったのかしらとは、どういう事でしょうか、会長?」
恐る恐る尋ねた。美奈子はフッと笑って麻穂を見ると、
「さっき、我が家の調査員から報告があったのよ」
「あ、はい」
麻穂と颯は顔を見合わせてから応じた。美奈子は肩を竦めて、
「俄には信じ難いのだけど、私と五島さんが見た茶川博士は偽者だという結論だったわ」
「どういう事でしょうか?」
颯と麻穂はますます意味がわからないという顔をした。美奈子は真顔に戻り、
「茶川博士という人物は、二十年前に死亡しているのよ」
颯と麻穂は目を見開いて驚愕した。




