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口裂け女 A New Legend  作者: 来惧稀音(くるぐけいん)
第2章 それぞれの思惑
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川村雪音

 2008年5月18日19時。

 車窓の向こうに映る通り過ぎるネオンの光や歩道にいる人々の姿は、西谷亮人に先ほどまでいた死の空間から生還できたことを実感させた。それと同時に「生」と「死」は、距離がそんなに離れていない場所に存在しているという現実を教えてくれた。

 朝に起きた時には、まさか殺人犯と遭遇し、死にそうな目に合うことなど予想もしていなかっただろう。

 だが、西谷にとってそれ以上に予想外だったことは、殺されそうになった後に殺人犯と同じ車に乗っているということだろう。

 先ほどまで西谷を殺そうとしていた女、川村雪音が西谷の座る助手席側の後部座席の隣に座っていた。普通の人間なら耐えられないプレッシャーに押し潰されそうになるだろうが、西谷は落ち着いていた。車の運転席で実体化した長谷川碧が、ハンドルを握っているのがその理由だ。

 長谷川がそばにいると守護霊がそばにいるようで西谷は安心した。そのことを実感させることが、1時間前に川村の家で起きていた。

 「疲れた・・・」

 そう言うと、西谷は頭を窓に傾けながら外を見た。


 1時間前。

 「そこまでよ。雪」

 ハサミで西谷を殺そうとしていた川村の腕を長谷川が掴んでいた。

 「碧、何のつもりだ?なぜお前がここにいる?」

 状況を理解できずにいた川村だったが、その殺意に満ちた手は西谷から離れた。

 「それでいいの。たく、相変わらず短気なんだから」

 そう言うと、長谷川はタバコを吸い始めた。

 とてつもなく強い女の腕を止める力が長谷川の華奢な腕のどこにあるのか、西谷はそう思ったが、それよりも自分を助けてくれた長谷川への感謝の思いが強かった。

 痛みが残る身体を起こし、西谷はそばにある座布団に座った。

 「で?碧、このガキは何者だ?」

 西谷の正体を知ろうとする川村の目には既に殺意はなかった。

 「私とニコラスの雪以外での人間の親友。ただの高校生よ。まあ、私やニコラスが見えるところを除けばだけど」

 それを聞いた川村はマスクをつけて、ちゃぶ台に肘をつきながら西谷の近くに座った。

 「確か西谷だったな、お前の名前は?」

 「そ、そうだよ・・・あ、あんたは長谷川の知り合いか?」

 殺されそうになった恐怖が西谷の声には残っていた。

 「親友だ。ニコラスもな」

 「やっぱ、あんたも見えるのか?2人のこと」

 今度は西谷が川村に聞いた。

 「見えるよ。それにあの2人とはもう10年ぐらいの付き合いだ」

 「はーーーい!話したいならもっと楽しいところで話そう!て事でマスターや明葉(あきは)のいる店に行こう!」

 2人の会話に割り込んだ長谷川が場所を変えることを提案した。


 現在。

 「悪かったな」

 静かな車内から聞こえた声は1時間前の出来事を思い出していた西谷を現実の世界に呼び戻した。声の方向に西谷の目線が動き、2人の様子をバックミラーは長谷川に見せていた。ミラーは窓の外を見る声の主である川村を映していた。

 「何が?」

 西谷はそう言うと、目線を前の方向に移した。殺人犯である川村のことを親友の親友とはいえ、まだ少し恐れていた。

 「あんたを殺そうとした。すまなかった。許して欲しい」

 意外な言葉は、自分の隣にいる女が本当に殺人犯なのか、と西谷に思わせた。その声と表情には嘘、偽りは一切感じられなかった。役者だとしても演技では出せないものだった。

 「いいよ気にしなくて。元々は俺たちがあんたの家に勝手に入ったわけだし。こっちも悪かった」

 「そうか。だが、私の方があんた達に悪いことをした。警察に通報しても構わない」

 「警察」という単語は川村が改めて殺人犯であるという認識を西谷に与えたが、先ほどからの彼女の言動を見る限り「悪人」だと断定するには少し抵抗を感じた。むしろアクション映画などで悪を狩る主人公と同じようなオーラが川村からは感じ取ることができた。

 「通報なんてしねぇよ。そんなことしたら、警察は俺のことをイカれてると思うか、不法侵入で逮捕するかのどっちからだからな」

 そう言って西谷は川村の目を見て微笑した。

 彼女が出口組の組員を惨殺したことには何か理由がある。西谷にそう思わせるほど川村は美しかった。

 2人の会話を黙って聞いていた長谷川はタバコに火をつけた。


 3人を乗せた車が目的地付近の信号で止まっている時に西谷はそっと川村のことを見た。両腕を組んで、外を見ながら座る川村は西谷の視線には気がついていなかった。その様子をバックミラーはしっかり映していた。

 女性らしい細い腕、程よい肉付きでムチムチとした脚、脂肪の少ない綺麗なくびれ、タンクトップに圧迫された張りのある胸とそれから生まれた美しい線をなす谷間。川村の体の各パーツは、まるでダムから放水される水のように刺激的な魅力を出し続けていた。

 その刺激的な魅力が西谷の男として断ち切れない本能を刺激させることは造作もなかった。内からエネルギーを燃焼されるように体が熱くなる感覚が西谷を襲った。その感覚は沢田優里亜とベッドの中で激しく抱き合った時でも感じることはなかったものだった。

 そして、気がついた時には川村と沢田を西谷は比較していた。沢田の胸よりも大きく、張りのあるこの巨乳はどんな触り心地があるのか。次々といやらしい妄想が浮かんでくる。しまいには元気になっている部分まで出てきた。

 妄想に興奮しながらも、冷静な思考も西谷には残っていた。その思考は美貌とセクシーな肉体を持った川村の口が裂けていることを忘れさせなかった。

 なぜ口が裂けているのか。それは西谷の味わった恐怖心が忘れさせようとしていた疑問だったが、男としての本能を抑制しようとする理性がそうはさせなかった。

 都市伝説では「口裂け女」は子供を襲う化け物として伝えられている。だが、西谷のとなりにいる川村は人間であった。口が裂けているとはいえ、それは傷のように見えるだけで、子供を食べる化け物のような口には見えなかった。

 なぜ川村は口が裂けているのか。セクシーで魅力的なこの美女はなぜ殺人を犯したのか。2つの疑問の答えを西谷は知りたがっていたが、本人に聞くことは避けた。それは、未だに彼の防衛本能が警戒を解いていなかったからかもしれない。

 色々と思考が働いていたが、体の内側から性的快感が溢れ出たことを西谷は感じた。瞬間的にあらゆる力が抜けていく。

 「ハアァ・・・」

 脱力感に襲われた西谷は腰を前方に曲げ、両手で顔を覆った。

 「どうした?体調でも悪いのか?」

 その様子を見ていた川村が言った。

 すると運転席している長谷川が笑い始めた。バックミラーは後部座席で起きていた一部始終を彼女に伝えていた。

 「雪音、西谷の体調は悪くないよ。その逆で元気になったみたいよ。あんたのおかげでね」

 「何の話だ?」

 バックミラーに映っている長谷川は何を言っているのか、その意味を川村は理解できなかった。


 2008年5月18日19時12分。3人を載せた車は目的地に到着した。場所は2回建てのライブハウス兼バーの「エンドレス・パラダイス」である。

 「着いたか」

 川村がそう言って駐車場に降りると、「ブオォォォン」と、中で行われているライブの音が外まで聞こえていた。続いて西谷と長谷川も車から降りた。

 駐車場に止めてあるのは安い車種やオートバイばかりだった。若者たちばかりが集まっていることを教えてくれる。

 そんな中に周りの車とは異なる世界から来たように思わせる2台が、ライブハウスの入り口付近の駐車スペースに隣り合う形で駐車されていた。ポルシェ・カレラGTとSUVハマーH3である。カレラGTのシルバーのボディはライブハウスから放たれるネオンを反射されていた。

 「あの2台があるということは、金持ち坊やと佐藤も来てるってことだな」

 西谷は下校時に見た佑金と取り巻きの車を思い出した。数時間前のことなのに、遠い過去のような思いを抱かせる。

 西谷の目線の先に止まる2台を川村は見た。見渡す限り何もない砂丘、多数の改造車が置かれたガレージでメンテナンスをしているブロンドのアメリカ人の男。2台は過去に見た2つのビジョンを川村に浮かばせた。

 3人がライブハウスの入り口まで歩いていくと、スタンドに斜めに設置されたブラックボードが視界に入った。「Today’s guest」(今夜のゲスト)と書かれている白文字の下に赤文字で「ARC ENEMY」(アーク・エネミー)と書かれている。

 「アーク・エネミーがゲスト!?マジか!すげー!」

 そう言って、西谷は興奮して入り口のドアを開き、中へ走って行った。

 ARC ENEMYとはスウェーデンのメロディックデスメタルバンドである。結成は1995年。2000年にヴォーカルのヨハ・リヴァンが解雇され、その後任としてドイツ人女性ヴォーカリストのランジェア・ソウゴが2001年から参加している。現在、来日公演中である。

 「ああいうところはまだガキね」

 走り去った西谷を見て長谷川が言った。長谷川はブラックボードを見つめる川村の方を向いた。まるで周りの音など聞こえないように立っていた。

 血しぶきで汚れたキャバクラ、ハサミで腕や脚を切り落とされるヤクザ、それを見て逃げ惑うキャバ嬢たち。3日前の凄惨な映像を「ARC ENEMY」と写し出す血のような赤文字が川村に思い出せていた。

 赤文字は更に映像を再生させた。ハサミに着いた血を洗い流す水道水、美しさと醜さが混在する顔を赤く染めるヤクザの返り血、それをシャワーで落とす川村。脳内の映像を見ていた川村の表情には後悔や悦びなどの殺人犯が本来持つものが一切なかった。代わりにあるのは目的を果たす決意だけだった。

 「雪、どうしたの?」

 長谷川の声により川村の視界は脳内で再生された映像から現実の世界に戻った。自分を見つめる長谷川の姿があった。

 「何でもない」

 川村はそう答えると、長谷川と共にライブハウスに入って行った。


 19時18分。エンドレス・パラダイスのステージがある1階ではARC ENEMYのライブが行われていた。

 重く低い音を出せるようにチューニングされたギターやベースの演奏は、それだけで観客たちを魅了するパフォーマンスになった。それに女性のランジェア・ソウゴから発せられるデス・ヴォイスが続くことで観客たちの熱狂に拍車をかけた。曲のテンポに合わせてランジェアの揺れ動くブロンドはライブの激しさを物語っていた。

 その様子を2回のカウンター席で見ながら、酒とタバコを楽しむニコラスの姿があった。数時間前に長谷川に実体化させてもらっているので、生きている人間と同じように行動することができた。そのため周りいる人間たちにもニコラスの姿は見えていた。

 ニコラスの身を包む黒いTシャツと迷彩柄のズボンは彼の逞しい肉体に似合っていた。軍人のような太い腕で握られたグラスは酒が注がれるのを待っていた。

 カウンター越しから、ブルーの半袖シャツを着た女がニコラスのグラスに酒を注いだ。カウンターにいた女の横にはその父親が腕を組んでニコラスの良い飲みっぷりを喜んで見ていた。

 女の名は毛利明葉。胸の辺りまで伸びた黒髪と大きな目が特徴的な22歳の美女だ。店のマスターである51歳の父親の毛利憲一の手伝いを週2日、それ以外には別のバイトを週3で行っている。

 店を経営する憲一は元々芸能業界で働いており、そのコネは国内外問わずに広かった。それを利用して、ライブハウスでの公演には有名な歌手やグループを参加させることができている。

 酒も提供している店の客層には主に若年層が多く、その中には未成年も含まれていた。店が2階建てになっているのは3つの理由があった。

 1つ目は1階にはステージがあり、観客には立ってステージを見てもらいたいと憲一が考えていたからだ。そのため1階にはテーブル席は隅にしか用意されていなかった。座ってライブを見たい観客には2階に行くようにしてもらっていた。

 2つ目は1階のカウンターには水着を着たスタイルの良い女性店員が2名おり、未成年には刺激が強過ぎると憲一が考えたからだ。そのため未成年はライブを近くで見る時以外は2階に行かなければならない。

 3つ目は未成年が飲酒や喫煙をしないように2階のカウンターで憲一が見守れるようにするためであった。店は未成年には酒はもちろん提供せず、ジュースで対応していた。憲一の徹底した運営により未成年の両親たちから店がクレームを受けることはなかった。

 グラスの酒を飲み干したニコラスは明葉のことを充血した目でじっと見つめた。その視線に明葉が気づいた。

 「何ですかー?ニコラスさん、おかわり?」

 明葉はニコラスの下心には気づかずに笑顔で話しかけた。誰に対しても笑顔を絶やさない良い接客。そのおかげで明葉は男女関係なく客からの評判が良かった。

 「カーワーイーイー!」

 ニコラスの声を聞いた周りにいる客は気持ち悪く感じた。

 「そんなことないですよ!」

 周りの客とは違い、明葉は笑顔を崩さなかった。

 「それでさ、明葉ちゃん!そろそろアドレス教えてよー」

 「えー、うーん、でも今仕事中だから今度でいいですか?」

 「出たー!いつもそう言ってんじゃん!『今度』っていつよ!?」

 「うーん、まあ近いうちに」

 「『近いうち』って、君は野田首相かよ!?・・・うん待てよ、あの豚はまだ首相じゃなかったか!首相はゴルゴ気取りの奴か!ギャハハハハハ!!」

 「アハハハハ・・・」

 さすがの明葉もニコラスの言っていることについていけなくなった。

 すると2人の会話を見ていた憲一が笑いなかまらニコラスに話しかけた。

 「ニコちゃん諦めなよ!明葉の奴、最近好きな男できたみたいだからよ!」

 「は!?マジかよ明葉ちゃん!?」

 衝撃を受けたニコラスは持っていたグラスを握りつぶした。

 「ニコちゃん!手大丈夫かい!?」

 「ああ、大丈夫!それより明葉ちゃん、男が出来たのか!?」

 「そんな男だなんて」

 明葉は顔を赤くした。

 「そういや、その男ならあそこにいるぜ」

 憲一はライブステージの方へ指を向けた。ニコラスが指の方向を見ると、ランジェアの立つステージの前で腕を振っていた西谷がいた。よく見ると、隣では紺色のTシャツを着た男が西谷と肩を組み合って右腕を振っていた男がいた。

 天使と悪魔の間で両者に釜を向けた死神を描いたタトゥーがその男の右腕の前腕に彫られていた。それを見たニコラスの目つきが変わった。

 ーあのタトゥーは・・・


 1991年3月5日、イラク。

 燃え盛る炎と瓦礫しかない砂漠には血だらけになって倒れるニコラスの姿があった。着ているデザート迷彩の戦闘服から焦げ臭い匂いが漂ってくる。

 まわりには米兵とイラクの民兵の死体が散らばり、血の匂いに誘われてきたハゲタカが死肉を漁っていた。ハゲタカはニコラスの体にも止まった。追い払おうとしたが、既にそんな力は残っていなかった。死にかけている状況で残酷なことに肉を漁られる感覚は感じることができた。もはや役に立たない感覚でしかない。

 死を覚悟したニコラスに一発の銃声が聞こえた。気づくと自分の肉を食らっていたハゲタカは頭が吹き飛ばされ、力尽きていた。

 ーお前が先に死ぬのかよ・・・

 そう思ったニコラスの視界に揺らめく陽炎から一人の男の歩いてくる姿が入った。銃を持っていたので敵かとも思ったが、その男が持っていたのはデザート・イーグルで、イラクの民兵が持つような銃ではなかった。何よりもその男の服装が奇妙だった。青のジーンズに黒の半袖のTシャツで身を包んだ戦闘地域にはふさわしくない格好だ。

 男がニコラスのもとに止まった。殺されるのか、と思ったニコラスに手が差し伸べられた。その前腕には天使と悪魔に鎌を向ける死神のタトゥーが彫られていた。

 ー死神か、俺を迎えに来たか・・・

 ニコラスの視界は光が失われ、何も見えなくなった。人生の幕が下りた瞬間だった。


 2008年5月18日19時22分。

 「ニコラスさん、もう注文しないんですか?」

 ニコラスが振り向くと視界に可愛らしい明葉の姿が入った。再びニコラスがステージに目を向けると、そこにはタトゥーの男の姿はなかった。

 「酒をくれ、明葉ちゃん。かなり強い奴を頼む」

 ニコラスはカウンターへ向き直ると、酒をを注文し、タバコに火をつけた。17年前に見た男と同じタトゥーをした男を見たあとに、混乱する頭を落ち着かせるには酒に頼るのが楽な方法だ。

 あの男はイラクで見た死神と同じ男なのか。たまたま同じタトゥーを入れてるだけかもしれない。ライブ会場で見た男は明葉と年齢が同じぐらいに見えた。17年前なら5歳前後の子供だ。

 色々と考えを巡らせたニコラスに結論的な答えを見つけることはできなかった。

 「それにしても、明葉ちゃんはいい男見つけたねー、頑張って!おじさん応援してるからね!」

 先ほどとはニコラスの様子が違うことに気づいた明葉だったが、明るい笑顔を崩さずに答えた。

 「ありがとうございます!頑張りますね!」

 そう答えた明葉を見てニコラスも笑った。明葉の笑顔には酒やタバコ以上の効果があった。それを見ればタバコをやめられるかもしれない。

 ふと、ニコラスが1階に通じる階段の方を見ると、胸の大きい女2人が上がってきているのが見えた。ニヤニヤとしたニコラスの顔はすぐに普通に戻った。2人の女が川村雪音と長谷川碧だったからだ。2人が来店したことに気づいた明葉は笑顔で迎えた。

 「あ!碧ちゃんと雪音さん、いらっしゃいませ!」

 長谷川と川村は明葉に手を振った。その様子から3人が親しい仲にあることが伺える。綺麗で艶のある長い黒髪を持つ3人は3姉妹のようにも思えてくる。

 「おまえら、やっと来たか。先に飲んでたぜ!」

 そう言ってニコラスは先ほどまで座っていたカウンター席の近くにある円形のテーブル席へ移動し、川村と長谷川を招いた。川村と長谷川は向かい合う形で座り、その間にニコラスが座った。

 そこへ明葉がやって来て、3人のそれぞれの好みの酒をテーブルへ並べた。注文を受けずに酒を用意できるほど3人は常連だった。

 「川村、今日は俺と長谷川のおごりだぜ!」

 「また、私がお前たちに奢るのかと思ったよ」

 「まあ、今日は借りを返すってことで勘弁してよ雪」

 やれやれ、と思いながらも川村はマスクをずらし、酒を飲んだ。マスクをずらしたことで裂けた口が姿を表す。それは明葉や憲一の目にも確認されたが、特に何も反応しないことから、2人はその事情を理解しているようである。また、薄暗い店内を激しく点灯する赤や青のライトが川村の口を他の客には見えないように協力した。

 「それで」ニコラスが言った。

 「どうだった、川村、どうだった西谷の初対面は?」

 「最悪だな。碧が来なければ奴を殺してた」

 「心配だったから行ったのよ。てかニコラス、何で来なかったのよ?西谷のこと心配じゃなかったの!?」

 「まあ心配だったが、俺はお前らと違ってアクションスターじゃないからな。おれは体力よりここが優れてるんだよ!」

 そう言ってニコラスはオールバックで広く見えるデコを指で突いた。川村と長谷川にはその仕草を見ても、逞しい体を持つこの男に体力以上に優れた頭脳があるようには信じられなかった。

 3人が話している時に、ARC ENEMYのライブが終わった店内は静かになり、先ほどまで店を支配していた喧騒は立ち去っていた。代わりにやって来て、観客たちを楽しませたのは47人のロシア人美少女で構成されたアイドルグループのAK47だった。

 AK47の由来はソ連軍が正式採用していた自動小銃AK-47(アブトマット・カラシニコフ)から来ている。メンバーの少女たちは皆ブロンドで、寒い故郷によって作られた色白の肌を、セクシーな体を強調するようにカスタマイズされた軍服の衣装で包んでいる。

 彼女たちがモデルガンのAK-47を観客席に撃つパフォーマンスに、最前列にいる幼い少女たちを好む日本人のファンたちは敬礼するパフォーマンスで対抗していた。その光景はロリコン集団の公開処刑のようにも見える。

 「変態」と思われているニコラスでさえそのパフォーマンスを理解できなかった。それは単なる嫌悪感ではなく、生前に銃弾の飛び交う戦場にいたからかもしれない。AK-47やその派生品は一部の途上国の軍やテロリストたちにも採用され、殺戮が続く舞台で活躍中だ。そんなライフルを使うアイドルグループに関心や興奮をニコラスには持つ気はない。

 同じくそんなアイドルに興味のない西谷が2階にやって来た。表情にはARC ENEMYを生で見れたこの上ない満足感が溢れている。陽気になっていることを表情だけでなく足取りも示しており、先ほどまで聴いていた曲を記憶から再生し、リズムに合わせて3人の席に近づいていく。

 ノリノリの西谷の姿に明葉が気づいて笑顔で迎えた。

 「いらっしゃい、西谷くん。はい、未成年だからオレンジジュースね!」

 「あざす、明姉さん!今日も相変わらず可愛いっすね!」

 2人の口調から仲の良いことがわかる。ジュースを受け取った西谷は一気に飲み干した。

 「ありがとう。でもいいの?そんなこと軽々しく言うと優里亜ちゃんが妬いちゃうよ」

 「大丈夫っすよ、俺とアイツは以心伝心なんだから!」

 そう言って左の親指で2度胸を突つく西谷に憲一も声をかけた。

 「西ちゃん、楽しんでもらえたか?ARCのランジェアは間近で見た方がキレイだったろ!」

 「マスター、スゲーよ!あの最高のグループをこんな小さいライブハウスに呼ぶなんて!」

 「ハハハ、『小さい』は余計だろ!」

 機嫌が最高によくなっている西谷は川村たちのいるテーブル席に残っているイスに勢い良く腰を下ろした。いつもは長谷川とニコラスと自分の座る場所に川村がいることに目新しさを感じる。

 「さっきまで殺されそうになってた男には思えない興奮ぶりね」長谷川が言った。

 「そうさせるほどARCはスゴイのさ!ところで川村さんは、いつからニコラスと長谷川の知り合いなの?」

 「呼び捨てでいい、ニコラスや長谷川と話すみたいに」

 「うっす!」

 「俺らと川村は10年ぐらいの付き合いさ。まあ半年前ぐらいに久しぶりに会ったんだけどな」

 西谷は「10年」という単語が西谷に口裂け女の噂話を思い出せたが、それを心に留めて口には出さなかった。今の川村と会ったばかりの自分が真相を知ることはタブーのように思えたからだ。

 4人の話題のほとんどは川村か西谷に関するものだった。初めて会った2人について話し合うことでお互いに敵同士でないことを証明するかのように。西谷は川村の凶暴な一面については聞かず、またニコラスや長谷川もそのような話題が生まれないように注意していた。

 話をしている最中に明葉が酒を持って来ては、そのほとんどを川村が飲んでいた。酒に強いわけではないようで、飲む量に比例して、体勢がおかしくなり始め、しまいには椅子の上であぐらをかいていた。

 ニコラスがお得意の下ネタを始めた時、西谷はふと視線を感じた。視線を感じた方向を見ると、そこには岳下千穂美とその彼氏の永田大輝、佐藤優美とその彼氏の佑金悠也の4人がいた。佐藤と佑金は未成年であるにもかかわらず、火の は、ついたタバコを加えていた。佐藤に関しては3本同時に吸っており、肺に向かった煙を吐き出すときにも、手品師のように器用な指に3本同時に挟んでいた。監視役の憲一はカウンターで数十枚の1000円札を数えていたので、金持ち息子に買収されたようである。

 西谷はとりあえず、手を上げて4人に挨拶をした。それを見た川村が西谷の目線の先を見ると、佐藤が中指を立ながらヤニで汚れた黄色い舌を可能な限りアゴの方に出している。あのグロい舌は何だ、と川村が思いながら西谷の方を見ると、彼は左手親指を下に向けていた。何だこいつら、と川村は理解できない高校生のやりとりは気にせずに再び酒を飲むことにした。

 佐藤ら4人は、西谷の周りにいるセクシーな美女2人とムキムキのアメリカ人は何者なのか、と話していた。佑金と永田は2人の美女が持つ自分たちの彼女のものとは比べものにならないほど大きな胸、綺麗な肌で魅力的な長い脚を見て、イヤらしい目を向けながらニヤニヤとした笑みを見せている。

 スケベな男2人を愚かに思った佐藤は、分厚い下唇と薄い上唇に挟まれた3本のタバコのうちの2本をそれぞれ左右の手に取り、横に伸ばした。手に取られた先端が燃えている2本のタバコはにやけている男2人の頬に押し付けられ、寿命を迎えた。

 タバコを押し付けらた佑金と永田は熱がる声を出したが、それはステージで火薬入りのモデルガンの発砲音を出した、ロシア人の美女たちによってかき消された。過激なパフォーマンスはこのアイドルグループの売りである。

 何をやっているんだ、あいつは?、と佐藤の恐ろしい行為を遠目で見ていた西谷は思った。それよりも気になったことは、岳下がタバコを押し付けられる自分の彼氏の苦しむ姿を、笑って見ていたことだった。清楚で可愛らしい彼女の心には小悪魔が住んでいるように思える。

 それにしてもうるせーな、こいつら、いつまで連射してんだよ?、などと思いながら西谷が未だに体制側に勝利したテロリストやゲリラのように天井に向かって、アサルトライフルを連射しているアイドル達に目を向けると、川村が席から静かに立った。客とすれ違っても大丈夫なようにすぐにマスクを裂けた口が隠れるように合わせた。

 明葉がカウンターに置いていた酒のボトルを下げようとしたら、それを川村が勢いよく掴んでトイレの方へ歩いて行った。

 「雪音さん、それ・・・」

 明葉は何かを言いかけたが、聞く気などないように川村はトイレのドアを強く開け、すぐに「バン!」と激しい音をならしドアは閉じられた。

 「あのお酒、めちゃめちゃ強いのに・・・」

 そう言って川村を心配するような目で明葉はトイレのドアを見つめていた。

 川村の入ったトイレは照明がついていても、夜に自販機の前にいるような薄暗さをしていた。明葉によって綺麗に清掃がなされており、黄色や茶色で作られた不快感の沸く汚れは一切なく、鼻を攻撃する悪臭も全く漂っていない。匂いがなく、外の音も抑えられた空間は気を落ち着かせる場所だった。

 川村は誰もいないことを確認すると、くもりや水あかのない鏡の前でボトルを開け、ゴクゴクと喉で音をならしながら酒を飲み続けた。前にある鏡は、口に入った酒の一部がうまく喉へ辿り着けず、口元から流れていき、首をつたって、胸元が大きく開いたタンクトップから見える豊かな胸や綺麗なラインを完成させた谷間を辿り、服に吸収されていくのを映していた。

 ここに来たのは、アイドルたちの鳴らしていた騒々しい偽の銃声が、3日前の忌々しい出来事を川村に思い出させたからだ。出口組構成員惨殺事件。川村は自分の起こした事件を思い出すと頭の中がゴチャゴチャとするような混乱に襲われた。混乱を退治するには静かな場所と強い酒が必要だった。静かな場所は気を落ち着かせ、酒は混乱とは違った刺激を与えてくれる。

 川村は出口組のメンバーたちを手にかけたこと自体には罪悪感などは感じていなかった。むしろ生きている意味を失なっていないことを実感させてくれ安心していたくらいだ。その代償として人から外れた道を歩むことになるが、彼女は構わなかった。許せない者たちを忘れ、人として生きることよりも、彼らと同じ悪魔になり、彼らに裁きを下すことを川村は選んだ。

 事件を思い出すと混乱した理由は死の直前に出口智己が残した最後の発言にあった。


 3日前、2008年5月15日午前0時。

 六本木にある高級キャバクラ店イブズ・ガーデンに入り、最初に視界に入るのは前髪を七三に分けた爽やかな1人のボーイである。ボーイは細い体をしており、上半身には白のシャツの上に黒のベストを着用し、首元を紺の蝶ネクタイで飾っている。胴よりも長い脚には白に近い灰色のスラックスと茶色のローファーを履いている。

 ボーイは受付に立っており、その左右にはキャバ嬢たちが、客をもてなすメインルームに通じるトンネル風に作られた出入り口が一つずつある。客はそこに入る前に受付に置かれているキャバ嬢たちの名前が書かれたリスト、または受付の後ろの壁の上部に設置された額に囲まれたキャバ嬢たちの写る10枚の写真から指名する相手を選ばなければならない。

 写真に写るキャバ嬢たちは人気の高い10人であり、左側に偶数の順位、右側に奇数の順位の女性たちの写真が並べられている。順位が上がるごとに中央の位置に近づいていき、写真のサイズは大きくなり、かつ写真を囲む額の作りも豪華になっている。

 イブズ・ガーデンのナンバー1のキャバ嬢の名は奥野レナだ。彼女の写真は金色の額に囲まれている。写真の中の奥野は胸元が大きく開いた赤いドレスを着て、左手を腰に触れながら左斜めサイドから撮影されている。その写真を見ると、奥野の美しい身体のラインを強調しようというカメラマンの意図が感じられる。客の男たちはその写真を見ることで彼女を指名したい欲望に駆られるのだ。

 しかし、この日の午前0時に写真の中にいるキャバ嬢たちの前に立っていたのは楽しみを求めている男たちではなく、紅のチャイナドレスを着た川村雪音だった。

 ボーイは目の前にいるチャイナドレスに身を包んだ女に見惚れた。紅のドレスは破れるのを必死に堪えるように、女の大きく膨らんだ弾力のありそうな胸と美しく細いウエストにピッチリと張り付いている。

 その下についた、あまり馬に乗らない現代人にとって単なる装飾でしかないスリットの入ったスカートは脚部を隠しているが、それはかえって奥を覗きたくる衝動を刺激させる。

 袖は長袖で、肩から手首にかけて腕部はほぼ隠れていたが、腕の付け根と胸をつなぐ部分の肌は露出しており、大きな胸が作り出した線と清潔感ある脇が見えている。前から見れば、背中の肌も見たくなる欲望まで現れる。

 「あの、何か御用でしょうか?」

 先に言葉を発したのはボーイの方だった。

 この美女は誰だ?、とボーイは思った。このクラブの商売相手は勝ち組の男たちばかりであり、前にいる女のようにセクシーな衣装を身につけているのはキャバ嬢ぐらいだ。だが、その女の顔にボーイは見覚えがなく、すぐにこの店に所属する女ではないとわかった。新人を募集していないので、面接に来た女とも思えない。仮に募集をしていてもドレスとマスクという組み合わせで、不似合いな格好をした女に対して体以外では良い印象を抱けなかっただろう。

 「知り合いに会いに来た」川村は答えた。

 女性らしい体を強調させるドレスを着ていたが、その口調には女性らしさはなかった。それが却ってボーイを警戒させた。

 「あの、今は業務中ですので、知り合いのスタッフへのご用件ならば閉店後にお願い致します」

 「すぐに済む。それに用がある相手は店の奴じゃない。客だ」

 川村の言ったことを聞いて、この女は正気なのか?、とボーイは思った。今夜来ている客は全員が指定暴力団の出口組のメンバーであり、彼らが全フロアを貸し切っていたからだ。

 「あの、お客様へのご用件ならば私が取り次ぎましょう」

 「おまえ、人を殺したことあるか?ないだろ」

 「は?」

 「私は人を殺しに来たんだ。用件は取り次がなくて結構」

 何を言ってんだ、この女は?さっさと追い出してしまおう、と思ったボーイは親指と中指をこすってパチンと音を響かせた。受付の右側のメインルームへ通じる出入り口から、その音を聞いたプロレスラーのような体型を黒ずくめのスーツで包んだ、2m以上ある男たちが4人出てきて川村を取り囲んだ。

 「このお美しい女性を外までお連れしろ」

 ボーイがそう指示すると、川村の後ろにいる男が彼女の左肩に手を乗せた。

 「こっちへ来るんだ、お嬢さー」

 男のセリフが完成することはなかった。川村が左肘でその男の鼻を粉砕したからだ。男が膝を床につくまえに、川村は左脚を軸にして、スリットに隠れていた美しい右脚を天井に振り上げた。振り上がった脚が目指した先は川村の後ろにいたもう一人の男の首だった。目的地に到着した脚は、膝を曲げ、腿とふくらはぎで強く首を締めた。男を苦しめる凶器と化した腿の外側には、特殊なデザインをした刃物という別の凶器が、革製の(さや)に収められた状態で装着されていた。

 川村はその刃物を右手で取り出すと、首を絞めている男の額と、その隣で膝をついていた男の首をターゲットに定めた。そして、刃物を持った右手は振り上げられ、すぐに左上から右下にかけて振り下ろされた。その直後、床にゴツンと何かが当たる音がした。落下した首と額に包まれた頭蓋骨が出した音だ。。頭と首を切り落とされた2人の男の切り口は、赤黒い鮮血を噴射する噴水と化した。

 「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 凄惨な殺人シーンを現実に見たボーイの悲鳴が響き渡る中、残りの2人の警備員は2歩後退し、スーツの裏に隠していた銃を構えた。安全装置を解除することを忘れていない。銃を構える仕草に無駄は一切ない。銃の扱いは素人ではないらしい。使っている銃もなかなかで、1人はベレッタM92F、もう1人はベレッタM8000(通称クーガー)だ。どちらも米軍やアメリカの警察が採用しているハンドガンだ。ヤクザを相手にする商売人に雇われているだけはある。

 相手が銃を持っていようが、川村は臆することなく2人の警備員に駆け寄り、体にひねりをいれながら宙に跳ねた。セクシーな体の角度を30度にしたことで、体に密着していないスリットだけが重力によって床に向かって垂れ下がり、白くキレイな脚のほとんどの部分が姿を現した。

 2人の男たちは川村が自分たちへ駆け寄った瞬間から激しい銃声と共に1発ずつ弾を放った。だが、いずれの弾も川村には命中せずに、宙で体を一回転させている彼女の首と胸の近くを通り過ぎただけで、本来の役割を果たすことなく、壁に穴を開けただけだった。クソ!外れた、いや避けたのか?男たちがそう思えたほど川村の動きは素早かった。まるで弾道が見えているかのように。

 相手に2発目を撃たせることなく、宙で回転していた川村はそのまま男の1人に斬りかかり、その男の胴体には左肩から右腰にかけて線が入り、ズルっと線の上の部分がずれ落ちた。大量の鮮血が2つの切断面から血が吹き出ながら、主を失った下半身は筋肉を制御できなくなり、ベチャっと音を立て崩れ落ちた。

 味方から噴き出る血は最後の警備員の命取りになった。目に血が入ったのだ。そのせいで目をつぶってしまった。しまった!そう思った男はすぐに目を開けると、いつ間にか男は床に倒れていた。すぐ目の前には見覚えのある銃を握った手が落ちている。すると何か生ぬるい液体が自分のスーツとズボンに染み込んでくるのを、男は感じた。そして、意識が薄れていく。

 「う、嘘だろぉ・・・」

 目の前で女が男の脚を斬り落としたの同時に手首を斬り落とした光景を見ていたボーイは現実を受け入れたくなかった。この女はやばい。そう思いながらもボーイは恐怖から動けなかった。逃げなければ斬り殺される。だが、この建物から外に出るための扉は、この殺人鬼の背後だ。銃を持った男たちを素早く血を出すだけの死体に変えたこの女なら、ただのボーイの自分を殺すのは、いとも容易いことだろう。どうすればいい?助かるために最善な方法を思い描けないボーイに、川村は手に持った刃物をシャキシャキと音をならし、動かしながら近づいていた。

 ボーイは川村の持つ凶器を見て、目を疑った。その手に握られていたのは、見たことのないデザインをしていたが、間違いなくハサミだった。刃渡りが異常にないハサミ、この女はハサミを使っていたのか。ボーイがそう思ったのは当然だった。男たちを次々にバラバラしていった川村は、1度もそのハサミの刃を広げていなかったからだ。普通のハサミは2つの刃の内側を重ね合わせることで物を切る。しかし、川村は刃の外側で男たちの強固な肉体を斬り離していた。その斬れ味はまるで剣のようだった。

 「じゃあな」

 川村の発した言葉は、ボーイの最期に聞く言葉となり、胸を長いハサミが心臓を連れ出しながら貫通した。ハサミはボーイの胸の中の出口を開けた時に広がることで傷口を横に広げ、外に出た心臓は真っ二つにされた。

 目的を果たす妨害をしたボーイを殺害し、川村がメインルームに向かっていると、前方から趣味の悪い、色の組み合わせをしたスーツに身を包み、手に銃を持った男3人が着た。先ほどの2発の銃声を聞いて様子を見に来た出口組の構成員だ。返り血を浴びたチャイナドレスを着た女を見た3人は、すぐに状況を理解し、銃を構えた。

 メインルームで露出の薄いドレスを着た美女たちの胸や脚を、むさぼるような手で触れながら、酒を楽しんでいた16人の出口組の構成員たちが、3発の銃声を聞くと、それまで華やかな雰囲気だった場所は一気に緊迫した表情をした男たちの溜まり場へと変わった。男たちが銃声の聞こえたホールの方向へ銃を構えると、その場にいたキャバ嬢たちは、見てはいけないものを見てしまったかのように怯え、それまでいやらしいサービスを与えていた男たちから少し離れ、彼らが銃を構えた方向に目を向けた。

 オレンジ色で優しくシャンデリアに灯されたメインルームは沈黙に支配されていたが、そんな雰囲気に抵抗するかのように流れ続けていたジャズのBGMだけが耳に入ってくる。本来ならば女たちと共に癒しを与えてくれるBGMでも、敵がいるかもしれないこの状況では、銃を構えた男たちにとっては耳障りでしかない。男たちが願っていることは、先ほどホールの様子を見に行った3人が戻ってくることだけ。

 3人のうち2人はメインルームへ戻って来た。ただし、男たちが予想した形ではなく。その場にいた者たちは最初何が起きたのかわからなかった。ジャズと沈黙の争いを終わらせたのは、ホールへ通じる出入り口からヒュンと音を立て飛んで来たボールのような2個の物体だった。1個は床に落ち、もう1個は1人のキャバ嬢の持つ弾力のある胸にぶつかった。

 「きゃああぁぁ!!」

 その場にいたキャバ嬢たちは一斉に悲鳴をあげ、男たちの視線は飛んで来た物体に集中した。生首。飛んできたのはボールではなく、額についた丸い赤点と滑らかな切断面から、どくどくと鮮血を垂れ流す生首だった。その顔には脳を撃ち抜かれた死後なのに、斬り落とされる感覚を味合わされたように思わせるほど、痛々しさと恐怖に苦しむ表情が浮かんでいた。

 「三島と萩本!」

 男たちの1人が生首たちの名前を呼び、瞬間的に残りの男たちが出入り口に目を向けると、そこに1人の人間が立っているようだった。「撃て!」という反射的にその人物を敵だと認識した1人の男の合図に続き、一斉に男たちの持ったハンドガンたちの銃口から、パァンという雄叫びと共に多くの弾丸が発射されていく。

 ブスブスと弾丸が肉に当たる音を、盾として役に立つ男の死体から聞きながら、川村は左手で盾以外には使えないその男の身体を支えていた。ホールで斬り殺した男たちからベレッタとクーガーを頂いておいたのは正解だった。その2丁のおかげで、ホールから来た時に遭遇した3人の敵から攻撃を受けずに済んだ。ハサミならば近づく必要があるので、弾を食らうリスクがあった。また、脂肪で装甲が固められた肥満な盾に、必要以上の傷をつけずに済んだ。予想どおり弾は貫通してこない。まだまだこの2丁には役に立ってもらうつもりだ。まさかこの平和な日本でも(・・)銃を使うことになるとは、と思いながら川村は次に起きることを待ちながら、クーガーを右手に準備した。弾は13発。

 21人分のハンドガンから放たれる弾丸は、マシンガンやアサルトライフル1丁、2丁程度なら十分対抗できる火力で、盾にされている男の肉や血を辺りに飛び散らした。あまり過激なシーンを目の当たりにしたキャバ嬢たちは耳を押さえ、下を向き、この騒々しい戦争が早く終わることを祈っている。幸か不幸かキャバ嬢たちの祈りは、1人の組員の男の声で一瞬叶った。

 「おい!皆やめろ!撃つな!」

 その声を聞いた他の男たちは撃つのをやめたが、中には弾切れになったハンドガンに、次の攻撃に待機するマガジンを装填する者たちもいた。「あれは、鴨川だ・・・」と盾にされた男の名前を男たちの中の誰かが言うと、他の者たちから「マジかよ?どうなってんだ?」という声も聞こえてくる。状況を掴めない男たちに致命的な隙が生まれた。来た。川村の待っていた瞬間だった。

 盾の右脇腹からすっと構えられた銃口の奥にあるチャンバー(薬室)から出番の来た弾丸たちが次々に発射された。激音とともにリコイル(反動)でスライドが後退し、役目を終えた空薬莢をチャンバーからエジェクションポート(排莢口)を通じて放り出し、発射の際に倒れたハンマー(撃鉄)を再びおこし、次に待機している弾が薬室に再装填されると、また弾丸が獲物を狙って発射されて行く。

 弾を命中させられた男たちは血を飛び散らしながら、床に倒れて行く。倒れ際に発砲した者もおり、その流れ弾が、辺りで倒れた男たちを見て震えながらソファにいた1人のキャバ嬢の額を撃ち抜いた。即死だ。

 7発撃って、4、5発命中したことは、重なり合う銃声が奏でるハーモニーの質が徐々に劣化してることを聞けば、川村には容易に予測できた。弾の当たった敵は悪くて即死、良くて瀕死だろう。盾で見えない敵をただ闇雲に撃っているわけではない。盾から飛び散っている肉片、目視できるその落下位置と盾の距離、敵が使用しているのはハンドガン、それらを考慮すれば敵がどの方向から撃っているかは、川村にはある程度予測できた。銃撃戦では腕だけでなく頭脳も勝敗を左右する。全ては今日狙う男とそいつに関わった悪党たちをあの世に送るために、10年間戦闘能力を鍛えた賜物だ。ありがとうジェラルドとマット、と思いながらクーガーに残る弾を川村は撃ちつづけた。

 倒れて行く仲間を見て、混乱した坊主頭の組員は近くにいたキャバ嬢を盾にしながら姿の見えない敵に銃撃を送り続けた。盾を押さえている左手は意図したものなのか、盾の女の大きな右胸をめり込むように揉んでいた。その様子を隣で銃を撃ちながら見ていた男が言った。

 「こんな時に乳揉んでどうすっぺ!?」

 その直後変な方言を喋る男は額から一直線に血が噴出し、床に崩れた。これで10人目の死者だ。それでも川村からの銃弾は止まなかった。すでにハンドガンで考えられる装弾数は撃たれているはずだ。ならばリロードが必要になり、相手は攻撃を中断するはずだ。なのにそうならない。一体、どうなってる!?混乱した坊主頭の左手が更に速度を上げながら激しく盾の胸を揉み込んだ。

 「ちょ、ちょっとやめてよ!離してよ!助けてー、キムタクーーー!」

 盾のキャバ嬢が抵抗しながら助けを求めても、坊主頭は決して解放しなかった。ついに混乱のピークに達した坊主頭は「ちょ、ちょ、ちょ待てよ!」と何かのモノマネをしながら盾を強く固定したが、もちろん笑う者はいない。その代わりに聞こえたのは、しっかりと揉まれていた盾の胸の辺りから、生々しく発せられたビシャッという音とドシュッという音だった。

 「ぬわあぁっ!」

 と坊主頭が痛々しい声をあげたのは左手から感じたことのない激痛がすると共に感覚を失った部分があるように思えたからだ。その痛みで盾のキャバ嬢の身体を支えられなくなり、床に崩れさせた。盾から解放されたキャバはケホッケホッという咳をしながら呼吸が激しくなった。何が起きたんだ?そう思った坊主頭の目がキャバ嬢の右胸を見る。円形の穴が空いており、そこから血と血に混じった透明な何かの液体を吹き出しながら、先ほどまで揉んでいた右胸は次第に小さく萎んでいき、大きいままの左胸との調和が取れなくなっていった。豊胸って液体入れんのか?そう思った坊主頭がキャバ嬢の顔の横に落ちた人差し指を見つけると、すぐに自分のものを確認した。ない!ギャアアア!と声を上げた坊主頭の左手人差し指には第一関節から上がついていなかった。川村のもとからやって来た弾が彼の指を吹き飛ばした後に偽装乳房を撃ち抜いたのだ。

 どうにか悲鳴と痛みに耐えながら坊主頭はメインルームの奥にあるVIPルームへと向かった。自分とそこにいる若頭の命のために。

 弾の切れたクーガーからベレッタに切り替えていた川村はそろそろ盾を捨て、メインルームへ突入することを考えていた。敵の奏でる銃声のハーモニーはもはや聞こえない。残る敵は5人から8人程度。ベレッタに残る弾は15発。できれば1人一発で仕留めたい。リスクはあるが、残り敵の位置は盾があると、確認も予測もできない。さあ、そろそろショーもおしまいだ。そう考えた川村は盾を前方に蹴り飛ばし、ベレッタを乱射しながらメインルームへ突入した。


 午前0時10分。

 壁にいかにも高そうな磔にされたキリストの絵画、中央には3人が座れるソファと酒やデザートの置かれたテーブル、その左右には年代物のワインが並べられた棚しかないVIPルームには外の喧騒は小さくしか聞こえていなかった。ソファには1人の髪型がツーブロックの男が帝国の主のように座り、その前にあるテーブルに水着姿の女横になっており、ヘソから2つの巨乳に囲まれた谷間に沿ってミカンが置いてあった。一目でハーフだとわかる顔は男を誘惑するしか能のなそうな美しさで笑みを浮かべている。

 VIPルームとは、入室だけで100万円、そこで行われるサービスを含めれば平均的なサラリーマンの年収は一気に消失し、並の男には入れない場所だ。ただし、それだけの金を支払えば、部屋の内装は客の好みどおりにデザインされる。まさに勝ち組の男にしか入れない聖域だ。

 そこで行われることは客が男である以上、最終的にはSEXにたどり着く。イヴズ・ガーデンとは、高級キャバクラ店とは名ばかりで、実態は高級風俗と言ってもいい。

 27歳のツーブロックの男は女の肌の上に乗ったミカンをぺちゃぺちゃと音を立てながら、吸い取って行った。実際のところ、女の肌に残る汚らわしい唾液を見れば、このテーブルに置かれたデザートがミカンではなく、彼女の身体であることは容易に想像がつく。

 「ミカンよりレナちゃんの肌やオッパイの方が美味しいわ!」

 「レナちゃん」と呼ばれるNo.1キャバ嬢の奥野レナはいかがわしい行為をされても笑顔を崩さない。だが、心の奥底では、何だよ、こいつキメェよ!死ねよ!こんなのが跡取りなら出口組も終わりね、と口にすれば確実に殺されるような思いばかりを持っていた。

 「ねえ、さっきから外騒がしくない?」

 気分の悪さを抑えようと数分前から疑問に思っていたことを奥野は話題に持ち出した。

 「どうせ、俺の誕生日でも祝ってんだろ」

 「ああ、そうだったね。誕生日おめでとう」

 そう奥野は笑顔で答えておいた。は?おめぇの誕生日は12月3日だろ、と思いながら。

 「さあて、じゃ、やろうか?」と言って男は服を脱ぎ始めた。それを奥野が止めた。

 「ねえ、智己、今日誕生日でしょ?とっておきのプレゼントがあるの!」

 男の名は出口智己。午前0時30分に福本たちに惨殺死体として発見される男で、出口組のトップ出口龍太郎の一人息子だ。

 「プレゼント?君の身体以外に欲しい物はー」

 智己の言葉はVIPルームの出入り口が慌てて開かれた音により阻まれた。奥野との良いムードー少なくとも彼はそう思っているーが崩れたことで、眉間にシワを寄せながらドアの方に目を向けた。そこに立っていたのは坊主頭の組員だった。ハアハアと息を激しくもらしながら「大変です!若頭!女に・・・」と言って、動きが止まった。表情は痛々しく困惑していたが、胴体を動かそうとしない。

 「あ?女に・・・何だよ?」

 智己が坊主頭の先の言葉を聞こうとしたが、彼は「うぐ!」というだけで何も答えず、動こうともしなかった。

 「ああ、そうかお前も奥野に・・・」

 出口が何かを言おうとしたが、それは目の前で起きたグロテスクな光景により阻まれた。胸のあたりに線が入った、坊主頭の頭の身体の線から上の部分がズレ落ち、それに続いて下の部分も床に倒れた。それによって長いハサミを広げていた、血にまみれた紅いチャイナドレスを着た川村の姿が現れた。

 「きゃあああぁぁ!!」と部屋中に声を響かせる奥野を背にしてパンツ姿の智己は立ち尽くしていた。パンツ姿の男が銃を持っていないことは誰の目にも明らかだった。

 「出口智己、10年ぶりだな」

 川村の言葉を聞いた出口は強く困惑した。誰なんだ、この女は?と、目の前にいた女のことを必死に思い出そうとしたが、こんな殺人鬼とは10年前ー高校生の時ーには会っていない、そう思うしかなかった。

 川村は一歩ずつ智己に近づいていく。この男を殺すために10年もかけた。絶対に見逃しはなしない。その思いがマスクの上に見える目に浮かんでいた。

 テーブルの上に座っていた奥野は怯えながら、マスクをつけ、血だらけのドレスを着た川村が、智己をキリストの絵画の前に追い詰める様子を見ているしかなかった。

 「お、お前なんか、俺は知らん!」

 「そうか、なら質問がある?」

 「なん、何だよ?」

 川村は一瞬目を閉じ、すぐに開けると鋭い目つきで智己の目を見つめた。

 「私は、キレイか?」

 「は?」

 唐突な質問に智己は困惑したが、すぐにその質問の意図を理解した。まさか、という思いはあったが、それを確かめるために質問に答えた。

 「き、きれいだ。その、顔はな」

 「そうか。これでもか!?」

 マスクを着けていることで、まさか、と思った智己の予想は当たった。

 「きゃあああぁぁぁ!」と再び奥野は悲鳴をあげていた。川村の裂けた口、それが原因だ。だが、智己はやはりな、という目で川村を見つめており、大して怯えていなかった。それは当然なように彼は思っていた。

 「なるほど、10年前か。はっ、思い出したぜ!何かも!お前のことも、お前が助けようとした川口あずさのことも、あの事件に関わった他の奴らもな!」

 全てを思い出した智己は笑っていた。まるで思い出話でも思い出すかのように。その様子を川村は黙って見つめながら、ハサミを握る力を強めた。智己が続けた。

 「なるほど、なるほど。復讐で俺の首を取りに来たか。俺はお前の口をそんな醜い形に変えた張本人だからな!けど、バカだな。俺を殺せば、日本最大のヤクザを敵に回すことになんだぜ!わかってんのか?」

 最初に出す言葉より前に川村は智己に痛みを与えた。ドシュッと腹部を突くハサミの音がして、智己は「ぐぁふ!」と声を上げるしかなかった。

 「いいか、よく聞けよ、七光りのチンピラ野郎!お前に言われなくてもそんなことはわかってるさ。これは宣戦布告だよ。お前の親父とその組はもちろん潰す。そして、あの事件に関わった他の悪党たちもな!」

 「は、はっはっは、はは!お前な、俺の組みだけでも強大なのに、他も潰すってか?いっとくけどな、他の連中の中には俺の組なんかその気になれば簡単に潰せる奴らがいるんだぞ!それをお前1人で!?そりゃあいい、とんでもない傑作コメディだな!アッハッハッハッハッハッハッハ!笑える!腹がいてぇぜ!ああ、こりゃ刺されてるから、当然か!」

 人を見下す笑い声に限界が来た川村はグリグリとハサミを回転させた。腸に刺さったハサミは智己を吐血させる。間違いなく腸の一部は粉々になっているだろう。痛みは一気に与えては効果を発揮しない、そう考えた川村は智己に言った。

 「さあ、言え。他にあの事件で暗躍した連中や組織を。そうすれば、お前の命を奪うのは最後にしてやる」

 アメとムチ。これは拷問の有効さを証明する考え方の一つだ。従えば殺害の延長というアメを、拒否すれば殺す。それだけだ。

 「わ、わかった。一人だけ教える。他を教えると、連中に俺が消されるからな」

 「言え。そいつの名は?」

 「木戸、木戸愛理」

 その名を聞いて、川村は動揺を隠すのに、苦労した。どこかでそんな予感を持ちながらも誤魔化し続けてきた。憎むべき男の一人からその名前を聞くまで。「木戸愛理、あの人のことは信じちゃダメ」と10年前まだ12歳だった頃の長谷川碧に警告された記憶が昨日のことように浮かんだ。だけど、長谷川はともかく、この男の言うことなら信用できない。罠に違いない。川村はそう自分に言い聞かせた。

 「ふざけてんのか?」

 「ほ、本当だ!あいつは10年前からずっと今も俺たちの味方だ!」

 「そうか、本人に確かめればいいだけの話か」

 「そうだ、それがいい!ってことで俺ら帰っていいか?」

 「そうだな」と言いながらも川村はハサミを智己から抜かずに、辺りを見回した。怯えている奥野レナ、その横に並ぶ7個のデザートの入ったトレイの中に、それぞれ用意された7本のナイフ。それらを見た川村は不気味な笑みを浮かべた。まるで悪魔に取り憑かれているかのように。

 川村が奥野にまだ弾の残っていたベレッタの無慈悲な銃口を向けた。やっぱり殺されるの!?そう思った奥野だったが、なかなか川村が撃たないので、撃つ様子がないかもしれないようにも思えた。「おいおい、何やってる?さっさとそのハサミを抜けよ!」という智己の声を無視して、川村は銃口を向けたまま奥野に言った。

 「おい、そこの商売女、そのテーブルにあるナイフを全部持ってこい。そうすればお前の命は助けてやる」

 その言葉を信じるしかなかったーいやでも信じたかったー奥野は慌ててトレイに入ったデザートを床に捨て、代わりナイフを入れ始めた。「おいおいおい、なにやってんだよ!?おい、こら、あばずれ!テメェ俺を裏切んのかよ!?」と聞こえる智己の声を無視して奥野は川村のもとへ7本のナイフを持ってきた。どれも刃渡りが30cm以上ある。

 奥野の持つトレイの中から3本のナイフを取り出した川村は躊躇することなく、それらを智己の腹に刺し、キリストの描かれた絵画にに釘づけにした。「うわあぁぁぁ!!」と智己の出した悲鳴は川村がその日に聞いた悲鳴の中で最も大きく、痛みを感じている。その悲鳴を奥野は我慢するしかなかった。それが生き残るたった一つ道だからだ。

 「は、話が違うぞ!ち、ちゃ、ちゃんと教えただろ!」

 釘づけにされた胴体を支えている3本のナイフが智己の体重を味方につけ、彼の肉を徐々に切り裂いて行く。そんな状況で出した必死の声だった。

 「はあ?お前な、私は全員の名前を教えろと言ったのに、お前が一方的に条件をつけて一人しか教えていないだけだろ。つまり、お前は自分で今死ぬことを決断したのさ。お前の意思は尊重してやる。まあ、仮に全員の名前を吐いたとしても同じ事をしていたが」

 そう言って川村は残りの4本のナイフを智己の両手足に突き刺した。

 「これで少しは腹が楽になる。せめてもの情けさ。じゃあな。あれ?もう聞こえていないかな?まあいいや」

 そう言って川村は奥野を連れて、VIPルームを出て行った。智己は2人の去る姿を見ることもできず、絶命していた。

 メインルームに戻ると、そこには多くの男女の遺体があった。男たちは全員川村によって殺害されてたが、女たちは流れ弾を食らって死ぬという運のない終わり方だった。

 その凄惨な光景に我慢できずに奥野が嘔吐している横で川村は着ていたチャイナドレスをハサミで切り刻み始めた。すると、脱皮でもしたかのようにその奥から白のショートパンツと黒のTシャツを着た川村へと変わった。紅いチャイナドレスは返り血対策で着ていたものだった。苦しむ奥野をほっといて、川村は警察が来る前に外へ出た。

 木戸愛理、彼女が自分の敵なはずがない。そう彼女を信じる自分と、正反対に長谷川を信じる自分の2人がいることに川村は気づいた。彼女が出口組と10年前から協力している?そんなはずはない。少なくとも高校の頃の愛理は私の親友だった。そのはずだ。それともそれは単なる私の思い込みなのか?川村は木戸を敵か味方かを考えながら深夜の闇の中へ消えていった。




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