門
舞台は現代ですが、人名、場所に国の設定はありません。遅筆ですが完結出来るように頑張ります。
あらゆる情報が誰でも容易に手に入り、危険ドラッグや異常犯罪も日常化してきている現代社会。街には無数の監視カメラが設置され、人々の行動のその一部始終を監察、記録していた。
凄まじいスピードで発達してゆく科学の進歩とは裏腹に、人間の成長速度が追い付いてはいないのか、精神が歪み、捻れ、モニター越しでしか通じ合えない心の繋がりは、次第に希薄となり、それにより命の尊厳までもが失われつつあるのかもしれない。
ーー大都会。
そこに建ち並ぶ幾つもの巨大なビル群は、まるで無限とも思える人間の欲望を剥き出しにし、どれだけ他者よりも高く積み上げられるか、いかに自分の方が優れているかを競い合っているかの様だった。
また、クローン技術の飛躍的な進歩により「死」と言う唯一無二の絶対的な審判からをも逃れようとしていた。それはまさに「万物の理」すらをも変えようとする、人智を越える暴挙とも言えた。
「ヒ ト ハ カ ミ ニ ナ レ ル ノ カ 」
やがて、人々はその言葉の意味を知る事となる。
全てを理解し、把握、制御しようと膨れ上がる欲望は、それでも国を豊かにし、人を進化、深化させる。だが、照らし出す光が強くなる程に、またその影は色濃く、より鮮やかに映し出されてゆく。
ーー現代社会に生きる誰もが心に闇を持っていた。
都内中心部。華やかなネオンが煌めく繁華街を一歩脇道に入ると、そこには普通の生活からは決して知る事の出来ない裏の社会が顔を覗かせている。
ーー奇妙な噂が囁かれていた。
「記憶の売買をしている店がある」
また、その店は深夜にだけ開いている。店主の気が向いた日だけにしか開かない。看板は勿論ドアすらも無い。記憶の売買には途方もない金額が掛かり、一般人では相手にもされない「店に入った者は雨が止まなくなる」など、どれも怪しい噂ばかりだった。
案の定その店を見た者は誰もいなかった。噂が噂を呼び、そこに尾ヒレが付いてまた噂として流れていく。そんな信憑性の無い話を信じているのは、都市伝説好きの愛好家か一部のマニアだけだった。
ーー某日。
この日、街には夕刻から雨が降っていた。分厚い黒雲が徐々に辺りを覆い、夜になっても雨脚は弱まる処か益々激しさを増してゆく。
時刻は深夜零時を少し回っていた。人影も疎らな裏道に、およそ似つかわしくない一台の高級車が狭い路地を曲がりづらそうにゆっくりと走っている。
暫くの後、古い廃墟らしき雑居ビルの前でその車は停車した。運転席から降りてきたその男は髪を短く刈り上げ、黒いスーツに黒いネクタイ、黒いサングラスを掛けている。また、身長は一八〇を優に越え、がっしりとしたその体躯からは、その男が特殊な人物である事を物語っていた。
真っ黒な大きい傘を開き、運転席とは反対側の後部へ回り込み、静かにドアを開ける。
「ここで間違いないのか」
僅かに開いたドアから低い声が漏れ聴こえてくる。スッと男が傘を前にやる。自分が濡れるのはいとわない、そんな感じだ。たがそれは当然である。
ーーその男はSPであった。
中から現れたのは齢五十程の男。スラリとした細身の身体にタイトにフィットした高級スーツ。白髪混じりだがオールバックに纏めあげた髪型、その僅かな立ち振舞いからでも、ある種の気品……の様なものが漂っている。一言で表すなら紳士、が一番シックリときた。そう、眉間に刻まれている深い皺、その意味が分かるまでは。
地下へと続く階段。廃墟のビルに当然照明などはあるはずも無く、SPの男が内ポケットから取り出したジッポに火を灯した。いつの間にかサングラスも外している。かろうじて見える足元に細心の注意を払って下へと歩を進めた。激しい雨だからなのか、下へと降りるに従って空気が湿気を含み肌に纏わり付いてくる。
「息苦しいな」
思わず漏れる本音にオールバックの男は無意識に指を首にやる。ネクタイを少し緩めたのだ。慎重に歩みを進める。地下二階……だろうか。階段を降りた先には広く長い通路があった。横幅は三メートル程、天井に至っては、奥へ進むにつれて暗闇では目視出来ない位に高くなっていく。
ーー異様だった。
古い建物の構造上、始めからこんな風に建築はしない。明らかに後から人の手が入っている。
ゴクリと唾を飲む音が静寂の暗闇に響く。この異様な空間は、巷で囁かれている噂に実体をもたらすには十分ではないか。口には出さなかったが男達はそう思っていた。
長い通路。光の無い世界だからか、その距離は時間的にも永く感じられる。また、突き当たりまで来て初めて分かった事があった……何も無いのである。正確には扉、入り口と呼べる物が、だ。
「行き止まり、なのか?」
堰を切った様にオールバックの男が言葉を発した。だがその声色に不満や疲労、といった物は混じってはいない。
「よく調べてみろ」
「分かりました」
SPの男もまた、命令されてからの行動に一切の躊躇はない。任務に厳格なのか。勿論それもあるが、それだけではない。
ーー確信めいたものがあった。
証拠、と言える物は無い。直感、とも少し違う。敢えて言うならば「雰囲気」だろうか。この、来る者を拒絶するかの様な独特の空気感に何も無い壁は、興味本位で訪れた者ならば直ぐに諦め引き返すであろう。だからこそである。
注意深く壁を手で触っていく。正面は勿論、側面、地面に至るまで。暗闇に僅かに灯るライターの灯り。それだけを頼りに手探りで探す、が、やはり何も無い。
「ここではないのか」
傍らで見ていたオールバックの男が、上を見上げて吐き捨てる様に言った、その時。天井の遥か奥の方でユラユラと揺れる赤い光に気が付いた。
「あれは……ライターの……光か?」
SPの男からジッポを取り上げ、手を高く上げてゆっくりと左右に振る。と同時に目を凝らして確認するがよく分からない。
「そうか、携帯電話だ」
何かを閃いたのか、オールバックの男は携帯電話を取り出す。
「携帯電話ですか。それが何か……」
SPの男は意味が分かってはいない様子だった。
「写真だよ。ズームを使い、フラッシュを炊いて写してみれば何か分かるだろう」
電源を入れ携帯電話を横向きにする。両手で構え天井に向けてシャッターを切る。バシャッという音と共にフラッシュの光源が暗闇の空間を写し出す。
「やはりそうか」
写真をすぐさま確認する。そこにはフラッシュの光を反射している「何か」が写っていた。
「監視カメラだな。それも暗視タイプか」
何も無いと思われた廃墟のビルに、不自然に設置されている監視カメラ。男達の予想は当たっていたのだ。
「見ているのだろう?」
「ならば扉を開けてくれ。記憶の取引がしたいのだ」
両手を広げて叫ぶ低い声が、辺りに反射して暗闇にこだまする。その刹那、プシュウという音と共に突然正面の壁が扉の形にゆっくりと奥へ引き込む。咄嗟にSPの男は右手をスーツ左脇の中へやる。だが、それをオールバックの男が片手で制した。
「よくできた物だな」
壁一枚分、十五センチ程だろうか。奥へ引き込んだ扉は、ガコッという鈍い音を立てて停止する。そしてその分厚い扉は、更にそこから横へスライドした。扉の向こう側から次第に溢れてくる薄暗い光。
ーーその中もまた「闇」だった。
「地獄の門が開いた、か」
「中に居るのは天使か、それとも悪魔か……」
口元に薄い笑みを浮かべながらオールバックの男は呟く。だがその眉間には深い皺が寄っていた。