林間学校積立金はどこへ?
~林間学校積立金はどこへ?~
「近藤、本当になくなったんだろうな」
5時間目の授業の始まりをまっていたはずなのに、いつになっても待ち遠しい授業は始まらなかった。5時間目は現国だ。教科書に書かれている物語の作者の気持ちはわからないけれど、文面上から読み取れるものはわかるからこの上なく退屈な授業だ。だから待ち遠しいわけではない。ただ、待ち遠しいのは平穏に授業が行われる環境だ。
今授業では、現国の教師でもあり、担任でもある佐藤だか加藤だか、とりあえず藤がつくことだけはわかっている教師が教卓で授業以外のことを言っている。「さ」と「か」の違いなんてどうだっていいのではと思ってしまう。俺の苗字は「羽島」だが「鹿島」でも特段問題なく返事をする。何度か佐藤だっけ加藤が俺の苗字を間違えて呼んだが気にせず返事をする。ゴールデンウィークも終わったのだからそろそろお互い名前を覚えてもいい関係なのかも知れないが、俺にとっては正直名前を覚えてもらうより、平穏無事に授業を始めてくれるほうが大事だ。それだけ俺にとってこの苗字にそこまで愛着というものがない。ま、選ぶことなんてできなかったし、物心付いた時から俺の苗字は「羽島」だし、名前は「光太郎」だ。それは逆立ち下ってかわることはない。別段変な名前じゃないから名前を変えたいと訴え他としても却下されるだろうし、だからと言って違う名前にしたいと思うこともない。いや、この赤い髪、大柄な体という容姿から考えて名前がもっと異国情緒あふれるものであったら誤解されることもなかったのかもしれないが。そういう意味では、「光太郎」ではなく「ライティング・T・ロウ」みたいなのだったらよかったのかもしれない。これだと羽島が消えてしまう。とりあえずずっと寝たふりをしてうつむいていたのだが、顔を上げて教室を見てみた。佐藤だか加藤だかわからない、阿藤かもしれない教師が向かっているのは「近藤」というちょっとよくわからない女性だ。
顔立ちはきりっとしてかわいいというより美人なのかもしれないが如何せん顔つきがきつすぎる。俺も目つきが鋭くて誤解されるたちだが、この近藤というやつも誤解をされそうな顔つきをしている。だが、近藤は俺と違って誤解ではなく、紛れもなくいつも機嫌がわるく、そして何かとヒステリックに怒っている。イメージも含んでいるが。俺はどなったりモノを投げつけたりはしない。多分だがしないだろう。いや、ちょっとくらいならするかもしれない。だが、近藤はそれをする。やたらする。だからまわりも怒らせないように気を使っているのだ。そういう特別扱いをされるのが心地いいのだろう。俺にはわからない世界だ。
この学校の制服はどこか古い。俺は詰襟の学ランだし、女性は紺のセーラーだ。襟の部分が水色なのが目立っているくらいだ。胸には赤い名札がついている。1年生は赤で2年生は緑らしい。3年生は青。俺はこの3色なら赤が一番きらいだ。赤は俺の髪の色だからだ。この髪のせいでどれだけ孤独をあじわっていることやら。
まぁ、そんなことはどうでもいい。そして、近藤が何か叫んでいる。聞きたくないが耳に入ってくるのだ。
「そうよ、加藤先生、今日は言われたとおり林間学校の積立金を持ってきたわ。35,500円ぴったりになるようにもらったのだから。封筒に入れて教科書の間にぴったり挟んで持ってきたんだから」
すでに、近藤のテンションは上がっている。そして、もう一つどうやら目の前にいる教師は加藤というらしい。近藤も役に立つこともあるものだと思った。ただ、キー、キーうるさくてたまらない。叫べば叫ぶほど何を言っているのかどんどんわからなくなる。
なんどもぴったり、ぴったりと言っているのが俺にとってはぴったり意味不明だ。ぴったりに何かうらみでもあるのかとさえ思ってしまったくらいだからだ。ま、どうでもいいことだが。
「誰かが昼休みに盗ったに違いないんです。今から全生徒の荷物検査をしてください。それか、先生が変わりに払ってください。もう一度お母さんに言うなんてことできないし」
どうやら近藤のお母さんはかなり怖い人なのだろう。そう思うことにした。この近藤のキャラクターはひょっとすると近藤が怖いと思っているお母さんをトレースしたものなのだろうか。だとしたら関わりたくないものだ。こんなのが二人もいる家を想像するだけでイヤな気分になれる。
加藤先生が言う。
「まぁ、全員の荷物検査はいきなりすぎるかな。昼休み誰か近藤の席の近くにいたものがいたのか覚えているか?」
なんだかイヤな雰囲気だ。後ろのほうのおさげをした女性が手を上げてからこう言った。
「――くんと――くんがふざけて騒いでいました。その時近藤さんの机を一回横倒しにしてたわ。その時机の中にあった教科書も床にばら撒かれていたわ」
その発言の後、更に誰かがこう言った。
「はぁ、俺犯人じゃないし、それよりその辺の席でご飯食べていた●●や●●のほうが怪しいだろう。お前らよく裏で近藤のこと悪く言っているじゃないか」
教室が暴言の渦につつまれる。俺は机をたたいて立ち上がった。
「すみません、保健室行って来ます」
うん、何だ。この空気。うまく言えなかったのかな。なんだか呆然としてやがる。まぁ、気にしないで置こう。俺は堂々と加藤教師の前を通って前の扉から出て行った。扉を閉めて廊下に出る。
ああ、廊下は静かだな。とりあえず言った手前保健室に行くか。俺は保健室に向かって歩き出した。
この学校は手前に1年生の棟、真ん中に2年生の棟、奥に3年生の棟となっていて、中央で一本の廊下で結ばれている。「H」の文字にもう一つ付け足したみたいな感じだ。
俺の席は窓側で窓には正門が見える。暇な時は外を見ていることが多い。正門前にはちょっとしたきれいな芝の丘みたいなものがあって、ベンチがある。たまに近所のネコが入り込んで、丘で日向ぼっこをしている。いつもうらやましく思っている。だからいつかあの丘っぽいところでネコと一緒に日向ぼっこをしてやろうと思っていた。だが、今日はあいにくの曇り空。5月って「サツキバレ」とかいうやつで晴れが多いのではと思っていたが、
そうではないみたいだ。天気なんてそんなものなんだろう。あいにくの曇り空だから俺は廊下を歩いている。この1年生の棟の端に保健室があるからだ。ちなみに2階には教室はない。いや、教室だったものはあるのだが、つかわれていなく1階と3階が教室として使われている。2階は要望があってクラブの部室として使われている。
ま、クラブに入っていない俺にとってはどうでもいいことだ。この身長のせいで入学当時は声をかけられることもあったが、目つきのせいか二言目はいつもなかった。前はバスケットをしていたこともあるが、今は環境も違いすぎる。それに、周りとどうしてかなじめずにいる。「大丈夫、時間が解決するよ」なんて母親が言っていたが、どれくらい時間がかかるのかは教えてくれなかった。
「失礼します」
保健室に着いたので扉をガラガラっとあけた。まず目に入ったのが机に向かって座って勉強している女の子だった。振り向いて俺を見るや否やいきなり縮こまった。折りたたみ机の端に移動して少しだけ顔をこっちに向けている。
背は低いみたいだ。髪は黒くて長い。まっすぐだ。まっすぐ伸びた髪が背中の中央くらいまである。キレイだと思った。やはり髪は黒いほうがいい。俺は自分の髪が赤っぽいというか、赤というか、光があたると赤にしか見えないため、黒い髪に憧れがある。だが、染めたいとは思わない。だって、不自然な黒ほど気持ち悪いものはないからだ。
いつだったか、髪を茶色に染めたやつらが黒に染め直されていたのをみて、そのいびつな黒い髪をみて気持ち悪さしかなかったの覚えている。それなればこの赤い髪でもいいかとも思える。
ふと、前に目をやる。背も低く、ほっそりとしているが胸の名札の色が緑なので2年生とわかる。当然顔は見たことがない。いや、同学年でもクラスが違えば顔なんてわからない。クラスが多いわけでもないのだが接点がないからだ。2年生なのだろうけれど、背が低いこと、そして丸顔で目がすこしとろんとした表情からどうしても年上には見えない。おそらく襟の色を見なかったらありえないけれど年下なんじゃないかと思うくらいだ。
机の端によっていぶかしがる目で俺を見てくる。とりあえず俺は「やぁ」と言ってみたが、距離は余計に開いたように感じた。
「・・・・」
机をたてにするように回り込んでいる。ビクビクしているのがわかる。やっぱり俺がこんなのだから怖いのだろうか。
離れたところにある茶色のベンチっていうのかな、なんか腰かけるやつに座った。
「保険の先生いないの?」
やはり目の前で机を盾がわりか何か勘違いしているのか、はたまた俺が襲ってくると思っているのかビクビクしている。
「保険の先生はいない・・・です」
はじめて声を聞いた。なんかおどおどしているのか消えそうな声だった。だが、きちんと聞き取れた。やはりゆっくり話してくれるほうが安心する。教室にいた近藤やその他大勢みたいに大声でまくし立てられるとそれはもう言葉ではなく雑音にしか聞こえない。あんな中にい続けていたら頭の中がおかしくなってしまいそうだ。目の前の子がビクビクしながら言ってくる。
「だから出て行ってくだ・・さ・・い」
なるほど。俺がいたらじゃまなんだな。でも、保健室を追い出されたらどこに行こうかと思っていた。良く見ると目の前の子は右足を怪我しているのがわかる。白いギブスが足の先から膝まであるのがわかった。ま、どうして気になったかというと目の前の子がさらに動いたからだ。俺から離れるように、そして机にある教科書を取るように動いた時に脚が見えたのだ。だからすぐ近くに松葉杖というのかな、そんな感じのやつがあった。だが、木でできたやつが2つだ。
何をしたらあんな怪我をするんだろうと思ったがそんなことを聞ける雰囲気ではなかった。
「俺も他に行き場所があれば出て行ってやるんだけれどな。ちょっと教室が居づらくて」
ビクビクしているのも疲れるだろう。俺は本当のことを言ってみた。ちょっとでもこの空気が変わればと思ったのだが、目の前の子はこう言って来たんだ。
「じゃあ、その居辛い理由が解決したら、ここを出て行って、くれ、ます、か?」
なんてことを言うんだろうと思った。けれど、びくびくしている様子から少し落ち着いたのか椅子に座ってノートを広げている。ここからだと遠いので俺も立ち上がり机の近くに歩いていった。そしたらいきなり、「近づかないでくだ、さい。そこに座ってそのまま話して、くだ、さい」なんていわれた。またびくびくしているので仕方がなく俺は元いた場所に座った。
とりあえずこの距離なら会話ができるようになったから俺はまず何から話そうかと思った。一番いいのは時系列で話すことだろう。寝たふりをしていたが全体を見ていたのでなんとなく状況はわかっている。
俺は頭の中で時間軸を戻していった。